90年代からの政府の旗振りで、公文書をはじめAサイズが主流になった。まったく腹立たしい。「日本語はBサイズに限る」が、わたしの持論だ。
Bサイズとは、日本の美濃紙を元に面積1.5平方メートルのルート長方形をB0とする。「ルート長方形」とは白銀比といい、古来美しい形とされてきた。美濃紙は薄くて丈夫、文書の写しや障子紙に使われてきた。つまり純日本産の規格である。
片や、Aサイズとは、ドイツの物理学者が提案したドイツの規格。面積1平方メートルのルート長方形をA0とする。1メートルが1秒の2億9979万2458分の1の時間に光が真空中を進む行程の長さであるから、極め付きの自然現象から導出された規格といえる。
どちらもルート長方形で切り出すのだが、元の大きさが違う。双方、後に付く数字は折り畳む回数だ。だから、0が原寸である。国際規格はAサイズだ。だからそれに合わせようと、行政が主導したのであろう。しかし、身の丈に合わぬ。いや日本語を載せるには、紙の丈が合わないのだ。
今や、ワープロ打ちがほとんどだ。かつ横書きでもある。フォントサイズにもよろうが、同じ大きさの文字が横に長く並ぶと読みにくい。ベタ打ちの文書で大雑把な計算をしてみよう。
1回の視点でカバーできる文字数を8文字とすると、1行50字で6.3回の視点移動が必要になる。1行40字では5.0回。1.3回分の差がある。行が長いと、次行への視線の移行もしづらくなる。読み易い1行40字をA4で設定し、字間を頃合いに保とうとすれば(余り開かないようにすれば)、左右のマージンがどうしても大きくなる。
論より証拠、ご覧あれ。A4文書は上下も含め四方のマージンがやたら広く取られている。紙に合わせれば読みづらくなり、読みやすくすれば紙が余る。つまりは間尺に合わないのだ。だからA4は不経済であり、資源保護にも悖る。日本語には純国産の紙幅が一番。グローバリズムだからといって、母語まで変えるおバカはいない。
以上、身の丈に合った生活には、まず紙の丈を見直そうという苦言のお粗末。お後がよろしいようで……。 □