私は学士会の会員で定期的に学士会会報が送られてくるが、最近送られてきた「第913号」(2015年7月号)は内容のあるものだった。この号は明示されてはいないが「戦後70年総括」と言う特集を意識したものと思われ、元東大総長の佐々木毅氏をはじめとして何人かが異なった側面について寄稿しているが、私にとって印象的だったのは小峰隆夫氏の「日本経済の歩みから学んだこと」と保坂正康氏の「昭和史から学ぶこと」である。それほど長くはないので本文を読んでいただきたいが内容を簡単に紹介する。
小峰氏は通産省で経済白書の作成などの深く関わった経済官僚であり、経済面から戦後日本を振り返っている。第1次、第2次の石油危機やニクソンショックによる円対ドルの変動相場制の導入により1ドル360円から250円に変わった時や、その後のプラザ合意により1ドル120円まで上がった時の影響や、バブル時代とそれが破裂した後処理、財政再建の問題などに関して経済白書に「国民が不安に思うから」と言う理由で政治家からの横やりが入り記述を外されたと言う裏話などが書かれている。著者は「資産性の向上無くして経済の活性化無し」を結論としているが、私にはむしろ現実を直視しない、あるいは国民に見せない政治家の姿勢への問題意識が印象的だった。
保坂氏の内容は第2次世界大戦中の日本政府の政策を直視すべき、と言う内容である。戦争中は政府は特殊なことどうをするものだが、それを考慮しても、この時期の世界史的に見た日本政府の特殊性として
①軍が政治を動かした(首相よりも軍が上に立った。ヒットラーは首相になっていた)
②兵士を確実に死なせる軍事作戦(特攻、玉砕戦)の採用(こういう作戦を取った国は無い)
③捕虜の扱いをめぐる国際条約の無視(戦争にもルールがある)
を挙げている。軍内部にも色々な意見があり、著者は石原莞爾と東條英機の違いなどを解説している。今、政府は第2次世界大戦を「現代」から「過去」に移そうとしており、「過去」になってしまう前に我々の歴史観を確立すべきだろしている。
私もこのブログに何度か書いているが、この時期の日本政府を日本人としてどう見るか、「我々の過去の一部」と見るのかドイツのナチスに対する姿勢のように現代日本人も彼らを否定するのかは現代日本人にとって重要なテーマであると思う。
このブログの読者には学士会員の方もおられると思う。普段は読まずに古紙回収に出される会報かもしれないが、今月号は読んでみられることをお勧めしたい。
「軍が政治を動かした」:
統制が取れておらず官僚主義に陥っていたということだと思います。陸軍、海軍すら統制が取れておらず各々好きなことをやっていた印象です。戦時中にも関わらず首相がコロコロ変わっていたので本気で戦争したかったとは思えません。軍のせいというより暴走(?)を許した政府の責任です。
「兵士を確実に死なせる軍事作戦」:
負けたら虐殺されるとすればある程度納得がいくのではないでしょうか。旧ドイツ空軍でも特攻はありましたので、敗戦直前の混乱期特有のものかと思います。特攻を賛美するわけでは決してありませんが、”個人の意思に反して”行われたのが問題というのであれば”徴兵”自体もそうであり、程度問題ではないかと思います(当時、徴兵は普通でした)。特攻賛美は論外ですが、取り立てて避難するのはそれこそ戦後思想のように思います。
「捕虜の扱いをめぐる国際条約の無視」:
当時の国際法違反を語りだすと枚挙にいとまがありません。済南事件、通州事件は言うに及ばず、東京大空襲、広島原爆投下、長崎原爆投下は歴とした民間人虐殺です。だからと言って破って良いというわけではありませんが、自国の一方的な反省ばかりでは客観性がないということです(戦後レジームの域を出ません)。
戦後レジームの中でいくら奮闘しても戦後レジーム的な帰結しか生まれません。戦後を総括するには自国の反省だけではなく、当時の世界情勢全体を鑑みるべきです。保坂氏の論旨の中からは、ソ連(コミンテルン)の目的、中国共産党の画策、GHQによるWGIP政策などの他国からの視点がごっそりと抜け落ちています(抜け落ちている理由もWGIPの効用ですが)。保坂氏は大量の資料(主に国内)に当たって客観的に論旨をまとめようとされているが故に、戦後レジームから抜け出せずにいると思います。専門家ならばGHQによる焚書(国会図書館にはいくらか残っているようです)にも中立的な立場で目を通すべきかと思います。洗脳から抜け出す(もしくは洗脳にかからない)ためには、騙されていることを”意識する”ことが最も必要です。
「戦争に伴う興奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に基ずく流言飛語と是等興論なるものも、いつか冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。是時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されよう。」
現在の日本では、まだ、このしがらみから抜け出られない人が多いようで、その意味で米国が導入したWGIPの効果がいまだに浸透していることがよくわかります。
UCS-301さんが指摘するように、一部の戦争犯罪だけを取り上げて云々することも大切な場面はありますが、むしろ、その事象を取り巻く地政学的、経済情勢などを考えながら、日本がどうしてそのような道を進みはじめたのか? それに対して米国、ドイツ、中国(蒋介石、毛沢東)は、どのような国内問題を抱えて、どの様に対応したのか? 等を複眼的に見れば、日本が反省すべき点、相手の事情を指摘する点、もっと居直ってもいい点等があると思います。現在の極東情勢からみて、どうすべきかはあまり変な結論は出てこないと。思います
もちろん、自虐史観にこだわって、それが中国・朝鮮から好意的に見てもらえる唯一の道だと偏執的に主張しているA新聞などは別として。
その意味で「近代史、現代史」を今の学校ではあまり時間を割いて教えていないように感じます。
中国では、共産党が成立するまでと、成立以後では、時間の配分が日本とは大違いです。どちらの国が、本当に豊かになれるのかは、もう少し時間をかけてみる必要があるでしょう。