ウィトラのつぶやき

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3GPP Release4へ向けた動き

2011-07-12 08:07:12 | 昔話

最初の3GPPの仕様がまとまり、2000年に入って3GPPは次の仕様書の作成に向けて動き出した。次の仕様書はRelease4と命名された。Release'99が1999年に発行された仕様書なら次はRelease'00となりそうなものであるが、毎年1回仕様書を発行するのは無理があるということで年号とリンクしないで仕様書のバージョンとリンクさせようということになったのである。Ver1.0は未完成であるが一応紹介するに足るレベル、Veri2.0は承認を求められるレベルまで完成度が上がったもの、Ver3.0以降が正式仕様書となる。Release'99はVer3.0となり次の正式仕様書はVer4.0となることからRelease4と呼ばれることになった。現在3GPPではRelease10が固まりRelease11の審議に入っているので、1年ちょっとで1リリースと言える。

Release4は時間的に99年中に間に合わせることを目標に急いで作ったRelease'99の弱点を補強することを主目的で作っていたが新しい技術もあった。その一つは中国提案であるTD-SCDMAの正式仕様化であった。これは送受同一周波数を用いるTDD方式であったためLow Chip Rate TDDと呼ばれた。3GPP設立前に大議論をしたRelease'99のTDD方式のTD-CDMAはいまだに商用化されていないが、このTDS-CDMAは中国で徴用サービスが始まっている。

もう一つのRelease4の目玉はIP Transportであった。Release'99のノード間インターフェイスはATM(Asynchronous Transfer Mode)と呼ばれる、画像伝送に適したインターフェイスだったのだが、世の中の流れがIP技術に向かっているため、IPを3GPPのノード間インターフェイスで使えるようにしたものである。これは無線プロトコルなどには一切手を入れず、基地局の識別番号をATMのアドレスに加えてIPアドレスでも良いことにしようという動きだったのでそれほど抵抗なく受け入れられた。このATMとIPは90年代に大議論になり、通信業界はATM、コンピュータ業界はIPを押しており、私自身無線ATMの論文を書いたりしていたので最初3GPPの仕様はATMを使うことになった。しかし、今はすっかりIP全盛になっている。画像よりデータがトラヒックの中心だったということを意味している。

この時のエリクソンの動き方には感心させられた。エリクソン自身、通信業界の会社なのでATMを押していたのだがいち早くIP化に眼をつけた。これだけなら技術のトレンドを読んだというだけのことなのだが、エリクソンはその標準化に際して、IP技術の標準化をしているIETFと3GPPを連携させようとして動いたのである。つまり、IP上で無線のために何か新しい機能を作る必要が出てきたときに3GPPが自分で作らずにIETFに依頼を出して動いてもらえる体制を作ろうとしたのである。最初のうちはIETFからは殆ど相手にされずに難航していた。しかし活動を継続し半年も経つと次第に認知されて相手も土俵に乗ってくるようになる。仲介役の仕事を任された人物も最初は頼りない感じだったのだがどんどんしっかりしてくる。

ある程度、双方の意識があってきた段階で、3GPPとIETFの幹部同士の意見交換会があった。3GPP側は私を含む議長連、IETF側はエリア・ディレクターと呼ばれる人たちであった。話をしてみて連携の難しさが良く分かった。3GPPの側は会社が単位となっており、目標設定をしてゴールに向かって突っ走るというやり方に慣れている。一方IETFのほうは大学教授が中心で、良いものは作ってみようという姿勢である。仕様ができたからと言って使われるとは限らない。ボトムアップ的アプローチである。IETFは既存の権威に頼らず草の根的に広がってきたものが世界から注目を浴びるようになってきたものなので上から命令されることを非常に嫌う体質がある。価値観が全く違う団体であることを認識させられた。

それでも、IETFとしてもモバイルネットワークは将来のために重要であるという認識があるので、それなりに話は聞いてくれる。3GPPが頭を低くしてお願いする、という体制だった。こうしてお互いに相手のやり方に不満を持ちつつも現在まで関係は続いており、3GPPのネットワークはインターネットと整合を取りつつ進んでいる。こういう難しい仕事を大きなエネルギーをかけてやり遂げるところにエリクソンが通信業界でトップ企業となった源泉があると思う。


 


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