市民の広場「ひこばえ」で開催されたコトパンジャン・ダム裁判の報告会に参加した。
当ダムは、1996年、日本からのODA(政府開発援助)約312億円で、日本企業によって建設された。約5,000世帯、23,000人の家や農地が奪われ、強制移住先は、水も手に入らないほどの不毛な土地。農業ができなくなり、住民たちは、満足な食事もできず、子どもたちは学校をやめざるをえない、などといった生活を強いられた。そこで、日本政府を相手に損害賠償を求める訴訟を起こしたが、9月10日に東京地裁は、被害すら認定せず、日本政府は責任がないと原告敗訴の判決をした.
私たちの税金や郵便貯金などから拠出されたODAが、ここまでインドネシアの人々の生活をつぶし、苦しめている事を知り、驚き、怒りを感じた。ODAは、もういらないという現地の方の声を大切に、少しでも多くの方に伝えたいと思う。
当ダムは、1996年、日本からのODA(政府開発援助)約312億円で、日本企業によって建設された。約5,000世帯、23,000人の家や農地が奪われ、強制移住先は、水も手に入らないほどの不毛な土地。農業ができなくなり、住民たちは、満足な食事もできず、子どもたちは学校をやめざるをえない、などといった生活を強いられた。そこで、日本政府を相手に損害賠償を求める訴訟を起こしたが、9月10日に東京地裁は、被害すら認定せず、日本政府は責任がないと原告敗訴の判決をした.
私たちの税金や郵便貯金などから拠出されたODAが、ここまでインドネシアの人々の生活をつぶし、苦しめている事を知り、驚き、怒りを感じた。ODAは、もういらないという現地の方の声を大切に、少しでも多くの方に伝えたいと思う。