伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

年末のお片付け 1/2

2014年12月08日 | エッセー

 師走とはいえまだ終わったわけではないが、この1年に拙稿で紹介した書籍を改めて振り返る。大仰だと嗤われそうだが、年の納めのお片付けである。全部で13冊。一二の旧刊はあるが、ほとんどが新刊であった。(月、拙稿のタイトル──紹介した書籍)
① 1月 “永遠の”アンパンマン ── やなせたかし『ぼくは戦争は大きらい』
 昨年亡くなった氏の体験記である。年を経るたびにそう感じ入るのかもしれぬが、昨年も、特に今年は『昭和の人』たちが生者の列から離れた。

② 1月 ぼくは右翼だ! ── 速水健朗「フード左翼とフード右翼」
 政治では、欧米の趨勢は中道左派にシフトしつつある。本邦では右振れが顕著だ。1周も2周も遅れているといえよう。

③ 1月 村田松蔵 箴言録 ── 浅田次郎「天切り松 闇がたり」第五巻
 この巻のタイトルにもなった最終話「ライムライト」の舞台は帝国ホテルである。11月所用で上阪した折、娘のプレゼントで大阪の支店に一泊した。本店ほど厳かではないものの豪壮な建物にハイエンドな応対であった。朝のレストランでは臨席に初老の、夫婦と覚しき二人がスウェーデンの土産話に興じていた。海外へは旅慣れている様子が言葉の端々に窺える。
「火星から戻ったんならそりゃー土産話も珍しかろうが、今どきヨーロッパの端っこじゃあ珍しくもなんともないよな!」
 と、聞こえよがしに捨て台詞を吐いて席を立つ……のつもりが、ついコーヒーと一緒に嚥み込んでしまった。雑魚の魚交じりは性格を歪めるから用心、用心。

④ 3月 なぜ、青か ── 福岡伸一「動的平衡」
 それから約半年を過ぎて、青色LEDが一躍脚光を浴びた。今はまた、授賞式の話題で持ちきりだ。なんとも、「青」とは不思議な色だ。

⑤ 団塊世代必読の書 ── 橋本 治『リア家の人々』
 内田 樹氏の「模造記憶」論を、一再ならず引用する。
◇大瀧詠一さんが前に言ったことですけれど、一九六〇年代のはじめにリアルタイムでビートルズを聴いていた中学生なんかほとんどいなかった。にもかかわらず、ぼくたちの世代は「世代的記憶」として「ラジオから流れるビートルズのヒット曲に心ときめかせた日々」を共有しています。これはある種の「模造記憶」ですね。でも、ぼくはそういう「模造記憶」を懐かしむ同世代の人たちに向かって「嘘つけ、お前が聴いてたのは橋幸夫や三田明じゃないか」なんて、言うつもりはないんです。記憶というのは事後的に選択されるものであり、そこで選択される記憶の中には「私自身は実際には経験していないけれど、同時代の一部の人々が経験していたこと」も含まれると思うのです。含まれていいと思うのです。「潮来笠」と「抱きしめたい」では、後者の与えた世代的感動の総量が大であったために、結果的にぼくたちの世代全体の「感動」はそこに固着した、ということで「いい」のではないかと思うのです。自分が身を以て経験していないことであっても、同世代に強い感動を残した経験であれば、それをあたかも自分の記憶のように回想することができる。その「共同記憶」の能力が人間の「共同主観的存立構造」を支えているのではないかと思うのです。◇(文春文庫「東京ファイティングキッズ・リターン」から)
 だから、例えばこんな言い方もできる。「猫も杓子もビートルズに現を抜かしていたけど、ぼくは『潮来笠』に痺れていたね」。これも立派に「共同主観的存立構造」を裏書きしているのだから。
 時としてまったくかつてのトレンドに疎い(というか、記憶自体がない)同級生がいる。「いたく国民的常識に欠けるヤツだ」とよく詰るのだが、「世代的記憶」や「模造記憶」からオフセットされた“希少種”として保護の対象にするのも一計かもしれない。

⑥ 5月 我が解を得たり! ── 水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」
 実は、本書こそ今年の一推しである。浜 矩子先生は「成熟社会」といい、藻谷浩介氏は「里山資本主義」を唱え、内田 樹氏は未来の社会像に江戸の知恵を活かせと訴える。心ある識者の炯眼は本書に焦点が収斂されるといっておかしくはない。

⑦ 6月 なぜか、『ガダラの豚』 ── 中島らも『ガダラの豚』
 本年7月26日は、らも氏の十周忌であった。早いものである。一説によると、「オレは酔っ払って階段から落ちて死ぬ」とかねてから予告していたそうだ。“見事”というべきか、寸分違わぬその通りの死に様であった。

⑧ 7月 コロッケは巧い! ── コロッケ著『マネる技術』
 荊妻の自慢料理は蟹コロッケである。子供たちにとって唯一のお袋の味でもある。蟹をふんだんに使っている。ただし、カニ擬きだ。砕いたゆで卵にそいつを混ぜ、衣を付けて揚げる。これがなかなかいける。実は発想豊かな家庭料理で売った料理家・平野寿将のレシピである。擬きが本物に化ける。まるで“ものまね家”コロッケくんのようだ。

 以下、次稿。 □