伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

(未完)

2014年12月14日 | エッセー

 痘痕も靨である。身内の欲目ともいう。稿者の場合アンマッチだが、面面の楊貴妃でもある。
 6月に「AGAIN」と題した拙稿で、同月リリースされた『アゲイン(未完)』の(未完)を字句通りの「未完成」と取らずに副題と捉えて愚案を捏ねくり回してしまった。不明を恥じ入るばかりだ。冒頭はその言い訳である。
 あらためて完成版を紹介する。

アゲイン
作詞・作曲 吉田拓郎

 〽若かった頃の 事をきかせて
  どんな事でも 覚えてるなら
  思い出たちは すげなく消える

  その時君は 何を思って
  どこへ行こうと してたのだろう
  何かを信じて 歩いてたのか

  心は安らいで いたのでしょうか
  希望の光を 浴びていたでしょうか

  街を流れる 人にまぎれて
  たった1人で 空を見上げる
  あなたの事を 考えている

  僕等の夢は 思いのままに
  歩き続けて 行っただろうか
  あしたの事を 恐れないまま

  欲しかったもの達に 届いたでしょうか
  走り抜ける風を つかめたでしょうか

  時がやさしく せつなく流れ
  そっとこのまま 振り返るなら
  僕等は今も 自由のままだ〽

 “LIVE 2014”のステージでは完成版だったが、書き取れなかった。今月初旬にライブDVD(+CD)がリリースされ、後半(〽僕等の夢は……以降)が明らかになった。
 臆面もなく前記の拙稿を引いてみる。
〓彼は老境に至ろうとしている。素気(スゲ)なく消えた遠い思い出たちをまさぐるのはアゲインのためだ。
 「アゲイン」は回顧ではない。さらに一歩を踏み出すことだ。なぜなら、「アゲインスト」と同源であるから……。だから彼は副題を(未完)と名付けた。

     ちょっと話を聞かせてください
     若かった頃の
     走っていた時代の
     何を見ていたのでしょう
     どこへ向かっていたのでしょう
     やさしい風は吹いていたでしょうか
     希望に満ちた心であふれていたでしょうか
     それは遠い時の話です
     覚えていない事もあります
     ちょっと話してみましょうか
  
 歌詞カードに付記された、自身による『アゲイン』へのコメントである。ここに重い追憶があるだろうか。澱のような悔悟が潜むだろうか。窺えるのは、このミュージシャンの心象にいつも吹いている「乾いた南風」に煽られて、“once again”と行く手を見つめる目ではないか。それは老境という(未完)へのアゲインストにちがいない。〓(抄録)
 ふむ、おかしくはない。幾十星霜を経て偶会したかつての思い人が「君」であろう。「走っていた時代」の「遠い時の話」。「希望の光」や「僕等の夢」が溢れていた。でも、それからは行方知らず。「すげなく消え」た「思い出たち」が連れて行ってしまった。今“老境という(未完)”のとば口で、時に塗れた事どもを「そっとこのまま振リ返る」。抗わず、悔いず、すべてを抱きしめれば「若かった頃」のように再びこころは「自由のままだ」。
 揺蕩うようにシンプルでパワフルなメロディーが流れ、情感を避けつつも緊張を孕んだ拓郎の声が乗る。蓋し、逸作である。だから牽強付会とは承知の上、(未完)は副題とすべきではないか。現世(ウツシヨ)の未完を謳った曲として。 □