伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

再び、「捕まって」??

2019年06月24日 | エッセー

 〈一目散に逃げる泥棒に「こら、待て!」と呼ばわっても、待つはずはない。待てない事情があるからだ。無理な注文はほかにもある。
 犯人、逃亡中。マイクを向けられた近隣住民が、一様に「早く捕まってほしい」「早く捕まってくれないと不安」などと応える。
 これもおかしくないか。「早く捕まえてほしい」「早く捕まえてくれないと不安」と言うなら解る。犯人は捕まりたくない已むに已まれぬ事情があるから逃げている。なのに「捕まってください」とお願いして、どうする。自首を勧めているととれなくもないが、コンテクスト上無理がある。冒頭の「こら、待て!」のほうが、まだ理に適う。「待つ」のが誰だか明確だ。ところが、「捕まって」は不得要領だ。犯人が「捕まる」が転じて「捕まって」となったものか。「捕まえられてほしい」が真意だろうが、約め方がぞんざいで受け身表現に聞こえる。だが主客はこの上なく明確だ。捕方と咎人、その二つきりだ。犯人の親かなにかが「捕まってくれ」と懇願するのならまだしも、「捕まってください」はないだろう、という話だ。〉
 上記は14年3月の拙稿「『捕まって』??」を再録した(一部変更)。この度の神奈川逃走事件も同様であった。いや、一層「捕まりたくない已むに已まれぬ事情」が最後の場面にも露わであった。「捕まって」なぞ毫も通じる相手ではなかった。ところがどっこい、先々月三重で例外が起こっていた。
 〈万引き犯に並走「店に戻った方が」 サッカー選手が説得  スーパーで食料品を万引きして逃走した男(42)を追いかけ、チームプレーで逮捕に協力――。サッカーの鈴鹿アンリミテッドFCの選手3人が12日、津署で感謝状を手渡された。
 5月5日夕方、津市のスーパーで万引きした男に気づいた店長が、駐車場内で呼び止めると、男は店に戻るそぶりを見せたが、店長の胸を殴り、倒れた隙を見て逃げた。
 「泥棒!」。近くで店長の叫び声を聞いた一人の選手が、まず猛ダッシュで男を追いかける。続いてサンダルで駆けだした選手は、走りながら110番通報。男から「手出すぞ」と言われたが動じなかった。3人で並走しながら「余計なことしないで早く店に戻った方がいいよ」と、声をかけて説得を試みた。
 約500メートル走ったところで男は諦めて立ち止まった。道を引き返し、現場にやって来た警察官が逮捕。「人生はやり直せるよ」。3人は男にこう声をかけたという。〉(6月13日付朝日から抄録)
 大ワルとコソ泥の違いはあろうが、なんとも対照的だ。タックルも捻伏せもせず、指一本触れずに併走したのは賢明であった。店長以外は誰も傷つかなかった。それに引き返したのだから、自首といえなくもない。「人生はやり直せるよ」はこの罪状にしては少し大袈裟だが、躓きの石はより小振りにはなったにちがいない。
 神奈川と三重のケース、一緒にはできない。事の軽重がまるっきり異なる。しかし頭の働かせ方はまるっきり異なる。捕方が咎人に振り回されて、どうする。
 今回の神奈川逃走事件では捕方の失態が曝け出された恰好だが、最大の問題点は現行制度が「性善説」に立っていることだ。だから、明確な収容方法の指針は定められていない。咎人は保釈されていても実刑が確定すれば当然出頭する筈だとの「性善説」を前提にしている。要するに、検察は「捕まってほしい」と「お願い」しているに等しい。それとも「親かなにか」になったつもりだろうか。検察は今年2月の実刑判決確定後、書面や電話で複数回出頭を要請したものの4カ月間断られ続けてきたという。袖にされっぱなして1年の3分の1。「捕まってほしい」そのものではないか。いやはや能天気なことである。 □