伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

薬の出自

2012年01月20日 | エッセー

 定期検診のあと、薬を処方される。薬局で山のような薬を受け取る。何が何の薬なのか、まるで頓着しない。ただ、その中に一つだけ気になる包みがある。白い粉末だ。かといって、まさか“オクスリ”ではない。何かの“薬”にはちがいない。
 いつも薬剤師の説明は上の空どころか、途中で割り込んで勘定を急がせる。刹那、冷ややかな風が流れる。ところが、昨日ばかりはちがった。こちらからその薬の説明を求めたのだ。彼は俄然ノってきた。はじめて歯車が噛み合った。
 強心剤の一種で、ジゴキシンという名だそうだ。分子式はと訊ねると、ネットから引っ張ってプリントアウトしてくれた。“C41H64014”……化学オンチに解るわけがない。聞いたのは、「ニトロ」との類似を探ってみたかったからだ(別に意地悪ではない、多分)。ニトロとはまったくの別物。ニトロの分子式は“C3N3H509”、構造式もまるでちがう(例の亀の甲風図式、ご丁寧にこれもプリントしてくれた)。ジゴキシンの構造式はニトロとは比較にならないほど複雑だ。ニトロが血管を拡張させるのに対し、ジゴキシンは心筋に刺激を与える。働きも異なる。
 ジゴキシンは毒草であるジキタリスの葉っぱから抽出された(今は化学的に合成して作る)。ジキタリスはヨーロッパ南西部が原産で、江戸時代に日本へ渡来し各地に分布している。梅雨から初夏にかけて、暗いうら寂れたところに咲く。いかにも不吉な花だ。和名を「狐の手袋」という。あちらでは「魔女の指抜き」とも、「血の付いた男の指」とも呼ぶそうだ。禍々しい名であるが、写真を見ると巧いネーミングに合点が行く。美しいバラには刺どころか、こちらは猛毒である。その毒が薬に変わった。これは、おもしろい! 
 薬はたいがいそうだといってしまえば、身も蓋もない。しかしわが心の臓に渇を入れつづける薬の出自が毒草であったと知れば、身につまされて感慨深いものがある。まさに毒をもって毒を制す、ではないか。にわかに可笑し味が沸く。ニトロも、なにを隠そう爆薬である。それはそれでおもしろい。だが毒がまったくひっくり返って薬にメタモルするとは逆説的で、すげぇーおもしい。
 毒を薬に変える。人生万般に通ずるアフォリズムではないか。と、教科書風に締め括っては“おもしろく”ないか。
 水を得た魚のような彼のご高説に「勉強になったよ、ありがとう」とほほ笑んだら、帰りしなに「どうぞ、お大事になさってください」と、ついぞ耳にしない丁寧なあいさつを背中に受けた。 □