「瞑想のすゝめ:レベル3」の続きで、シリーズ最後の記事(終章)。
これまでの一連の記事は、自分の「心の多重過程モデル」と瞑想実践の結果をもとにしている。
「瞑想のすゝめ」をレベル3まで進ませて、私なりに瞑想の功能を多重的に示してきた。
すなわち、
レベル1:脳内のデフォルト・モード・ネットワークの鎮静化。数息観瞑想で深呼吸によるシステム0(心身)のバランスが安定する。
レベル2:マインドフルネス瞑想、すなわちシステム1の行動を停止し、システム2の能動的思考を停止し、受動性に委ねることにより、日常では素通りした純粋経験・刹那滅・存在への実感を体験する。システム2主導を乗り越えて、システム3を開く準備段階。
レベル3:システム3の作動訓練としての瞑想。システム2の自我の束縛から離れることをイメージする。
以上の流れは、「心の多重過程モデル」に則った瞑想の進展を意味する。
特にシステム3という心の新たな次元(能力)の起動は、多重過程モデル的にとても重要である。
ただ、オカルト界にもある既存の”心の進化モデル”は、目指す進化先が善で、乗り越えられるべき次元を悪として否定する。
たとえばマインドフルネス(仏教)も、システム3の発動を推奨するため、システム2以下を「マインドレスネス」と名づけて否定的に評価する。
それに対し「心の多重過程モデル」は、心を多重に作動させる=心を”豊か”にすることを目指すため、既存のシステムを肯定したまま上位システムを作動させる。
なので、上ばかりを目指すのではなく、システム0〜システム2のさらなる充実も手を抜かない(それぞれのトレーニング法がある)。
ただ未経験のシステム3の初動にとっては、システム1と2が邪魔するのでそれらを停止する瞑想が必要だった。
そしてシステム3が自由に作動できれば、システム1・2をいつものように作動させる(これらを充実させるのに上位のシステム3が必要)。
では、前回のシステム3を作動させる瞑想レベル3が最終段階なのだろうか。
下位を切り捨てない本モデルでは、レベル1の瞑想もレベル2の瞑想はいつでも効果がある。
でもまだ先がある。
システム3によって、システム2の自我から自極(認識主体)が離れることが可能となった。
これをこのままにしておく手はない。
では自我から離れた自極をどこに向わせるか。
精神分析的関心があるなら、システム1の”無意識の世界”に沈降しても構わないが、そういう退行的方向よりも、
自我(自己)の外へ抜け出て、自我的自己ならざる、超個(トランス・パーソナル)的な自己※、普遍的な自己に向うことで自己の可能性を異次元に拡大させる。
※自己的でありかつ他者的、外なる自己・内なる他者。
それが実現できれば、自己は実存次元よりさらに深い(高い)霊的(スピリチュアルな)次元※に達することができる。
それがシステム4である。
※生命をも超越している次元。ちなみに精神(spirit)も個的心(mind)を超越している。アカデミック心理学は実存以降の次元には手をつけない。
システム3はマインドフルネス(テーラワーダ仏教)段階だったが、超個的自己と邂逅するシステム4は大乗仏教的段階だ。
そしてシステム4では、内側の”心的エネルギー”が外側の物理的エネルギーに変換可能となる。
このレベルの現象は、アカデミック心理学の外側、つまり通常の心理学ではない「トランスパーソナル心理学」「超心理学」※の領域だ。
いうなれば私の心の多重過程モデルは、システム4に達することで、既存のアカデミックな心理学の枠を突破し、これらの科学と認められない心理学とを統合することになる。
※霊的次元を扱うのがトランスパーソナル心理学。超能力や超常現象を扱うのが超心理学。いずれもニュートン力学的科学観のアカデミック心理学からは認められていない。ちなみにアメリカ心理学の祖にしてプラグマティズム哲学者W,ジェームズは神霊協会にも属していた。
釈尊が神通力を使ったとされるのは、心がシステム4に達していたからだ。
またそれゆえ、強いオーラ(後光)も発していただろう(手で病を治せたイエスも同じだったろう)。
私自身は、理論先行で、実践はシステム4の入り口段階でしかないが、 このレベルの瞑想は、仏教ではなく、気功の方法でやっている。
精緻な気の理論が心的エネルギーの使い方として実践的だからだ。
システム4では、システム3で一旦否定された、システム2的な”念”(思い込み:心的エネルギー)の力を有効な方向で積極的に利用する。
もともと念の力は、プラシーボ効果のように常人のシステム2→システム0レベルでも作動していた。
システム4でその力を自在に操れるようになった(私の先を行く)人たちは、洋の東西を問わず、一様にその力を人々のために使う”ヒーラー”になっている。
注意してほしいのは、素人には手品〔マジック)が超能力・超常現象に思えてしまうように、
真のシステム4とそれを表面だけ装ったシステム2との区別は、システム2が最高位の常人にはできないことである。
空想・はったり、誇大妄想はシステム2で可能だ。
システム2の科学的論理でもある程度は見破れるが、システム3に達しないと、システム2の限界がわからない。
瞑想レベル2以降、心の基本的な在り方が変容していく。
すなわち、システム2(自我中心主義)を乗り越え、存在者(在るもの)を可能にする”存在”(在ること)を実感するレベル2の瞑想によって、存在愛である慈悲心が沸き上がり、
さらにシステム3で自我から自由になった心は、名声や金銭などの自我欲を滿たす生き方はしなくなり、大乗の菩薩道よろしく、人々を癒すヒーラーの道を歩む。
ただ、すべての人がシステム4を開花できるかは確証がない。
システム3よりさらに敷居が高いシステム4は、システム1・2で生きていける現生人類、とりわけ現代文明人にとってはそれだけ開発のハードルが高い(超個的なものを身近に感じていた近代以前や先住民の人々はハードルが低いかもしれない)。
システム4については今後、理論(ブログカテゴリー「心理学」)と実践(ブログカテゴリー「気・パワー」)によって探究していく。
システム3からシステム4への流れは、次の記事参照→「マインドフルネスからトランスパーソナルへ」