夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

遠い昔、餅を搗(つ)いた頃の想いで・・♪

2008-12-29 22:53:44 | 幼年・少年時代の想いで
私はサラリーマンを卒業した年金生活の5年生であるが、
年末に近づくと、遠い昔、私の幼年時代に実家で、
餅を搗(つ)いた頃が想いだされる・・。

昨今の餅は、我家ではスーパーで販売されている品を買い求めている。
母の生前だった10数年以前の頃は、
母の住んでいた最寄の和菓子さんに注文した餅を頂ただいたりしていた。

そして、私が高校生だった頃は、
遠い親戚の方が、米屋を営んでいたので、
私は長兄に伴い、アルバイトのような形で、冬休みの期間でもあり、
25日前後の1週間は、早朝から夜遅くまで餅つき作業を手伝ったりした。
私は餅つきの作業が終った時、私にしては破格な礼金を頂き、
何に使ったよいかと、戸惑ったくらいであった。

私の幼年期は、祖父と父が健在だった頃までは、
東京の郊外で農家をしていて、戦前からの小作人の助力を得たりし、程々の広さの田畑を耕していた。
この頃は、江戸時代からの名残り農家の六人組で、
餅つきなどの場合でも、お互いに20日過ぎた頃から、
この日はあそこの家で餅つきをする互いの助成制度の風習が残っていた・・。

私はこうした一面の情景をこのサイトで、
【呑んべえの予感した頃・・♪】
と題して、2005年5月1日に投稿しているが、再掲載をする。

【・・
私が小学1年の頃だったので、昭和26年の年だった。
祖父と父は、東京の郊外で農業をしていたので、
年末近くになると、餅を搗(つ)いた。

祖父の家を含み、六軒の家で交互に手伝う習慣となっていた。

祖父の家の順番になると、もち米を精米にし、水に漬けた後、
その当日になると早朝から二つ大きな竈(かまど)に火をいれ、
二尺程の正方形の蒸篭(せいろ)を幾重にも重ねて、蒸した。

ご近所の主人たちが5人来てくださり、それに私の家の人である。

午後になると、杵(きね)で臼(うす)の蒸されたもち米を搗いた。
すべて手作業なので、労力のいる時代だった。

餅になると、お供え、長方形ののし餅、とそれぞれに作っていた。
長方形ののし餅は、長方形の板で形を整え、片栗粉でまぶした。

年末から正月のお雑煮、七草を得て、
その後、ときたま2月の上旬まで食卓に出されることもあった。

このために、のし餅などは10畳の部屋を二つ使い、廊下まではみ出していた。

夕方の6時頃になると、搗きたての餅をあんこ、大根のからみ、きなこ用に
それぞれ作り、夕食がわりとなった。

ご近所の主人たちには、酒が振舞われ、茶碗酒として出された。

こうした時、ご近所の叔父さんが、私に云った。
『XXちゃん・・何を食べるの・・』

『う~ん、大根の辛いの・・』
と私は云った。

『そうかい、からみねぇ・・
XXさん、この子きっと呑んべえになるね・・』
と赤い顔した叔父さんは、笑いながら私の父に云った。


この数年後に父が亡くなり、祖父も他界したので、
私の家は急速に没落しはじめた・・。

そして昭和32年の頃になると、
私の周囲の家々も時代の波が押し寄せ、住宅街に変貌し、
このような風習は、消えた去った・・。

・・】


このように綴ったりしていたが、私にとっては替え難い愛惜感もあり、
涙を浮かべそうになりながら、微苦笑している。




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私が魅了された2008年の3冊の本は・・♪ ④ 理由その③ 佐々木俊尚・著の『ブログ論壇の誕生』

2008-12-29 10:22:00 | 定年後の思い
この本に関しても、このサイトで10月19日に於いて、
【佐々木俊尚・著の『ブログ論壇の誕生』・・。】
と題して投稿しているが、あえて再掲載する。

【・・
過日、偶然に本屋で佐々木俊尚・著作の『ブログ論壇の誕生』(文春新書)を見かけ、
新書の帯の表には、
【新しい巨大な 言論の波
    マスコミを揺るがし 政治を動かし
         旧弊な言説を 一掃する】
と明記されていた。

http://www.bunshun.co.jp/book_db/6/60/65/9784166606573.shtml

そして、カバーをめくると、
【インターネットの世界に出現した巨大なブログ論壇。
その新しい言論は、古い言論を支配していた団塊世代と
激しく対立し超克しようとしている。
新たな公共圏生成のインパクトをレポート。】
と明記されていた。


著作者に関しては、『グーグル~既存のビジネスを破壊する』(文春新書)、
『次世代ウェブ~グーグルの次のモデル~』(光文社新書)、
そして『ネット未来地図』(文春新書)を読んできた・・。
私は年金生活の64歳の拙(つたな)い身であるが、
ITの世界に不明が多いので、この他の関連した本を10冊前後読んでいるが、
特に佐々木俊尚氏は解かりやすく綴られているので、
信頼できる著作者のひとりとなっている。


