今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

松戸の名所巡り:本土寺から戸定邸まで

2018年12月02日 | 東京周辺

帰京している日曜、平地ではやっと紅葉が見頃になった。
先週は(低いなりにも)山に行ったので、今週は早起きしないですむ紅葉見物に出よう。
といっても都内の近場ではなく、それなりに歩きたい。 
    →過去の紅葉見物先:六義園神宮外苑昭和記念公園

ネット検索でひっかかったのは千葉は北小金(松戸市)にある本土寺
この寺はアジサイで有名らしいが、紅葉もいいらしい。
寺としても由緒あるらしく、駅から参道が伸びている。
恥ずかしながら、このような名刹が常磐線沿線にあるとは知らなかった。 
そして付近の地図をみると、「小金城趾」なる駅がある。
中世の城跡があるとは、これも知らなかった。

正直、千葉県の中では、総武線沿線と違って、常磐線沿線は訪問先としてまったく候補にならなかった。
たとえば東京に隣接する町の中で、総武線の市川は文化の香りが漂い、
その先の中山には法華経寺という日蓮宗の本山がある。
さらに奥に進めば、歴史の町・佐倉があり、その先が成田山(さらに香取と続き、最後は銚子に到る)。
それに対して、おなじく東京に隣接しながら、常磐線沿線の松戸は何もなく、柏・我孫子も同様だと思っていた。

その認識が誤りであったことが今回わかった。
松戸市内の北小金に日蓮宗の本山格の本土寺があり、その近くに下総最大級の中世城郭である小金城趾があり、
やはり松戸市内の馬橋(マバシ)には運慶作といわれる仁王像(国重文)を擁する萬満寺があり、
松戸駅の南には将軍慶喜の弟・徳川昭武邸跡がある。

すなわち、紅葉見物に山城巡り、文化財級の仏像拝観、将軍家級の史跡巡りを松戸市内だけで済ませられるのだ。


さっそく、常磐線に乗り、松戸で各駅停車に乗り換えて北小金で下車。
駅そばで腹ごしらえするつもりだったが、見当たらないので、本土寺への一本道を進む。
大通りを越えた所から道は本土寺への参道の並木となり
(埼玉の一の宮・大宮氷川神社の参道を思い出す)、 寺格の高さが伺い知れる。
実際、ここは日蓮に次ぐ宗門の聖人といわれる日朗・日像・日輪の3兄弟の生誕地として宗門の聖地に相当。

あいにくの正午前で、食べログに載っていた蕎麦店(店頭で蕎麦打ちを実演)は満席のため、
空腹をかかえて素通りするしかない。
寺の山門が近づくと、参詣者相手に土産の漬物を売る店があり、蕎麦などの食事も提供している。
しかも、まったく混んでいない。
私は、”蕎麦通”を自認しないことを座右の銘にしているので、こういう店の蕎麦でOK。 
門前の庶民相手の店の方が参詣気分が盛り上がるもんだ。
実際、自家製の漬物付きの山菜蕎麦が500円と庶民価格(さっきの店は950円するらしい)。 

さて、本土寺の山門に達すると、門の向こうの空間が紅と黄で混じって橙に染まっていて、いやがうえにも期待が高まる。
山門をくぐり、紅葉のトンネルをくぐると気分がハイになるが、ここはまだ実質的な境内でない。
この先に参拝料500円を払う入口がある。
境内に入り、本堂前の広場は期待したほどの紅葉の規模ではないが、本堂の奥、武田氏家臣の秋山氏夫人の墓がある道はふたたび紅葉のトンネルとなり、
乳出霊泉(日像の誕生水)へ廻る道に出ると見事な銀杏の木が黄色に染まっている。
さらに弁天池をめぐる道に入れば、モミジの赤とイチョウの黄、そして常緑樹の緑がきれいに混在する(写真)。
これに青空が加われば最高だったのに… 

