実話心霊コミック『魔百合の恐怖報告』25巻を読んだので(記事)、
それに基づいて霊と対峙してきた現場の人による言説から、霊の実態についてまとめてみたい。
ちなみに、これは霊の存在を前提とする心霊論の視点であり、科学的に承認されているものでなく、
私自身もこれを信じる訳ではない(以下、断定的な表現を使うが、私の信念を示すものではない)。
心霊論が存在を前提としているのは、霊だけでなく前世、すなわち死後の転生を認めている。
すなわち人間は死んだ後、霊として存在し続け、時に別の人間として再生する
(人間として再生するかしないかの基準は仏教の六道(ろくどう)輪廻思想で説明できる→人間存在の分かれ道)。
その一方で特定の神・仏の存在は前提されない(そのパワーを借用することはある)。
言い換えれば、霊の存在は、特定の宗教を前提とする理論(観念)的なものではなく(むしろたいての宗教は浮遊霊の存在を認めない)、
リアルな視覚をはじめとする霊との実際の交流を通して得られた経験的なものである(なので理論的整合性は優先されない)。
現在では、霊の正体は、”念”という心的エネルギーとされる(すなわち物質でない)。
死霊(しりょう)は死してなお残る念、生霊(いきりょう)は生者が発する念、
そして寺社がパワースポットであり続けられるパワーは、宗教者や参拝者による祈りの念の集積による。
念というエネルギー(波動)は物質※でない(光を反射しない)ので本来は不可視であるが、
特定の能力のある人(霊能者)はそのセンサーを持っている。
※:量子論的には、波動の方が粒子(物質)よりも根源的存在(状態)。ただし科学的に存在を認定するには波動ならば波長(周波数)、エネルギーならばエネルギー量(Jジュール)が測定されなくてはならない。「エネルギー保存の法則」に従うはずなので、可測的なエネルギーに変換することで間接的に存在を証明できないだろうか。電磁波との相性の良さがヒントになるかも。→霊の音声探知機を購入
ちなみにそのセンサーは宗教的信仰や修行とは無縁である
(無宗教の凡人がセンサーを持つことが多々ある)。
センサーをもっていない大多数の人も、霊からの念の力を悪い方向で受けることがあり、
それが霊障である。
このように心霊の世界は、霊と人の事象とに分けられる。
ここではまず、霊側についてまとめてみる。
霊は、上述したように人間の肉体以外の念に相当する部分であり、
それは本体の生命状態を基準に死霊と生霊に分けられる。
ただし霊は必ずしも人間に限定されない。
人間とは無縁で、はるか昔から存在している自然霊がある。
最高格の自然霊は龍と呼ばれ、空を渡る光の線(龍道)として視覚される
(龍は伝説的なあの形態を示さない)。
人間はそのパワーの恩恵を受けるとよい。
自然霊でずっと格下なのは魑魅魍魎(ちみもうりょう)で、
下手にちょっかいを出さなければ問題はなく、神社の祭りの時に人間と交流する。
人間にちょっかいを出してくるのは低級霊の動物霊で、日本ではキツネで代表されている。
動物は元々は人間より数が多かったが、その多くが人間によって殺された。
なので、人間に怨みをもって悪さをしてくる。
霊として生身の人間よりはパワーがあるので、新興宗教の教祖に憑いて人間を騙したりする。
すなわち霊としては低レベルのパワーを発揮して、素朴な素人を手品的に煙に巻くのが得意(素朴な素人は、同じ人間の振り込め詐欺にも騙される)※。
動物霊は固有のしつこさと動物臭があり、ちゃんとした霊能者なら見破れる。
※:日本の民間信仰には、この(眷属)レベルの”神様”が多い。
人間の死霊は、世代が進むと先祖霊となり、子孫に対して守護霊の立場にもなる。
それは霊としての成長(浄化)であり、霊格が上がるのが霊の本来進むべき道である。
子孫たちの先祖供養がそれを助ける(先祖霊は守護霊として子孫を助けので互助的関係)。
ただ一部の死霊は自分の死を受け入れ難く、またこの世に執着していて、
霊格を上げることに関心がない。
これらの霊が生きている人や土地に憑いたりして、人間にとって不要の交渉をしてくる。
これら浮遊霊は、仏教的には「未成仏霊」といい、霊能者による浄化が必要となる。
この未成仏霊がたくさんいる場所がある。
古戦場、大災害や空襲のあった所、大病院(特に軍関係)のあった所、自殺者が多い大規模団地などである。
すなわち遺体の霊的処理(供養)が充分でなかった地。
またこれら霊が大勢通る道があり、それを「霊道」(れいどう)※という。
※:「霊道」は寺尾玲子氏の命名
霊道は上のような場所や火葬場から寺・墓地に続くことが多いが、
その途上の家の中を通ることがあり、その家では不特定多数の霊が目撃される。
霊能者に頼めばその霊道を移動させることができる。
以上のように、我々は、先祖霊や守護霊だけでなく、
自分と無関係な霊とも接触する機会がある。
それだけでなく、生きている他者から、怨み・嫉妬や羨望の念を受けてしまうこともある。
これが生霊だ。
生霊は、必ずしも本人が意図的に念を送る(呪詛する)場合だけでなく、無自覚の場合もある。
生霊の元は生者なので「浄化」の対象にならない。
また念のパワーは死霊より強い場合が多い(エネルギーがたっぷりあるから)。
心霊的方法でパワーを遮断することも不可能ではないが、
対人関係の調整という非心霊的方法で収めることも可能である。
ただ生霊の発信者は性格的に歪んでいる人が多いので、
むしろ関係を遮断したい相手であることが多い※
(「ストーカー」は本人が生霊と化してしまった恐ろしい例)。
※:生霊はSNSを通じても繋がってくるので、文字通りブロックした方がよい。
以上が、霊側のまとめ。
これら霊に対する人間側の影響・対応については次の記事で。→霊に関わる人たち