「正宗」に関わる場所が、ほかにもありました。
先日訪ねた源氏山公園の中にある「葛原岡神社」の境内に
「合鎚稲荷社」
「合鎚」は、鍛冶で互いに鎚を打ち合わせることをいうそうです。
正宗の子孫が北条氏綱から与えられた無量寺ヶ谷の屋敷内に
あった屋敷神を、2013(平成25)年 この場所に遷したとか。
「本覚寺」
ご本堂の前に、江戸の刀匠達が建立したという立派な石碑が立っています。
「五郎入道正宗碑」
墓地に入ると、右側の植え込みに囲まれた一画に 宝篋印塔が一基。
岡崎五郎入道正宗のお墓と伝えられます。
「戌子 正月十一日 心龍墓 俗名 正宗」とあります。
嘗て 七里ガ浜に注ぐ河口の辺りでは 砂鉄が産出したといわれ、
そのことから、刀剣などの鍛冶産業が発展したと考えられます。
正宗に関しては、生年・没年を含め不明な点が多いとされていますが、
「相州伝」と呼ばれる作風を確立し 多くの弟子を育成して、後世に
影響を及ぼした刀匠であったことは 間違いのないところでしょう。
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