チュニジアで始まったネットを使った勢力による中東の民主化運動はどんどん広がっている。エジプトのムバラク大統領も退陣に追い込まれたし、バーレーン、リビア、イエメンなどでも動きが広がっているようである。今の勢いは中東全体に広がりそうである。
昨夜のNHKの特集で見たのだが政府は言論統制とか弾圧とかをかなりやろうとしたらしい。しかし、ネットでの広がりは早く、更に欧米のハッカーなどが政府のシステムを攻撃して、広がりを止められなかったというのが実態のようである。
最近中東のニュースを聞くと、リビアはカダフィー大佐が今でも君臨しているらしい。40年以上の長期政権である。カダフィー大佐は革命で実権を握ったはずだが、今回の暴動に対して大佐の息子が出てくるなど、実質はカダフィー王朝になっているような感じである。バーレーンや、イエメン、サウジアラビアなども国王が支配している。バーレーンは立憲君主制で最高権力者は国王だが、議会があってサポーターは選挙で選ばれる等になっているらしいが、サウジアラビアは王政で、国王が人事を決めることになっているらしい。
どうも、今回の中東での動きは欧米に近い、比較的規制の緩い国から火が付いている感じがする。チュニジアも女性の権利などを積極的に認める大統領だったらしいし、エジプトも中東の中ではアメリカ寄りだった。バーレーンもアメリカ寄りである。リビアは全く違うが、これまでで一番強硬に弾圧している感じがする。欧米寄りの統制の緩い政権は倒され、強硬に弾圧する政権は残るとなったときに、今後中東全体がどういう方向に向かうかが気になるところである。
1979年にはイランでホメイニ氏によるイスラム革命が起こり、当時のパーレビ国王が亡命したが、その後のイランは果たして民主化されたと言えるのかどうか疑問に感じている。ホメイニ氏は大統領よりも上の最高指導者という立場で終身制である。パーレビ王朝がホメイニ王朝に変わっただけではないか、という印象がぬぐえない。なお、日本ではパーレビ国王と報道されていたが、欧米ではシャーと言われていた。シャーとは誰のことか分からず苦労したことを記憶している。正式には、Mohammad Rezā Shāh Pahlaviというらしく、パフラビーという性をパーレビと誰かが訳したらしい。これは性であり、名前はシャーのようである。
当時もテレビで民衆がデモなどをしている映像が流れていたが最近の映像は当時を思い起こさせる。当時も今も映像を見ると中東の人は激情型でデモなどがあっという間に広がるような印象がある。日本で言えば1960年代の大学紛争があっという間に全国に広がったような感じではないだろうか。そして民衆は民主主義というものを良く理解していないままに、革命的に政権が倒れる。結果として、イランやリビアのように支配勢力が入れ替わっただけのような体制になっている。今回もそうなるのではないかという感じがする。
新しい支配を目指して色々な勢力がうごめきまわる。その中に宗教と人権、イスラエル問題などが混在してどうなるか予測がつけがたい感じがする。
翻って、日本の民主主義はどうなのか?
明治維新によって選挙制度は導入されたが最高権力者は天皇で世襲制だった。本当に民主主義になったのは第2次大戦後だが、これは上から与えられた民主主義だった。その後も個別の案件に対する国民投票は行われておらず、人事のための投票(選挙)が行われているだけである。日本国民が政策を考える機会は少なく、民主主義もまだまだ未熟なのではないかと思っている。
現在の二院制、一票の格差、ねじれ国会、議員内閣制等を考えると、すでに制度自身が複雑すぎるように見えます。日本も久しぶりに政権交代をして、色々と制度的な問題も分かってきました。つまり、制度自体は「進み過ぎている」のではと思います。もう少しすっきりした形で、「民意」がストレートに表れるようにするのが一番と思います。但し、国民も移り気です。とにかく今の民主党政権に対する不満が大きくなっているのはわかりますが、まだ任期の半分です。もう少し様子を見ましょう。
一方の「国民が未熟」の点については、その通りです。形式的にであれ、まず民主主義的な制度が確立していること。自由に立候補が可能であること。選挙民が、自由意思で投票できること。ここまで揃っていれば、あとはその結果に最終的には国民が責任を負うのですから。各国で国民が責任と思慮のある選択肢を選んだのであれば、あとはその国に任せるしかないですね。
マスコミは色々と変化があった方が「自分達の存在意義が上がる」錯覚に陥りやすが、それを見抜く力が国民の側に不足しているのであれば、安っぽいyellow journalismがはびこるのは致し方ないですね。こればっかりは、色々な形で規制するわけにもいかないでしょう。