伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

狼ジジイのパラドクス

2019年06月12日 | エッセー

 イソップ寓話の中から。「狼が来た!」と嘘をついては大人たちの鼻面を引き回していた少年がいた。やがて本当に狼が現れる。だが大人たちは誰も助けに来ない。挙句、村の羊は全部喰われてしまった。くり返し嘘をついていると信頼されなくなる。それを「オオカミ少年効果」という。災害予測のアポリアでもある。もう一つ、「狼少年のパラドクス」と呼ばれるものがある。これはどうも内田 樹氏の造語らしい。深い洞察だ。『街場の戦争論』で、氏はこう語る。
 〈村人はみんな少年の警告にだんだん飽きてきて、警戒心を失い、ついに少年を「嘘つき」と罵るようになる。そうなったとき少年が「狼がほんとうに来て、村人を貪り食えばいいのに」と思うことは誰にも止められません。そのときこそ少年の危機意識の正しさは異論の余地なく証明されるわけですから。国防の備えの喫緊であることを説く人々はしだいに「狼少年」に似てきます。人間とはそういうことを無意識にやる生き物なのです。それを「止めろ」と言ってもしかたがない。でも、「自分はそういう生き物である」という「病識」は持っていたほうがいい。〉
 知的威信を高めるため、凶事の予言でも次第にその現実化を願うようになる。それが「狼少年のパラドクス」だ。「オオカミ少年効果」と「狼少年のパラドクス」は踵を接する。
 前稿『解散権は専権事項???』を引く。
 〈昨年12月6日の拙稿『外れてほしいシナリオ』──参院選はWで来る。でなければ、最終目的地の改憲が見えてこない。万博で維新も取り込み、五輪の浮かれモードの内に国民投票への道筋を開く。それが外れてほしいシナリオである。浅学寡聞ゆえまことに粗雑な推論ではあるが、御容赦願いたい。なにせ、この政権与党はダブルスタンダードがお好きである。ならば選挙もダブルで。……ブラフであってほしいシナリオである。──〉
 「外れてほしい」とは言ったものの、どうも「狼少年のパラドクス」に嵌まっていたようだ(正確には「狼ジジイ」だが)。なにしろ前稿は「狼」出現への希求があちこちに滲んでいる。ところがどっこい、自民党の独自調査で参院選だけで勝てると見込んだためWは取り止めになったらしい。まあ、端っから小稿の予測なぞ誰も目も呉れないであろうが。
 だがお立ち会い。過去には「死んだふり解散」てのもあった。一寸先は闇、油断はならない。バレーのクイックスパイク張りに短期間の間(マ)を置いてで参・衆と打つ“時間差選”なんてのも考えられなくはない。なんせ「嘘つきは総理のはじまり」である。 □