伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

AKIRA

2012年01月12日 | エッセー

AKIRA(作詞・作曲 吉田拓郎)
  〽夕焼けに向かって走って行く あいつの姿が忘られぬ
   カッコ悪い事が大嫌いで 自分に信念をもっていた
   えらい大人になんかなりたくない 強い男をめざすと言い切った
   その時AKIRAの頼りがいのある 背中でいなずまが光った
      いつまでも 友達でいよう
      大きくなっても 親友でいよう
       シュロの木の下で かげろうが ゆれている

   どこへ行くのもあいつが守ってくれる ひっこみ思案の僕が変わる
   時々サイフからくすねられても 友情のあかしと言う事になる
   AKIRAはYOKOが好きらしい YOKOは頭の悪いやつがキライ
   しょせん女は愚かだと呟いて トイレで悩んでいる姿を見た
      いつまでも 友達でいよう
      大きくなっても 親友でいよう
       シュロの木の下を 風が吹いている

   AKIRAは男の中の男 だからオチンチンも大きくてかっこいい
   でもある日皆で見せっこをしたら JOEの方が大きくなってしまった
   JOEはYOKOのヒモだとの噂 どうやら二人は出来てるみたいで
   AKIRAはふてくされて百日咳になる オチンチンもますますしぼんでいく
      いつまでも 友達でいよう
      大きくなっても 親友でいよう
       シュロの木の下で かげろうがゆれている

   お父さんは何をスル人なんだろう 陽にやけた広いおでこがこわい
   謎にみちたAKIRAんちの家族 大きなオッパイの姉さんも気にかかる
   あいつは姉さんともお風呂に入るらしい 僕が「変だよ」と言うと
   「オヤジと入るお前が変なんだ」と 言われて何となく納得できた
      いつまでも 友達でいよう
      大きくなっても 親友でいよう
       シュロの木の下を 風が吹いている

   弱虫な僕をかばって 
    AKIRAがいつも身がわりになる
   倒されて にらみつけると 
    YUJIROの映画のようだった
   来年は僕等も小学生になる 
     でも 同じ学校へは行かないだろう
   「俺はもっと男をみがくから 
     お前は勉強にはげめ」と言われた

   尊敬するAKIRAとも お別れだ 
    自信は無いけど 一人でやってみよう
   夕陽に向かって走って行く 
    あいつの姿を忘れない

   生きて行く事に とまどう時 
    夢に破れ さすらう時
   明日を照らす 灯りが欲しい時 
    信じる事を また始める時
   
       AKIRAがついているさ AKIRAはそこにいるさ
          シュロの木は今も 風にゆれている
          シュロの木は今も 風にゆれている〽

 この曲は無性に泣ける。ノスタルジーで胸がいっぱいになる。昭和の原風景で満たされる。映画「三丁目の夕日」の世界だ。いや、もっと強く琴線を掻き毟る。音楽の力にちがいない。
 93年の作品である。昭和が終わって5年、今から19年も前になる。7分もの大曲だ。数多の高名な曲の群れに埋もれてはいるが、隠れた名曲である。NHKでのスタジオ・ライブを収録したアルバム“TRAVELLIN’MAN”の一曲である。作詞は拓郎。自身の手になる歌詞で、最高峰といって過言ではなかろう。
 それにしても、不思議な曲だ。
 就学を前にした子どもが「えらい大人になんかなりたくない」と言って、「男をみがく」だろうか。「頭の悪いやつがキライ」と振られて、「しょせん女は愚かだと呟いて」悩むだろうか。
  ここには巧みなテンスのトリックがある。長じた「僕」が幼き日々に還っている。今、いや今だからこそ、かつての事どもに輪郭と意味を与えようとしているのだ。なぜか? 
  夢破れ、流離い、そしてまた明日へ向かうために
  記憶の齣の連なりに、今の「僕」が息を吹き込みもう一度辿ってみる
  ──あのころと同じように
    AKIRAはついていてくれるだろうか
    YUJIROの映画のように
    身がわりになってくれるだろうか──
  現身(ウツシミ)があの日に還る術はない
    でもAKIRAは「僕」の中に、確かにいる
  シュロの木に時間が凝(コゴ)っているように
   
 これは典型的な「男唄」だ。かつて少年の世界には、それぞれにAKIRAが必ずいた。戦後が終わり昭和が熟すころ、彼らは人知れず姿を消した。だから追憶の詩(ウタ)だ。しかし湿っぽくはない。棕櫚の木(コ)の下を吹き抜けるのは、陽炎を揺する南の、乾いた風だ。だから有り余るほどの郷愁を運んできても、哀しくはない。無性に泣いたあと、「また始め」られる。
 「僕」が担うテンスの仕掛け、最終段での微かなそれの傾ぎ、そしてシュロの木が象る時の不変。今様をスライドさせたローマ字表記の妙。旭、錠、裕二郎を連想させるそれら。夕陽に向かうお定まりの情景。その通俗性は『原風景』の象徴か。……巧まざる意匠が、『不思議な曲』を創った。 □