前回は神奈川宿のこの上台橋まで歩いたので、
今回はこの場所から、その先の「西区歴史街道」と書かれて
いる、西の方へ向かって歩いて行ってみようと思います。
どんな出会いがあるのかな?
歩き始めてほどなく、右手に
「沢渡中央公園」
横浜の夏を彩るイベント「 ヨコハマカーニバル・ハマこい踊り」は
広い芝生のこの公園からスタートします。
また少し先に、涼しげな名前の公園
「軽井沢公園」
この辺りは、江戸時代から軽井沢という地名だそうです。
「軽井沢」は「涸沢」からきているらしいですね。
遅い夏休みでしょうか、お父さんが幼い子に鉄棒を教えていました。
公園の横から少し入った所に、モダンな建物
「学陽山 勧行寺」
法華宗のお寺。
創建: 1595(文禄4)年
開山: 日養上人
本尊: 大曼荼羅 一塔両尊
境内の左手に
「近藤先生之墓」 ご神木の大公孫樹
「近藤先生之墓」は、剣道の天然理心流の流祖 近藤内蔵助長裕の供養墓。
あの新撰組 近藤勇は4代目に当たるとか。新撰組の旗が供えられています。
ご神木の大公孫樹は、市の名木・古木に選ばれています。
西へ向かって歩いていくと、T字路に行き当たってしまいました。
一瞬どう行けばいいか迷ったのですが、辺りをよーく見廻してみると目の前の
車道(R13でした)を渡った先の「八百清」という看板が出ている建物の角を
入って行く道がありました。 これが、街道の続きのような気がします。
行ってみましょう☆
やがて、右側に鳥居が見えてきました。
この道でどうやら間違いなさそう
旧道が新しい道で一旦分断されて続いている例を、これまでも
いくつか経験したので、‘猫’の勘も少しは磨かれたかも(エヘン!)
「浅間神社」
創祀: 1080(承暦4)年
主祭神: 木花咲耶姫命
説明板によると;
元々神奈川区浅間町にあって、一円の氏神様でした。のちに源頼朝が
1185(文治元)年 現在の地に浅間神社を勧請して社殿を造営したと
伝わります。その後 明治の大火、関東大震災、戦災により焼失・
復興を繰り返し、1959(昭和34)年に漸く新社殿が造られました。
更に西へ向かって歩いて行くと、二叉路になった所に
「芝生(しぼう)追分」
左は旧東海道、右は八王子道を示しています。
右へ行く八王子道は、横浜開港後 八王子方面から横浜へと
盛んに絹が運ばれたいわゆる「絹の道」です。
左側の道のすぐ先では、大勢の人が道に溢れ
威勢のいい売り声が飛び交っています。
「洪福寺 松原商店街」
噂に聞く‘横浜のアメ横’。 「キャベツ2個で100円だよ~」などと
毎日が安売デーの活気に溢れた何でもある商店街です。 スゴイ!
道路にまでせり出して置かれている商品と、人の波をよけながら
且つ安値の誘惑と戦いながら、やっとのことで通り抜けました~(笑)
(続)
あちこちに道標や説明板が設置されているので‘猫’のような
歴史オンチにも分かりやすくて、とても助かります。
この日も暑かったです・・ホント物好きですよねぇ(笑)
‘カン’もさえてきた様子。
新しい道標もうれしいですね。