今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

湘南電車

2006年03月14日 | 
青春18きっぷで東京から名古屋に帰った。
11:33発アクティに乗ったのだが、沿線のいたる所でカメラを構えた人がこちらにファインダを向ける。オレって国民的人気者だったっけ?

●湘南型電車
2階建てグリーン車に乗ったので気づかなかったが、終点熱海でおりたら、自分の乗った車両以外は、すべてがあの緑とオレンジの湘南電車だった(写真)。
たしか、今回のダイヤ改正で湘南型電車が消える、とか言われてたっけ。
そうか、だから今日は2階建てじゃない普通のグリーン車の方に乗客が多かったのか。
湘南電車といえば、小学生の時、熱海に家族で旅行する時毎回乗ってから好きになった。熱海の旅行が楽しみだったので、湘南電車が東京駅のホームに入ってくるのを見て喜んだものだ。
だから、湘南型電車が湘南でない他路線で使われるのを見て怒ったほどだ。

車両はもちろん改良してもいいが、人気のあるデザインや配色まで変更することないんじゃないの。
建物でもなんでも皆に愛されるものを大切にして再現するって最近の日本人はどうしてやらないのだろう(法隆寺や東大寺をそうやって残してきたのに)。

●惜しむ心情
それにしても、存在している時はたいして気にもしていなかったものが、いざ廃止や取り壊しとなると、なぜ名残惜しくなるのだろう。
これはつまらない同調心理などではない。
愛の本質は、存在の承認。他者だろうが、物だろうが、それを愛するとは、その存在を大切に思うこと。
愛とは対象が何かではなく、存在が対象なのだ。愛とは存在愛のこと。
愛する心をもっている人は、だから何でも(よほど毛嫌いしているものでないかぎり)、存在が消えることを悲しむのだ。

ただ廃止路線の電車にとっては、「今ごろ愛されても…もっと前から愛を行動で示してほしかった」といいたいところだろうが。