伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

仮想通貨 愚考<承前>

2018年02月03日 | エッセー

 前稿では認知革命による「『人類以外には断じて成し得ない』幻想の共有」があったこと、それに「『信用の環(ワ)』があったこと」に通貨の成り立ちを求め、仮想通貨とてそれは同じであると愚考した。
「してみると、『仮想通貨』が掴めないのはどうも『仮想』なる2文字で煙に巻かれたのではないか。通貨の正体は同じなのだ」。
 と括った。その「仮想」をさらに探ってみたい。おそらくより正確には「仮想」といわず、「電脳空間」「サイバースペース」、手っ取り早く「インターネット」の方が通りがいいかもしれない。つまりは、「ネット通貨」である。
 インターネットにできなかったこと。それは、経済的価値の送受と信頼の確立の2つであったと、大御所・野口悠紀雄氏はいう。これを可能にしたシステムが仮想通貨を裏打ちする「ブロックチェーン」である。これは金融に限らず、社会をドラスティックに変える革命的技術でもある。
 インターネットは情報を地球規模で、かつほとんどコストゼロで送受できる。しかし、カネは送れない。ネットバンキングは銀行取引を遠隔操作しているだけだ。カード決済はIDとパスワードを教えて取引先に引き出してもらうだけである。送っているのはIDとPWという情報だ。カネを送っているわけではない。それさえ、よっぽど信頼できるところでなければできない。
 各種情報にしたところで玉石混交、全幅の信頼はおけない。どこかでオーソライズしてくれる権威的存在があるわけではない。がせネタはあるし、なりすましもある。信頼の確立は至難である。
 この2つの壁を突破したのがブロックチェーンである。「従来のインターネットが情報のインターネットであるのに対して、ブロックチェーンは価値のインターネット」といわれる地平が開けたのだ。
 さてそのブロックチェーンとは何か。仮想通貨の取引記録を記した台帳のことである。世界中の仮想通貨による取引すべてを10分毎に1ブロックとして数珠つなぎにしていく(チェーンだからトレースできる)。しかも公開にし、自主的に仲間のコンピュータが集まって取引に不正がないか寄ってたかってチェックする。だから記録の書き換え、二重取引は不可能だ。これが仮想通貨の信頼を担保し、確立する。そこで初めてインターネットでカネが送れるようになったのである。情報だけではなく、カネも送れる。これは奇跡に近い。しかも特定の管理者もいなければ、中央集権的な統制、管理もない。オーソライズし、担保する上位者は一人もいない。いわば、金融の民主化である。これは市民革命に近い。
 荒っぽく括ると『ネットによる現金書留』、それが仮想通貨とブロックチェーンである。もちろんお札やコインはそのままでは送りようがない。ネット用の現金に換える。1500種あるとされるが、例えばビットコインがそうだ。色も形もない電子情報である。しかし「幻想の共有」により仲間内では通貨として使える(仲間は世界的規模に拡大しつつある)。中央集権的な管理がなかった太古の貝殻と同じだ。兌換もできるが、兌換せずとも相手方がビットコインでOKならそのまま使えばいい。だから現金と同等だ。電子マネーは現金の代替物でしかない。
 日本郵便のHPによれば、書留とは「引き受けから配達までの郵便物等の送達過程を記録する」ことだという。信頼の担保、ブロックチェーンではないか。と、なんだか先祖返りの様相を帯びてきた。なおかつ国境を越えてもコストは限りなくゼロに近い。経済活動に限らず社会を大きく変えていく可能性を孕む所以である。世界経済フォーラムは、ブロックチェーンを「今後数年間に世界に大きな影響を与える10大技術の一つ」とレポートしている。
 信頼の確立により「金融の民主化」が進むと、中央銀行とまではいかなくとも市中銀行や証券会社は有名無実化する。事によっては消滅しかねない。仮想通貨の発行による資金調達も可能だ。「金融の市民革命」である。現にビットコインには経営者も管理者もいない。事業は自動的に遂行されている。「経営者も労働者もいない会社」の出現である。これからますます普及するであろうシェアエコノミーについても仲介業者ではなく、ブロックチェーンを介して提供者と需要者が直接やり取りできるようになる。さらにAIとブロックチェーンが組み合わされると、組織の大小はフラット化し中央集権的な社会のありようさえ変容するかもしれない。野口悠紀雄氏は「IT革命は、ブロックチェーンによって完成されることになります」という。
 ただ仮想通貨が投機の対象になって乱高下するのは、為替投機と同様「金で金を買う」邪道である。こんな悪弊まで似ずともいいものを……。
 ともあれ、曲折はするものの革命の足音は近づいている。 □