是が非でも紹介したい一書がある。著者は<はじめに>でこう語る。
〈今、もし書店にいらっしゃるなら、店内を見回してみてください。売り場の一番目立つところに、こんなタイトルの本が並んでいないでしょうか。「中国・韓国の反日攻勢」「南京虐殺の嘘」「慰安婦問題のデタラメ」「あの戦争は日本の侵略ではなかった」「自虐史観の洗脳からの脱却」・・・。こうした本がどうも胡散臭いと感じても、具体的にどこがどう間違っているのか、何がどう問題なのかを、自分の言葉でうまく説明できない人も多いのではないでしょうか。本書は、そんなモヤモヤした違和感を、「事実」と「論理」のふたつの角度から検証し、ひとつづつ丁寧に解消していく試みです。〉
「試み」は見事に成功している。近現代史理解のリテラシーとも現実社会への正視眼ともいえる好著である。
歴史戦と思想戦 ――歴史問題の読み解き方 (集英社新書、昨月刊)
著者は山崎雅弘氏。戦史・紛争史研究家であり、地図職人、グラフィックデザイナー、シミュレーションゲームデザイナーと多彩である。16年、『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)で、日本会議の実態を明らかにし、注目を浴びる。他に、『「天皇機関説」事件』(集英社新書) 『1937年の日本人』(朝日新聞出版)など多数。
帯には内田 樹氏の推薦がある。
「『歴史戦』と称する企てがいかに日本人の知的・倫理的威信を損ない、国益に反するものであるかを実証的に論じています。山崎さん、ほんとはものすごく怒っているのだけれど、冷静さを保っているのが偉いです。僕にはとても真似できない」
以下、梗概を「BOOKデータベース」から引用する。
〈今、出版界と言論界で一つの「戦い」が繰り広げられている。南京虐殺や慰安婦問題など、歴史問題に起因する中国や韓国からの批判を「不当な日本攻撃」と解釈し、日本人は積極的にそうした「侵略」に反撃すべきだという歴史問題を戦場とする戦い、すなわち「歴史戦」である。近年、そうしたスタンスの書籍が次々と刊行されている。実は戦中にも、それと酷似するプロパガンダ政策が存在した。だが、政府主導の「思想戦」は、国民の現実認識を歪ませ、日本を破滅的な敗戦へと導く一翼を担った。同じ轍を踏まないために、歴史問題にまつわる欺瞞とトリックをどう見抜くか。豊富な具体例を挙げて読み解く!〉
肝は首相十八番の「美しい国日本」をはじめとする「日本」とはなにかを問うたことだ。つまり、「日本」と「大日本帝国」と「日本国」の意味するところの違いを闡明にした。これは出色の視点である。氏はこう述べる。
〈「大日本帝国」は、1890年(憲法施行)から1947年までの57年間にわたってこの国を統治した、大日本帝国憲法に基づく政治体制。「日本国」は、1947年の日本国憲法に基づく政治体制。どちらも「日本」という時代を超越した包括的な国家の概念においては、ごく一部でしかありません。しかし、これらの言葉は、人の思考を特定の方向に導くためのトリックとして使われる場合もあります。例えば、日常的に使う「日本」という言葉、それは「大日本帝国のことですか?」と問われれば、答えは多くの場合「ノー」です。しかし「大日本帝国は日本ですか?」との問いであれば、答えは「イエス」となります。なぜなら、「大日本帝国」は「日本」という国の、長い歴史の一部だからです。つまり、問いかけの仕方、光の当て方によって、言葉の定義が及ぶ範囲が変化します。例えば、中国や韓国の政府や国民が、「大日本帝国」時代の侵略や植民地支配を厳しく批判する態度をとった時、「大日本帝国」を擁護する意図で、これを「中国と韓国が『日本』を不当に攻撃している」と単純化してアピールすればどうなるか。それを聞いた人は、現在の自国が攻撃されていると感じ、不安や危機感を覚えます。自分が生きている「日本国」と昔の「大日本帝国」は同じ国ではないと認識していなければ、両方とも同じ「日本」だという思考に、それと気付かないまま誘導されます。そして、歴史問題をめぐる議論を「中国対日本」「韓国対日本」という単純な図式の「戦い」のように捉えて、日本人であれば「日本=大日本帝国」の側に味方するのが当然だという「結論」を示されれば、それに抗うことは難しくなります。なぜなら、日本人なのにそうしない人間がいれば、その者は「日本の利益に反する者=反日あるいは売国奴」ということになるからです。〉(上掲書より抄録)
これを軸に以下のイシューが捌かれていく。
「『歴史戦』と称する企てがいかに日本人の知的・倫理的威信を損ない、国益に反するものであるかを実証的に論じています」と、内田氏が頌する圧巻の展開である。
▼産経新聞が始めた「歴史戦」
▼慰安婦問題
▼南京虐殺
▼「自虐史観」
▼思想戦の武器
▼「歴史戦」の論客の頭の中で生き続ける「コミンテルン」
▼「GHQのWGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)に洗脳された」というストーリー
▼ケント・ギルバートのカラクリ
などなど、痒いところに手が届くコンテンツである。 「群盲象を評す」という。足に触れば柱、腹は壁、鼻は木の枝、耳は扇、牙はパイプだと答えた。一部、一面のみを以てすべてを評する愚を誡める寓話である。歴史戦の論客たちは群盲を嗤えまい。反知性主義と同じピットホールに搦め捕られているからだ。
さらに氏は歴史戦のメンタルな基底には韓国人や中国人に対する「蔑視」や「差別的感情」があると抉る。言い方を替えると、嫉妬である。それもエンビー型嫉妬だ。脳科学者中野信子先生はこう語る。
〈嫉妬は、自分が持っているものを失うかもしれないことを察知した「不安」と「怒り」に根ざした反応なのです。生物としては、何とか、自身のリソースを奪われる危機を回避しなければならないという根源的な要請があります。この危機感が動機となり、自分のリソースを奪いにやって来るかもしれない誰かを、何とかして排除したいという感情が生じます。これが、嫉妬の正体です。〉(『正しい恨みの晴らし方』から抄録)
蔑視や差別はいずこより来たるか。いやはや脳科学に掛かってはお見通しである。山崎氏は「他国を蔑視する差別や偏見の思想は、健全な『誇り』とは異質な、夜郎自大や唯我独尊を土台とする『自国優越思想』の裏返しでもあります」と続ける。歴史戦の論客たちにとっての「日本」とは、神武肇国(だとして)から2700年に及ぶ長遠な歴史のたった2%、あっと言う間の57年間でしかない。戦さの勝負はとっくに付いている。 □