伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

昭和の竜馬 風の男

2020年06月06日 | エッセー

 「思い出話を聞くと、皆下を向き『本当に優しい方だった』と言葉を洩らし、全員が涙をこらえるばかりで話は聞けなかった。」
 取材は失敗したかみえる。けれども、「聞けなかった」という一事が風の男が遺した薫風そのものであった。裏返せば、巻き起こした鮮やかな烈風の正体でもあった。この見事なインタビューの成功に涙がこみ上げた。伝記の著者が「軽井沢ゴルフ倶楽部」を訪れ、生前の男を知るキャディさん達に取材した折の逸話である。青柳恵介著『風の男 白洲次郎』(平成9年、新潮社) 古い本だが、ひょんなきっかけで読んでみた。
 下流から這い上がり、刻苦勉励の極みに成功を手にする。その成功譚は恰好のドラマツルギーとなる。しかし上流を与件とする場合、ドラマツルギーとなるのは斜陽だ。太宰は好例である。だからノブレス・オブリージュは富者や強者の義務ではなく、対する弱者とは自分自身だと思想家 内田 樹氏はいう。
 〈当代の「格差社会論」の基調は「努力に見合う成果」を要求するものである。一見すると合理的な主張である。けれども、同時に「自分よりも努力もしていないし能力も劣る人間は、その怠慢と無能力にふさわしい社会的低位に格付けされるべきである」ということにも同意署名している。集団は「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援し扶助することで成立している。これを「ノブレス・オブリージュ」などと言ってしまうと話が簡単になってしまうが、もっと複雑なのである。〉(「邪悪なものの鎮め方」から抄録)
 どう「複雑」なのか。氏は「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という聖句を引き、
 〈慈善が強者・富者の義務だからではない。弱者とは「自分自身」だからである。それは「あなたの隣人」は「あなた自身」だからである。私たちは誰であれかつて幼児であり、いずれ老人となる。いつかは病を患い、傷つき、高い確率で身体や精神に障害を負う。〉(同上)
 と述べる。別の著書では「変容態」という言葉を使うが、「義務」を裏打ちするのが「あなた自身のように」という変容態である。白洲はどうしたか。「『ノブレス・オブリージュ』などと言ってしまうと話が簡単になってしまう」、つまり単純化されてしまうから彼は「粋」とパラフレーズして貫いた。反対は「野暮」だ。実に通りがいい。
 吉田茂のブレーンで影武者。一仕事終えると風のように去り、お百姓に戻る。こんな粋な男は今やいない。刻下の官邸側近なぞ汚らわしくて比する気もしない。自ら差し出した維新政府の名簿に竜馬の名がない。問われると、「世界の海援隊でもやりますかいのう」と応じた。竜馬にとって維新は片手間に過ぎない。粋な男は野暮な政争の愚を躱す。「風」とはそのような生き様のことではないか。通り過ぎたあとに爽快な一陣の薫風が起ち昇る。常人にはなし得ない振る舞いだ。だからキャディは泣いた。稿者が白洲を昭和の竜馬に擬するのはこの点だ。加うるに、押し出しのよさ、群を抜く行動力、細やかな配慮、広い人脈。英雄願望と直結されては困るが、存亡がかかった切所に「風の男」をもち得た日本史の僥倖に感謝したい。
 憲法草案は「天皇神権論」を前提としていた。アメリカが受け容れるはずはない。
 「『そんなのだめです』とはっきり進言した日本人が当時他にいたであろうか」と青柳氏は語る。それどころか、白洲は天皇退位を構想していた。竜馬は天皇制ではなく大統領制を描いていたという。世を鳥瞰する視野に驚嘆するばかりだ。「従順ならざる唯一の日本人」とGHQが舌を巻いたのはもっともだ。また、視野狭窄の守旧派が竜馬を襲ったのも必然だった。
 外車のスポーツカーを乗り回す芦屋のいいとこのお坊ちゃん。身長180センチでイケメン。頭脳明晰スポーツ万能でありながら暴れん坊。ケンブリッジ留学で目を開く。片や、郷士とはいえとびきり裕福な家に生まれた竜馬。身長五尺八寸、ほぼ同じ。苦み走ったいい男だ。愚童説もあるが、定かではない。江戸へ留学し剣の腕を磨き、勝との偶会を得て目を開く。
 数多の実績や豊富な名言は措く。長く人口に膾炙されてきたところだ。そうではなく、小林秀雄との交誼が興味深い。GHQの検閲下で戦時文学の出版に力を貸してほしいと白洲家を訪った。それが出会いだった。やがて肝胆相照らす仲となり、子ども同士が縁を結ぶ親戚関係に至る。青柳氏は夫人で「韋駄天お正」と評された正子夫人の言葉を紹介している。
 〈次郎は文学には興味がなく、小林さんの著作なんか殆んど読んだことはない。まして、小林さんが文壇で、どのような位置を占めていたか、そんなことには無関心であった。そういうものを一切ヌキにした付合いであったのが、小林さんにとっては気楽だったのであろう。〉
 青柳氏が夫人から取材した次のエピソードがおもしろい。
 〈トヨタ自動車が大きな会社に成長する以前に、小林秀雄が招かれ講演に出かけたときの話である。小林は帰って来るなり、「トヨタは日本一、そのうち世界一の自動車会社になるね」と告げたことがあるそうである。白洲は日本の自動車などまったく認めていなかったから、「そんなことはあり得ないよ」と答え、「小林なんかに車がわかるはずがない」と言うと、小林は自分が見て来たトヨタの鉄の研究の話をし、猛烈に反駁したという。やがてトヨタはみるみる成長し、世界有数の自動車会社となった。白洲は小林に兜を脱いだ。「ああいうことが小林にはわかるんだ、天才的なひらめきがあったよ」と語るのだった。〉
 肝胆相照らすとはこのことか。
 白洲次郎はこう遺言した。
「葬式無用 戒名不用」
 いかにも風の男だ。一方竜馬は遺言する暇もなく立ち去った。ここだけは違う。 □