今回の『ブログ論壇の誕生』は、

Ⅰ ブログ論壇はマスコミを揺さぶる
Ⅱ ブログ論壇は政治を動かす
Ⅲ ブログ論壇は格差社会に苦悩する
Ⅳ ブログ論壇はどこへ向うのか

各章に於いて、教示されられことが多いが、
私としては、《Ⅲ ブログ論壇は格差社会に苦悩する》に
衝撃を受けて、ここ数日考えさせられたのである。

この中で、第8章として、『辛抱を説く団塊への猛反発』がある。

【『官僚出身教授に対する猛反発』

橋本久義・政策研究大学院大学教授が投稿したコラムで、
タイトル『我慢を知らない若者では勤まらない』と題して、
『日経ビジネス』のオンライン版に2007年10月9日号掲載された。

・・派遣社員やアルバイトのよう非正規雇用労働者は、愛社精神が薄い。
「若者の方にも問題がある。
清潔な職場で、仕事が楽で、給料が高くて、転勤がなくて、
誰もが名前を知っているような企業以外はお断り」
というような条件で仕事を探すから、希望の就職先が見つからないのではないか、と指摘である。

そしてコラムの結論として、
日本の将来のためには若者に「我慢」や「辛抱」を教え込み、
若者を正社員にしたくなるように鍛え上げなければならない、
と投稿された。


これに対して、インターネットの世界から猛烈な反発を受けた。

橋本教授に対する批判内容を大別すれば・・

①我慢をしないのは、我慢しても報われないからだ。
 若者たちを、非正規雇用に落とし、
 見返りも与えずに、「我慢をしろ」といわれても無理だ。

②そもそも現実の若者の多くは、
 「我慢を知らない」どころか、非正規雇用に耐え、
 過労死するほどに働かされているのが現状ではないか。

③技術が伝承されないのは、
 企業が短期的なコスト削減に目が眩み、
 に切り替えてしまったツケが回ってきているだけでないか。
 その責任をなぜ若者に帰するのか。
・・】


『激烈な世代間対立』

・・多くの若者は、我慢して辛抱しながら、
安い給料や非正規雇用に耐えているいるのが現実なのだ。

1990年代末、金融危機のさなかに
山一證券や北海道拓殖銀行などの大手の金融機関が次々と破綻し、
若者たちは「もう大企業に頼れる時代ではなくなった」
ということを実感させられた。

そしてほぼ同じ時期から、企業の徹底的な人材コスト削減が始まる。
グローバリゼーションの中で、台頭するアジアや南アメリカの企業と
競争していくためには、
コスト削減は避けられない方向性だったとはいえ、
しかしその結果として切り捨てられた若者たちにとっては、
それはあまりにも過酷な運命であった。

そして2000年代に入ると、事態はますます深刻化する。
小泉改革によって派遣労働規制が緩和され、
非正規雇用がさらに加速してしまったからだ。
この結果、ワーキングプアと呼ばれるような貧困層が激増し、
格差社会化はさらに進んだ。

この荒波をまともに受けてしまったのが、
ロストジェネレーション世代(注・引用者 1970年代~1980年代の初頭に生まれ、
就職時に雇用の機会が余りにもなく、就職氷河期の世代とも別称)である。

彼らが・・書き込みやブログのエントリーを見わたせば、
そこには将来への不安、人材を切り捨てている企業への怒り、
格差社会への絶望が渦巻いているのが、鮮烈に読み取れる。
・・
若者たちの怒りは、団塊をはじめとする上の世代へと向かいつつある。

これは激烈な世代間対立なのだ。

そしてこの対立は、メディアを巻き込んでいる。
・・中高年ビジネスマンを主たる読者層とするメディアでは、
「いまどきの若者はだめだ」
「われわれのころと比べると、辛抱が足りない」
といった若者観が幅を利かせている。
これはテレビのニュース番組や新聞も同様だ。

こうしたメディアの記事を読んで、
ロストジェネレーションの若者たちは・・
なかば絶望的な気分で冷笑するのみだ。
彼らの世代を代弁してくれるのはマスメディアではなく、
いまやインターネットの掲示板やブログになってしまっているのである。

一方で、団塊の世代の人たちは、
インターネットのことはほとんど知らないし、
掲示板やブログでどのような言論が展開されているのかも把握していない。
マスメディアが体現する団塊世代の言論空間と、
ネットで勃興しているロストジェネレーションの言論空間の間には、
深く暗い河が流れている・・


長々と引用させて頂いたのであるが、
このような著作者の綴られた内容に、私は衝撃を受けたのである。


私は昭和19年に生を受け、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしながら、アルバイトや契約社員をした後、
25歳よりある大手の企業に何とか中途入社できたのである。
そして、この会社の一部門がレコード会社として独立し、
中小業となり35年近く勤め、定年退職となったのは、平成16年の秋であった。

