今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

数十年に一度の大雨が毎年降る理由:確率論的説明を追加

2018年07月08日 | 防災・安全

今回の西日本豪雨では、「大雨特別警報」が長崎から岐阜までの西日本に軒並み発令された。
今回でわかったように、「大雨特別警報」は災害を直接予想する
(それより1ランク下の「記録的短時間大雨情報」から災害に直結する)のだ。
だからこの警報は真の危機を意味していると認識しなければならない。

それに対して、従来の「大雨警報」(警報は本来は、”重大な”被害が予想される時のもの)は、
災害に至らないレベルで乱発されてきたので、もはや夕立予想程度の情報的軽さしかない(「オオカミ少年効果」)。

大雨特別警報は、その地域の観測データを元に「数十年に一度の大雨」が予想される場合に発令される
(なので想定される雨量は地域によって異なる)。

ということは、今年「大雨特別警報」が発令された所は、今後数十年間は、今年規模の大雨から免れるということであろうか。

確率論的に、それは正しくない。
サイコロを振って1が出たら、あと5回は1が出ないと確信してしまう誤りだ。
サイコロの1が出る確率は、毎回1/6なのだ。

同様に、この地に大雨特別警報が出される確率は、毎年、1/数十となる。
なので、来年また発令されることもある。 

今、降水現象が互いに独立した(互いに影響しない)観測点が、やはり”数十”ヶ所あるとする。
そのすべての観測点のいずれかで「大雨特別警報」が 年間に発令される確率はかなり高くなる


※:以下追加分。
サイコロを振って1が出る確率は1/6だが、では「6回続けて振ったら、1が1回出る」確率は=1/6+1/6+1/6+1/6+1/6+1/6=(1/6)×6=1になるかというと、そうはならない。
連続する事象は単純に加算(乗算)できないのだ。
6回振って1が1回出る確率は、1が1回も出ない確率の”余り”の確率、すなわち
1−(1が1回も出ない確率)という余事象の式に当てはめる必要がある(この発想が人間は苦手なので確率論はきちんと勉強する必要がある)。

実際に大雨特別警報が出る確率を計算してみる。
「数十年」を今、20年と限定する(数〜って2-3を含意するから)

そして観測点を都道府県数47に合わせて仮に50箇所とする(本当はこの倍以上)。
すると出したい確率は、「20年に1度の大雨が今年50箇所のどこかで降る確率」となる。
1箇所での「20年に1度の大雨が今年降る確率」は、年単位でみると1/20。
この余事象である「20年に1度の大雨が今年降らない確率」は19/20となる(特定地点だけをみるなら、大雨特別警報級の雨は、滅多に降らない)。
さて、出したい確率の式は、1−(20年に1度の大雨が50箇所のどこにも降らない確率)という高次の余事象である。
それを計算すると、1-(19/20^50)=0.923

すなわち、地域を限定しなければ、大雨特別警報は、毎年どこかで発令されておかしくないことがわかる(実際の観測点は100箇所を越える)。
以上追加分。
なるほど、毎年どこかしら大雨で被害が出るわけだ。


さらに確率論ではなく、気象学的にも、地球温暖化の影響で、大気の水蒸気量(可降水量)が増えるため、
一度に降る雨の量が増える傾向にある。

ついでに言えば、豪雨災害は迷惑だが、降水量は減るより増える方がましだ。
確かに水の力も恐ろしいが、その水の不在、すなわち渇水(旱魃)ほど生物にとって恐ろしいことはないから。 

なので私が恐れているのは、温暖化ではなく、寒冷化の方だ。
寒冷化して氷河期になると、北半球の高緯度に偏った陸地は氷床となり、水分が氷に固定された分、
空気中の水分が激減して、残った低緯度の陸地は砂漠化してしまうから(人類はどちらにも住めない)。 

こういう第三者的視点ではなく、当事者的視点でもっと実用的な情報を求めるなら→自宅の災害危険度の事前確認:気象災害編」


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