スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

旧東海道・戸塚宿④

2010-11-09 | 旧東海道


富塚八幡宮を出て、またR1を西へ歩いていきます。



車の往来が相変わらず多いR1の、沿道の左側に
ファミリーレストランの建物。その入口近くに、
上方見付跡



戸塚宿の京都側の入口があった所で、「江戸方見付」からは約2.2km。
ここから西へ、浮世絵などにも登場する長い「大坂」の上りになります。

では、‘猫’もこのファミ・レスでちょっと一服
気合いを入れ直して「大坂」に挑むとしましょう!



大坂
約1kmにわたって長い上り坂が続きます。
当時は、今よりずっと急勾配で道幅も狭く、戸塚を過ぎて
次の藤沢宿へ向かう旅人にとっての難所だったようです。


「上方見付」のすぐ先の右側に、赤銅色に光っている鳥居と社殿。
第六天神社



鳥居も社殿も境内も、まだ新しいようですが・・
説明板もなく、由緒などは分かりませんでした。

まもなく沿道の右側に、8基の道祖神が並んでいました。
「元禄」「延宝」などといった年代が刻まれています。





左手に高層マンションなどを眺めながら、大坂の坂上に来ました。



天気の良い日に、松並木から素晴らしい富士山が
眺められるところから、多くの浮世絵の画題となりました。



説明板によると;
1932(昭和7)年に坂の改修工事が始まり、頂上を削り下の方は
10mほど土盛りをしてなだらかな坂にしました。現在の大坂に
なるまでには、数回の改修が行われたそうです。


道理で!
スゴい坂だと思って気合いを入れて歩き出したのに、
拍子抜けするほど緩やかで、え、え~っ?という感じだったので。
たしかに、だらだらと続く長~い上り坂でした。


「西国際総合病院前」バス停の左側、石囲いの中に
お軽勘平戸塚山中道行の場」碑



歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』に因んで建てられたものでしょう。
「ここは戸塚の石高山・・・」の旧跡ということでしょうか。

「日本橋から46km」という道標があります。



画像の右手に見える中央分離帯は、当時の松並木の跡だそうです。
が、現在は松の木ではありません。




「原宿第一歩道橋」を過ぎ「吹上」交差点で、右からの横浜新道と合流します。

「吹上」バス停の先、左側に
原宿一里塚跡



江戸から11番目の一里塚で、塚の付近に茶店などが
あったので、「原宿」と呼ばれるようになったようです。
塚は、1876(明治9)年に取り払われてしまいました。

やがて、道路の右側に
浅間神社



創立は、室町・永禄年間(155869)。 当時盛んだった富士信仰を
もとに、村内安全を祈願して勧請された原宿地区の鎮守社です。

「原宿第二歩道橋」の袂に
大運寺

     

安土桃山時代からある、浄土宗のお寺のようです。
閉ざされた門扉には、三つ葉葵の紋どころ。
広い境内といい立派な本堂といい、さだめし由緒のある
お寺なのでしょうが、説明板がなくて分かりませんでした。

「大運寺」のすぐ先が渋滞で有名な、あの「原宿」交差点です。
只今 道路工事中で、一層ゴタゴタしている感じですが
早晩 車の流れももっとスムーズになると思われます。

ちょうど「大船」駅行きの が来たので、今回は此処を終着点としましょう


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