毎年の正月は、歴史もの、とりわけ関東の戦国史の本を読むことにしている。
ただし、北条・上杉・武田の三国志的バトルが展開する、いわば関東が周囲から蹂躙される戦国後期(16世紀)よりも、
太田道灌(江戸城を造った)が活躍した頃の、関東内部での抗争にあけくれた戦国前期(15世紀)に絞りたい。
私がこのあたりに強く惹かれたのは、はるか昔の西多摩の高校時代、地元の史跡に関連した歴史を知ろうと『東京都の歴史』(山川出版)を読んでからで、
そこでは、関東管領上杉氏を中心とした数代にわたる抗争劇が続いて、その後に箱根を越えてやってきた北条氏や越後の上杉謙信が関係してくる複雑な経緯を知った。
といっても、歴史書ならともかく、時の人物を生き生きと描いた小説となると、太田道灌(大名ではなく、扇谷上杉氏の家宰)が数点あるだけで、
確かに人物的魅力となると、謙信・信玄が出てくる時代にくらべて、地味な感はいなめない。
そういう折り、この時代の唯一のヒーロー太田道灌に比肩しうる人物が浮上してきた。
長尾景春である。
長尾景●ときたら、越後の長尾景虎(上杉謙信)が最も有名だが、景春はその景虎と遠い縁戚である白井(上州)長尾氏の1人。
これらの長尾氏はもとは相模の長尾(横浜市栄区の長尾台)の出である。
高校時代に読んだ前掲書で「景春の乱」は知っていたが、その歴史的意義(インパクト)については、たぶん当時は専門家の間でも重要視されていなかった。
それが、研究が進んで、景春の乱こそ、関東に(室町的秩序を破壊し)戦国時代をもたらした魁(さきがけ)であるという評価が固まってきた。
実際、関東管領職の山内上杉家の家宰職をめぐる内部抗争にすぎなかったら、いとも簡単に潰されて、関東中を何年も巻込む大騒動にはならなかったはず。
景春の乱は、関東に散らばった管領上杉家の所領に関係する国衆(国人)たちの支持を得ての蜂起だからこそ、一斉蜂起が可能で、しかも幾度負けても復活できた。
そこで本を紹介しよう。
景春を主人公にした貴重な小説は伊東潤『叛鬼』(講談社文庫)。
そして研究書は、黒田基樹編著の『長尾景春』(戎光祥出版)。
まずはこの2冊でいい(後者は6000円もするのでご覚悟を)。
小説にはフィクションが混じっているので、これだけだとまずい。
あと、西股総生『東国武将たちの戦国史』(河出書房新社)の第一章が「長尾景春と太田道灌」で、入門的ならこれだけでもよい。
ちなみに、国衆に注目した本は、黒田基樹『戦国関東の覇権戦争』(洋泉社)、大石泰史『全国国衆ガイド』(星海社) など。
景春の乱の平定に三面六臂の阿修羅のような活躍をした道潅(だけ)は、さすが、景春の乱のインパクトを理解していた。
道潅は景春が挙兵するおそれのある事を景春の主君や長尾の本家筋に伝えたが、室町的秩序内にある彼らはとりあわなかった。
道潅は、戦国的な「下克上」という選択肢を、少なくとも”他者”の可能性として理解していた。
実際、景春は、道潅には叛意を打ち明け、意見を求めた(当然、協力を求めたはず)。
ただ、景春にはその意志と戦略眼はあっても、個々の戦いの突破(戦闘)力が不足していた。
当時戦闘力で抜きんでていた道潅だけが、その突破力を秘めており、だから景春は家宰という同じ立場の道潅に相談したのだ。
でも道潅には下克上を実践する意志がなく、凡庸な当主(扇谷上杉定正)におおいに不満がありながら、秩序維持に努めた。
その意味で道潅には時代を切り開く歴史的な突破力はなかった。
その結果、景春と彼に呼応した蜂起は、道潅によってことごとくねじ伏せられ、 景春は敗退した。
ところが皮肉なことに、乱の平定を一人でこなした道潅が、その実力ゆえ、当主筋から「下克上」の可能性を疑われ、当主宅に招かれ殺害されてしまう。
道潅は絶命の時「当方滅亡!」と叫んだという(当方=当主)。
この時、やっと景春の意志に達したのかもしれない。
景春はその後も まさに”叛鬼”となって、ひたすら反抗し続けた(その生き様は小説で表現されている)。
そして彼が最後に頼った先は、最初の戦国大名となる伊勢宗瑞(北条早雲)であった。
宗瑞に続く小田原北条氏は、この後、道潅を殺した扇谷上杉氏を滅ぼし、景春の元主君、山内上杉氏を関東から追出す。
ちなみに、景春が立て篭もった城(日野城あるいは熊倉城)と、彼の墓と伝えられる石塔が秩父の奥にあるという。
暖かくなったら訪れたい。
さて、道潅、景春に続く、3人目は誰だろう。
父と兄を殺した幕府に反抗し続けた関東争乱の張本人、古河公方こと足利成氏(しげうじ)をおいてほかになかろう。