私はここ数日、年賀状の親族、親戚、知人、友人等に
数種類の文面を考えた結果、昼前後のひとときプリントした。
宛名のソフト『筆まめ』を愛用しているが、
葉書の表面をプリントしている時などは、そのお方のことを思ったりしていた。
わずか、その人、そのお方はたった1分前後であるが、
幼児、少年期にあの叔母さんにお世話になった・・、
中学時代の時の友に、あの時は助けられた・・
就職、結婚の人生の節目に、あの奥様に多大な暖かな言葉を頂いた・・
サラリーマンの時代にあの上司に、あの時のアドバイスがなければ・・
友のさりげない激励・・
このような人生のさまざまな瞬時の情景が甦(よみがえ)るのである。
私は年金生活の五年生であるが、
こうした折、私なりに拙(つたな)い人生を歩んできたが、
改めて多くの助けを頂き、今日を迎えることが出来ている、
と実感したりしている。
そして、過日、私は【たとえ年賀状でも、創意工夫で認(したた)め・・♪】
と題して、
このサイトに投稿した綴りを読み返したりしていた・・。
【・・
私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、
年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。
元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。
そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。
一番困るのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。
例えば、
賀正
本年もよろしくお願い致します
謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます
私はこうした年賀状を拝読すると、がっかりするのである。
たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、
何か創意工夫が必要である、と思っているのである。
私は小学生の時、『習字』の授業は怠けていたので、毛筆で達筆は夢の世界であり、
『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目である。
或いは、デジカメでその人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが技量がなく、断念しているのである。
やむえず、私なり散文で綴っているが、
独創性のある文体で、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案しているのである。
この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分けているのである。
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、
私なりに工夫した文面を作成している。
古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、粗末にはできないのである。
・・】
このように私は少し気負って綴っていたが、
まだ私は人生のなかばで青臭いかしら、と微苦笑したりしている。
にほんブログ村
数種類の文面を考えた結果、昼前後のひとときプリントした。
宛名のソフト『筆まめ』を愛用しているが、
葉書の表面をプリントしている時などは、そのお方のことを思ったりしていた。
わずか、その人、そのお方はたった1分前後であるが、
幼児、少年期にあの叔母さんにお世話になった・・、
中学時代の時の友に、あの時は助けられた・・
就職、結婚の人生の節目に、あの奥様に多大な暖かな言葉を頂いた・・
サラリーマンの時代にあの上司に、あの時のアドバイスがなければ・・
友のさりげない激励・・
このような人生のさまざまな瞬時の情景が甦(よみがえ)るのである。
私は年金生活の五年生であるが、
こうした折、私なりに拙(つたな)い人生を歩んできたが、
改めて多くの助けを頂き、今日を迎えることが出来ている、
と実感したりしている。
そして、過日、私は【たとえ年賀状でも、創意工夫で認(したた)め・・♪】
と題して、
このサイトに投稿した綴りを読み返したりしていた・・。
【・・
私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、
年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。
元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。
そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。
一番困るのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。
例えば、
賀正
本年もよろしくお願い致します
謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます
私はこうした年賀状を拝読すると、がっかりするのである。
たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、
何か創意工夫が必要である、と思っているのである。
私は小学生の時、『習字』の授業は怠けていたので、毛筆で達筆は夢の世界であり、
『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目である。
或いは、デジカメでその人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが技量がなく、断念しているのである。
やむえず、私なり散文で綴っているが、
独創性のある文体で、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案しているのである。
この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分けているのである。
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、
私なりに工夫した文面を作成している。
古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、粗末にはできないのである。
・・】
このように私は少し気負って綴っていたが、
まだ私は人生のなかばで青臭いかしら、と微苦笑したりしている。
にほんブログ村