周囲の客とともに私も負けじとカメラのシャッターを押しまくるが、
いかんせん互いに”人間”が構図の邪魔となる(あの人が邪魔だが、あの人からすれば私が邪魔)。

せめてものお願いは、こういう時は真っ赤なダウンジャケットは着てこないでほしい
(かくいう色彩検定2級の私は、薄緑のジャケットで紅葉を映えさせる)。 
苦肉の策として、ファインダーを上に向けて、人が入らないようにする。

境内を一周したので山門から出て、さきほど蕎麦を食べた店で家の土産に自家製の白菜漬け(200円)を買う。


さて、つぎは小金城趾
iPadのGPSナビを頼りに、「大谷口歴史公園」に達する。
この公園の入口に公園内の放射線量測定値が平成23年11月と30年3月の2回分掲示されている。
そういえば柏から松戸にかけては、福島原発事故によるホットスポット地帯だった。
測定値は、23年11月に0.603μSv/h(地表5cm)だったのが、
30年3月では0.061μSv/hに、すなわち1/10に下っている。 
ちなみに地表5cmというのは、空気中のγ線(防御不能)の測定基準(地上1m)ではなく、
むしろ地表のβ線(防御可能)測定を志向した高さで、放射性セシウムがこびりついた地面の汚染の方を測っている。
園内汚染土の埋穴上5cmでも0.079μSv/hなので、
東海以西の空気中の平常値(もちろん福島由来でなく地元の自然値)より低く心配ない。

公園内には、虎口や土塁、空堀、畝堀跡が発掘復元されている。
公園内にある写真による縄張り図によれば、城域は北小金の住宅地全域に及んでいる。
その小金城は、戦国時代の千葉氏の流れをくむ高城氏の居城という。
戦国末期は後北条氏に属したため、秀吉の小田原の役でこの城も滅ぶ。

大谷口馬場敷緑地を抜けて(ここも放射線測定値が掲示)、流山電鉄の「小金城趾駅」に着く。
流山電鉄はSuicaはもとよりPasmoにも対応しておらず、紙の切符を購入するしかない。
2両編成の電車に乗って、終点の馬橋で切符を改札口の駅員に渡す。
地方のローカル私鉄ならわかるが、都内通勤者も多い首都圏の私鉄でもこうなんだ(短い路線1つの小規模経営だからな)。 


馬橋では、駅からほど近い萬満寺に行く。
萬満寺は本土寺より20年ほど古い同じく鎌倉時代の創建で、当初は真言宗の別名の寺だったが、
臨済宗となったのは室町時代で、関東公方の足利氏満の一字をとったという。
重要文化財の仁王像が仁王門内にあるのだが、空間の奥に無造作に置かれている感じで、近くで見れないのが残念。
境内の案内によると、3月下旬に「股くぐり」なる行事があって、その時は拝めるどころか股をくぐれるらしい。
くぐりに来るか。

また向いの王子神社(スマホを片手にした人が集まる)には、江戸時代の庚申塔があり、青面金剛の顔が歌舞伎役者のような隈取りなのが珍しい(写真)。 


馬橋から常磐線各停に乗って松戸駅で降りる。
大学時代、飽きるほど通過した駅だが、降りるのは初めて。 
目の前にヨーカドーのビルがあり、それなりに繁盛している町並み。
そこを抜けて、一路南に進み、ほどなく高台に上って、茶室の門のような「戸定(トジョウ)が丘歴史公園」の門をくぐる。
まずは園内の戸定歴史館で、徳川昭武に関する展示を見る。

さて、これまでの中世の史跡から、時代は一挙にくだって幕末維新。
昭武は幕府代表としてフランスにあってナポレオン三世に謁見していた頃に幕府瓦解を迎えた。
その昭武が維新後に住んだという戸定邸は国の重要文化財(今日2つめ)となっており、
邸内に入って各部屋(風呂もトイレも)見学できる。 
高台に面した側からは富士山が望めるらしい。
邸の周囲も公園になっていて、色づいた木々があるが、本土寺を見てきた者にはカメラに手が伸びない。 
ここで師走の日没を迎えた。 
あとは常磐線快速で帰るだけ。 
自宅の最寄り駅まで30分300円の近さだった。
かくして近くて遠かった松戸の名所を堪能した。 



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