50代の初め、外資百パーセントの会社に変貌し、
業界、会社も盛んにリストラが行われ、私も50代のなかば、
出向となったのである。
物流情報会社のある物流センターに勤務したのであるが、
正社員は私を含めても4名で、若手の男性はアルバイト契約、契約社員が10名、
そして女性のアルバイト契約が100名前後の職場であった。

ここで特に若手の男性のアルバイト、契約社員の雇用実態、
安い給料、将来性のない職場の実態を知り、
私は彼らがなぜ将来性のある会社に移らないのか、
最初は不思議と思ったのであるが、本音でいえば希薄であったのである。
私も週刊の『日経ビジネス』を愛読していたので、
50代の初めの頃から、若い人は就職で大変と、就職氷河期の人たちを
思ったりしていたのであったが、漠然としていたのである。

そして、まもなく若手の男性たちと懇親を重ねるうちに、
少しつづ過酷な世界の現状を知ったのである。

私達の世代、少し後輩の団塊世代の多くは、
50代に於いて、リストラで早期退職優遇制度で退職させられたり、
或いは異色な人事異動があったにせよ、
私と同様に正社員として既得権のように勤め続け、
就職氷河期の彼らの就職の機会を奪ったのは確かなことである。

私は定年退職後、働くことをやめて、年金生活に入ったのである。
共に同じ空気を長きに共にした人が、定年前に無念ながら退社されたり、
再就職は就職氷河期の彼らの就職の機会を更にうばう、という心情も重ねたりし、
そして何より私自身が心身疲れきっていたのである。


このような軌跡もあったので、
この本で明確に提示した、団塊の世代の人たちと、ロストジェネレーションの言論空間は
単なるネットの問題を遙かに越えた社会問題の一冊と感じ、
確かに深く思考される日本の大きな問題のひとつである。

私は佐々木俊尚・著作の『ブログ論壇の誕生』から多く学び、
世代を超えて読んで頂きたい、と確信しているひとりである。
たとえ年金生活の方で、真摯に次の日本を背負う若者たちに少しでも理解をするならば、
彼らの汗の結晶の働いてくれた税金からの1部がやがて循環し、
年金となり受給しているのだから、少なくとも目は離せないのである。
このような思いになると、必読書かしら、と深く考えているのである。

・・】


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我家も、昨夕から年末年始の休暇・・♪

2008-12-29 10:06:01 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨日は風もなく穏(おだ)やかな冬晴れであった。

私達夫婦は、家内の母の来宅時を心配していたが、
例年より早く3時前に我家に到着した。

『おかあさん・・早かったじゃないの・・
でも・・良かった・・夕方の寒くなる前で・・』
と私は、家内の母に微笑みながら云った。

我家では、これからの年末年始に於いて、
私達夫婦と家内の母の3人で生活を共に過ごすのは、
今回で5度目である。

家内の父が死去されて、独り住まいとなった家内の母に、
年末年始の時は、我家に来て頂きたい、と私達夫婦の発案であった。

居間の20畳ばかりに一角に6人用の炬燵で設置し、
奥の6畳の和室と書棚の3畳のスペースで休んで頂くのが、
恒例となってきている。

居間の炬燵の中で私達夫婦は、
家内の母から八千代市の自宅から我家までの年の瀬の街の情景を聴いたりした後、
今年、私達3人で旅行で訪れた話となった。
家内、家内の母はビール、私は弐合徳利の純米酒の辛口を呑みながら、
ささやかな料理を食べ、談笑したのである・・。

2月の中旬に箱根の姥子温泉に7泊8日で滞在し、
芦ノ湖の遊覧船に乗船したり、ロープーウェイを利用し、
周辺を観て廻ったりした・・。

5月の下旬には、富山市の郊外の呉羽山温泉に5泊6日で滞在し、
富山市の街並み、周辺の公園、観光地などを散策したりした。

8月の初旬になると、直江津港から佐渡島を訪れて、
両津港の郊外にある温泉地で3泊4日で滞在し、
島内の観光地を観たりしたのである。

このように今年は、私達3人で訪れたささやかな旅行であったが、
家内の母の希望した場所もあったので、それなりに心の思いは深く残った、
と私に熱っぽく話された・・。

こうした話題をあの時は・・などと話し込めば、
2時間ばかりの酒宴は過ぎてしまった。

私は9時過ぎには寝室の布団の中で読書としたが、
30分ぐらいで寝付いてしまった。


今朝は3時過ぎに目覚め、4時頃からパソコンで投稿文を認(した)めた後、
配達された新聞を読んだりしていた。

そして7時過ぎに、11時過ぎまで母と炬燵の中で・・、と私は家内から聴き、
私は微笑みながら、我家でも年末年始の休暇が始まった、
と実感したりしている。



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