今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

夢を見る心と見せる心

2024年04月14日 | 心理学

ある朝の起床直前、覚醒と睡眠を繰り返し、そろそろ起きようかというまどろみの時、
夢ではなく意識的な夢想(映像表象)をしていたら、
夢想中の走っている自動車が急に勝手に暴走し出した。
その瞬間驚いて目が覚めた。

覚醒時の想像(映像表象)は自我の制御下でなされるが、その制御力は存外強くなく、映像表象力が勝ることがある。

そもそも覚醒時の思考や想像すなわち”想念”も、自我が100%制御しているのだろうか(本人はそう思っている)、
そうかどうか試してみよう。

瞑想にトライするのだ。
まず想念を断ずる強い意思を自我が堅持する。
そうすると簡単に想念は消えるだろうか。
そうなら瞑想は簡単で、誰でも簡単に阿羅漢の”禅定”レベルに達するはず。

ところが実際はそうならずに、想念が勝手に湧いてくる。
そう、想念は”勝手に湧いてくる”のだ
(そもそも覚醒時に入力情報が途絶えると、脳は自らそれを補うメカニズムが存在する)。
夢と同じ原理だ(夢を見るレム睡眠時は脳が覚醒準備状態になっている)。

自我が能動的・主体的に”想念している”と思っているが、実際は自我が想念に引きづられ、それに浸っているのではないか
(対人関係において支配していると思っている側が実はその相手に支配されていることがある)。

さらに”思考”も、自我が思考を動かしいているというより、思考が論理規則を使って自己展開していて、
自我はそれを眺めているだけかも。

私の「心の多重過程モデル」でいうと、夢想も思考も、すなわち想念はシステム2の営為だ。

ということは、システム2自体が、自律運動性を備える想念と、その働きを鑑賞し、あわよくば制御しようとする自我との二重構造になっているようだ。

すなわち、システム2に居座る自我は、夢の受け手であって構成する側ではない。
夢を構成する側は(フロイトが主張するような)システム1(無意識)ではなく、自我以外のシステム2(思念作用主体)だ。
もちろん、夢は(睡眠中の)明晰な意識現象
※:睡眠の種類によってその意識現象に対する自我の関わりが異なる。上例のような浅いノンレム睡眠では自我は単なる距離をおいた鑑賞者だが、レム睡眠においては自我は夢に入り込み、巻き込まれる。

高度で創造的な映像・物語構成能力は動物的なシステム1では無理で(ネアンデルタール人以降の)システム2の能力。
意識-無意識二元論に束縛されたフロイトは、無意識側ではない自我とシステム2(意識)とを同一視(混同)した。
自我は意識という情報処理システム内にある(意識そのものではない)、再帰(自己言及)機能で、この自我機能があるからこそ、意識の束縛を離れるシステム3(マインドフルネス)が可能なのだ。

※:私の「心の多重過程モデル」は、心にまつわる一切の二元論バイアス(思考癖)※※から脱するのが目標。
※※:主客二元論、心身二元論、意識-無意識二元論、そして既存の「二重過程モデル」のシステム1-2二元論


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。