伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

岩手ゼロのふしぎ

2020年06月02日 | エッセー

 4月11日から始まり昨日(6月1日)まで、岩手県は唯一新型コロナの感染者・患者ゼロを更新中である(今まで本稿で述べてきた通り感染者数については括弧に括っても)。北海道に次ぐ全国第2位でほぼ四国に匹敵する面積、人口は約122万人。それでも“ゼロ”だ。実にふしぎではないか。
 報道では以下の諸点が挙げられている。──
▼本州で最も面積が広い一方、人口密度が全国2番目に低い。
▼早くから首都圏からの来県者、首都圏に1泊した県民に2週間の外出自粛を要請してきた。
▼PCR検査数が全国で最少(知事は必要あれば無症状でも検査していると強調)。
 休業要請と補償についてはどうか。
▼休業要請はキャバレー・ナイトクラブなど接待を伴う遊興施設、パチンコ・ゲームセンターなどの遊技施設、スポーツクラブといった運動施設。一方、居酒屋やバーは対象外。
▼休業への協力金は売り上げ半分以下10万、家賃補助が月10万。
▼県の補正予算案は、協力金1億、家賃補助6.5億を計上。──
 人口密度は最下位の北海道に次ぐが、岩手より20%も密度が低い北海道では依然猛威を振るっている。確かに札幌は県庁所在地の全国13位、盛岡は45位で密集に遍頗はある。しかしそれだけで“ゼロ”とはいくまい。ほかの点も決定打とは言い難い。因みに5年前のデータではがん死亡率は全国平均の106%、際立った数字ではない。
 5月15日の朝日。
 〈新型コロナウイルスの感染者が全国で唯一、確認されていない岩手県の達増(たっそ)拓也知事は15日、「第1号になっても県はその人を責めません」「感染者は出ていいので、コロナかもと思ったら相談してほしい。陽性は悪ではない」と呼びかけた。県民が「陽性第1号」になることを恐れて、相談や検査をためらうことを懸念しての発言だ。
 「感染未確認でいつづけることは目標でない。陽性者には、お見舞いの言葉を贈ったり、優しく接してあげてほしい。誰しも第1号の可能性がある」と訴えた。
 また、感染者が「ゼロ」である背景には、人口密度の低さや「まじめな県民性」などをあげ、「全国的にもリスクを低く保てている」と指摘。「いざというときに一人ひとりが考え行動することが、東日本大震災の津波の経験からできるようになっていると感じている」と話した。〉(抄録)
 岩手といえば小沢一郎。達増知事もかつては「小沢学校の優等生」と呼ばれた。東大法学部卒、外務官僚を経て衆議院議員。07年から本職に転じた。
 宮沢賢治、石川啄木とくれば、物欲からは遙かに遠い愚直で質朴の風(フウ)が漂う。東京出身の高村光太郎は「岩手の人 牛のごとし」と評している。同じ風(カゼ)は政治家にも吹き抜いている。この場合、愚直と質朴は一徹に純化される。総理大臣では藩閥を向こうに回した平民宰相・原敬(第19代)、二・二六の凶弾に斃れた斎藤実(第30代)、反戦の志に生きた米内光政(第37代)。他県に比して遜色ない顔ぶれだ。だが東京出身ではあるものの、江戸時代から父の代まで盛岡藩に仕えた家系を出自とする東條英機。父は終生長州へのルサンチマンを捨てなかったという。司馬遼太郎がいう戦前日本という「鬼胎の時代」、その『鬼胎』の一典型こそ東條であった。愚直で質朴な風(フウ)も時としてあらぬ狂風と化すのであろうか。
 上記の政治家たちに通底していたものは倒幕藩閥勢力へのルサンチマンを下敷きにしたアンチテーゼであった。奥羽越列藩同盟の潰滅と引き換えに成ったこの国はまるで擬い物だ。われわれの犠牲とは釣り合わない。もう一度つくり替えねばならない。東條はそのために最も先鋭的に動いたといえる。つまり、再建の前に破壊し尽くし更地に戻したのだ。そう意図したものかはともかく、歴史的トポスはそこにあった。
 さて、“ゼロ”についてである。どう考えても作為はない。偶然でもない。4月11日に鳥取が抜けた時、岩手は“ゼロ”をデフォルトにしたのではないか。そこからやおら蠢き出たのが愚直で質朴の風(フウ)。純化された一徹。さらには「ルサンチマンを下敷きにしたアンチテーゼ」だ。そう、アンチテーゼとしての“ゼロ”である。
 けれども、それで辻褄が合うわけではない。腑に落ちたともいえない。逃げを打つ気はないが、この杳として知れない漠然に岩手の深い奥行きが、ふしぎがある。そう括りたい。
 第2・3波に処するに抗体が作れなかったことは不安材料だが、さらなる“ゼロ”更新を切に祈りたい。「陽性は悪ではない」と信じて。 □