伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

火中の栗を拾う

2019年06月15日 | エッセー

 猫が猿におだてられて火の中の栗を拾い、大火傷を負う。「火中の栗を拾う」だ。17世紀フランスの詩人ラ=フォンテーヌがフランスの諺から採った寓話である。「他人の利益のために危険を冒して馬鹿な目に遭うこと」と字引にはある(大辞林)。「猿におだてられて」がこの場合、なんとも言い得て妙ではないか。トランプお猿さんに持ち上げられて遥かイランまで火中の栗を拾いに行ったアンバイお猫ちゃん。名誉の栗にはありつけず、それどころか本邦タンカーが爆弾を喰らって火傷するというお土産まで持たせられた。まことに間抜け、馬鹿な目に遭ったものだ。今月8日の稿に「にわかにイランとの橋渡しを買って出たが恥の上塗りをなさらぬよう願いたい」と書いたばかりだ。だから言わないこっちゃない。これじゃあ、上塗りに赤っ恥だ。
 たしかにロハニ大統領は「我々は米国との戦争を望んでいない」と公言した。しかしそれは常識以上でも以下でもない。社交辞令、いや外交辞令の類いだ。NKのボスだってそれぐらいは言う。税金を使ってわざわざイランくんだりまで行って、社交辞令を聞いて帰ったってことか。
 ハメネイ師は「安倍首相の善意に疑いは抱いていないが、トランプ氏は意見交換に適した人物ではなく、答えることもない」と率直に語った。本音であろう。さらにツイッターで「米国との交渉でイランは発展に向かう」というトランプ氏から預かった伝言に、「交渉しなくても、制裁にさらされても、イランは発展する」と返した。お猿さんの威光を背負ったお猫ちゃんの俄な大物ぶりでは象さんには歯が立たなかったってことか。師のアメリカへの強い非難には足元を見せまいとする牽制や国内の保守強硬派への配慮がないともいえない。どっちにせよ、お猫ちゃんは象さんの鼻で軽く去なされたってことだ。
 タンカー攻撃にしてもイランは関与を否定している。日本に向けペルシャ湾からホルムズ海峡を抜けオマーン湾に入ったイランの外で攻撃は起きている。いつものアメリカの早とちりかもしれない。イランとアメリカを引き裂こうとする勢力による策謀かもしれない。真相は不明だが、小事を大事を引き起こすトリガーにするのは大国の常套手段だ。変な巻き込まれ方をすると、元も子もなくなる。日本が輸入する原油の8割はホルムズ海峡を通る。「エネルギー政策上の生命線」といわれる由縁だ。生命線、急所の攻防は生死を分かつ。軽いノリで済む話ではない。君子危うきに近寄らず、である。拱手傍観、洞ヶ峠も高等戦術たり得る。
 海外はどう見ているか。イラン核合意の当事国政府は静観姿勢だが、メディアは並べて訪問成果に懐疑的だ。本当の狙いは参院選での点数稼ぎだとする見方。「外交政策では選挙には勝てないが、安倍氏を実体以上に重要に見せることの助けにはなる」との歯に衣着せぬ指摘。「仲介役としての試みに失敗した。少なくとも米国が経済制裁を維持する限り、緊張は終わらない」という辛辣な見解もある。
 ともあれ熾烈な外交戦。猫の子を貰うようには事は進まない。おだてられて背伸びしては大怪我をする。猫は猫らしく猫の皮を被っていたほうがいい。 □