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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

霊を虚数とすると

2025年03月26日 | パワー・スピリチュアル

高校時代に習った数学(文系なので数IIまで)の中で、虚数とそれを使った複素数というのが、一番ピンとこなくて、その存在理由がわからなかった。
後になって、虚数は電磁気学で使われ、さらには量子力学でも使われることを知った。
でも相変わらず、物理現象の記述になぜ虚数が必要なのかよくわからなかった。
ちなみに、電磁気学と量子力学に共通する使用法は、(粒子でない)波動の記述である。

私も、実在がはっきりしないあやふやな存在に対して、虚数を当てはめる可能性を考えていた。
そんな折、複素数を使った存在論を目にした。
小林康夫『存在とは何か—〈私〉という神秘—』 (PHP研究所  2023 年)である。


氏は存在を実在的な部分だけでなく、「霊」などのイメージ的なものとして捉えてきた人類の思考を複素数として記述することを提案した。
複素数の実部(実数部分)が実在・実存(従来の存在論)。
それに対して、虚部(虚数部分)が虚在・虚存は実在でない存在、すなわち霊(と言われてきたもの)が相当する
※:本当は複素数を4項で表現する(四元数)もう少し複雑なもの。

すなわち、存在を実部分と虚部分からなるとして、複素数によって存在をトータルに表現できるというもの。
複素数の適用として、これは注目に値する。

だが、上の分類で終わっているのが残念。
発想がデコスラ=セールという文化人類学者の四元論をベースにしているだけに、既存の観念をまとめるだけで、そこに止まっている。
※:故あって私は文化人類が嫌い。なのでどうしても低評価の表現となる。
そして実部と虚部が互いに独立(直交)で並列しているだけで、相互関係が想定されない。

私は一歩先に進めたい。
数学の世界は演算によって展開する。
演算しないと意味がない。


複素数にとって、ミソなのは”共役”だ。
ある複素数 x+iyという値に対して、x-iyという値が共役の関係にある
※:”共役”も高校で複素数を習った時に紹介されたが、それがどうしたという感じで、これも存在価値がわからなかった。
共役がミソなのは、共役関係にある2つの複素数の積をとると、面白いことが起きるから。

これを式で示すと、(x+iy)(x-iy)=x^2-xiy+xiy-iy^2となる(^は累乗のネットでの表記、x^2はxの2乗)
ここで第2項と第3項は足して0となり、そしてiy^2は、i^2=-1だから-y^2となってiが消える。
すなわち、虚部が消えて実部のみとなる!
わけのわからん複素数が実測可能な実数のみになるのだ。
x^2に追加されたy^2部分が虚部の値で、本来のyの値はy=√(y^2)と簡単に導出できる。

幾何学的に示すと、複素数平面における共役は実軸対称の関係である。
すなわち実在部分のxはそのままで、観念だけでなんかとなるy部分を符号変換すればよい。

これって霊的世界の要素を特定方向に機械的に変換して、それをもとの値と合わせると、
存在の霊的部分を実在化(y)できるということか!

このように、霊的世界の実在(可視)化という、一見無理そうな変換作業が可能であることが、数学的に表現されることになる。
これこそが複素数を使う意味といえまいか。


となると、次にすべきことは、
(複素)存在の共役状態とは何か、を確定すること。
そして元の存在と”掛け合わせる”とはどういう相互関係を意味するか、の確定である。
例えば、霊視認者は、この共役演算を無自覚のうちにやっているのかもしれない。

実が虚になる物理現象



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