伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

弔辞

2020年06月21日 | エッセー

 今まで十指に余る弔辞を捧げてきた。そろそろ今度は自分がいただく廻りになってきた。当方は一介の市井の民ではあるが、著名人はどんな弔辞で送られたのか興味はある。そこで、文春新書「弔辞──劇的な人生を送る言葉」(本年4月刊)を読んでみた。同著は月刊「文藝春秋」が2000年から翌年に掛けて連載した『弔辞』から50人分を収録したものだ。00年は連載の開始で、収録されているのは1948年(昭和23年)の太宰治へ送った井伏鱒二の弔辞から始まる。
 石原裕次郎へ勝新太郎。小津安二郎へ里見弴。市川房枝へ藤田たき.植村直己へ将暉徹。近藤紘一へ司馬遼太郎。寺山修司へ山田太一。手塚治虫へ加藤芳郎。美空ひばりへ中村メイコ。中上健次柄谷行人。司馬遼太郎へ田辺聖子。渥美清へ倍賞千恵子。三船敏郎へ黒澤明。今井澄へ山本義隆(東大全共闘の同志)。橋本龍太郎へ小泉純一郎。白川静へ長田富臣.安藤百福へ丹羽宇一郎。米原真理へ佐藤 優。植木等へ小松政夫。市川崑へ岸恵子。オグリキャップへ小栗孝一。赤塚不二夫へタモリ。など、送る側、送られる側ともに錚々たる顔ぶれである。
 目を引いたのが、
「よごれた服にボロカバン」浅沼次郎へ 池田勇人
「多情仏心は政治家の常」佐々木良作へ 中曽根康弘
「牛は随分強情だ」小渕恵三へ 村山富市
 である。タイトルは編集部が付けたのであろうが、与野党を超えた重厚な絆、ある種の連帯感、懐の深さ、人間的滋味が窺える。
 凶刃に斃れた最大のライバルに池田勇人はこう語りかけた。
「来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手であります。かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。」
 しゃがれた声に熱い心情が滲む。これは涙なくしては読めない。
 最大の政敵ではあってもともに句会を催し、弔辞は中曽根が詠むと約束までした佐々木良作元民社党委員長。元首相は率直に捧げた。
「私は政治の場において、野党首領として君の攻撃の矢玉を浴び、また自民党の総裁選挙では、君らの内政干渉を受けた被害者であります。その私が、弔辞を申し上げる由縁は、与野党と別れていても、祖国を思い、政治に生きる人間同士の心の通い路があり、また、君の思想政策と、人間的雅量に対する尊敬と哀惜が致せるものなのであります。」
 志半ば病に倒れた自民党小渕恵三元首相へ社会党村山元首相は劇的な葬送の場面を重ね哀悼の辞を述べた。
「君の御遺体が御自宅に向かう途中、国会や自民党本部、首相官邸前を通り抜けたとき、永田町はにわかに激しい雷雨に襲われました。道半ばにして倒れた君を思うとき、雷鳴は君の悲痛の叫びであり、驟雨は君の無念の涙であったと思えてなりません。君の不運への天の深い慟哭でもあったのでありましょう。」
 この3例に接し、痛感するのは刻下の宰相の狭量である。将来、彼の弔辞を買って出る野党議員がいるだろうか。一人もいないと断ずるほかない。棺を蓋いて事定まる。ひょっとしたら、かつて一強を取り巻いたポチどもも寄って来ないかも知れない。可哀相だけど。
 歴史に残る珠玉の送ることばが上掲書の掉尾を飾っている。赤塚不二夫へのタモリの弔辞だ。
 〈あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは、見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私も、あなたの数多くの作品の一つです。合掌。
平成二〇年八月七日   森田一義〉
 周知の事実ではあるが、手に持った原稿は白紙であった。すべてアドリブ。約1400文字を7分58秒かけて詠み上げた。タイトルは「私もあなたの作品の一つです」と付けられている。否むしろ、「あなたに披露した最後のパフォーマンスです」ではないか。
 さて、わが身のことだ。まことに残念ではあるが、おのれへの弔辞は当の本人は聴けない。聴けるかもしれないが、その実例を知らない。そのまえに引き受ける人がいるかどうか。ことごと悩ましい。 □