スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

『蜜柑』の碑

2015-07-05 | 横須賀・三浦


35歳の若さで世を去った文豪 芥川龍之介は、結婚して
鎌倉に移るまで 横須賀・汐入に住んでいたそうです。

そんな横須賀に縁のある文豪の文学碑を訪ねてみました。




JR「横須賀」駅から R16を上り方向へ歩いて行くと、
「逸見(へみ)隧道」

全長 157m  1928年築


トンネルを抜けてほどなく、右手奥に
「吉倉公園」


思ったより広い公園で、児童遊具やあずまやのある広場と
藤棚で隔てられた向こう側の広場では、少年野球の練習中。


JR横須賀線の電車が すぐ横を走る広場の片隅に

1986年 建立

東京帝国大学を卒業後の約2年4か月、横須賀の海軍機関学校で
英語科の教官をしていた芥川龍之介は、鎌倉への帰路の列車内で
体験した出来事を題材にして 『蜜柑』という小品を書きました。

その一節が、黒御影石の碑に刻まれています。


蜜柑
或曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の
隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待っていた。
(中略)
するとその瞬間である。 窓から半身を乗り出していた例の娘が、
あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち
心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、
汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。
私は思わず息を呑んだ。 そうして刹那に一切を了解した。
                         芥川龍之介


当時 作家と教官という二重生活の苦労による暗い気持ちが
一瞬温かな明るい気持ちへと変わる様子が、「トンネル」と
「蜜柑」の鮮やかな対比を通して伝わってきます。

「トンネル」も「蜜柑」も横須賀の名物。 昔読んだときには
知らなかったそんなことも、今回はおもしろく感じました。

              



それにしても、
気になりますよねぇ・・台風3兄弟
なるべくお静かに 通り過ぎてほしいものですが・・・


 

コメント    この記事についてブログを書く
« 七夕まつり | トップ | 初‘美人’2015 »

コメントを投稿

横須賀・三浦」カテゴリの最新記事