今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

神田川を歩く:河口から馬場まで

2016年09月12日 | 川歩き

体重を減らすため、長距離の歩きに出たい。
その実益に趣味を重ねるため、どうせなら歩き甲斐のあるルートにしたい。
東京の平地なら、都内の川に沿って歩くというテーマがある。
前回、善福寺川を完歩したので、次はその善福寺川を支流とする本流・神田川の番だ。

江戸っ子にとって、川といえば隅田川ではなく、神田川。
隅田川は江戸においては境界の川であって、神田川こそ府内を流れる内なる川なのだ。

その神田川は武蔵野の”井の頭池”を源流として、江戸城の北側を廻って両国橋の所で隅田川に合流する。
全長24.6kmあるので、一日では歩き通せない。
川歩きは、源流から下流に向かうより、源流を目ざして遡上した方が気分的に盛り上がることがわかったので、今回はまず河口から歩き始めることにする。
ただ河口はダウンタウンの産業地域なので風情もなく、今時分はアスファルトの照り返しが強そうで魅力に乏しいのが意欲を削ぐ。
でも始めるなら、河口からでなくては意味がない。

というわけで、神田川の河口を目ざして、総武線の「浅草橋」で降りる。
外国人観光客も幾人か降り立ち、つっ立ったまま地図とにらめっこしている。
「浅草」に行くつもりでこの駅に降りたのでなけばよいがと勝手に心配する。

 さて神田川に向かう。
あえて川筋に向かわず、裏道を通って神田川の河口にかかる「柳橋」に出る。
もちろん、”河口から”歩き始めるためだ。
この付近の神田川は、屋形船が両岸に繋留されており、夜の宴席の場となっているようだ。

船は木造なので、それなりに情緒がある(夜なら提灯が灯ってなおさらだろう)。
柳橋の袂(タモト)には名物の佃煮を売っている船造りの店がある(写真)。

こういう江戸情緒を堪能できるアイテムがあるのだが、いかんせん周囲は無粋なビルばっかり。
そもそも肝心の神田川自体が、深緑に濁り、流れていない(流れがないのは河口だから仕方ない)。
一旦、隅田川にかかる両国橋に行き、隅田川側から神田川の合流部を眺め返す。 
柳橋という地名と屋形船だけは江戸情緒を残すが、それ以外は全て現代の人工物に覆われた景色と濁って淀んだ神田川の姿は、この川に関心を失った別の文明世界に属している(私は江戸時代の江戸にタイムスリップすることが夢)。

ここから神田川に沿って西へと歩きたいのだが、川べりはビルが川に背を向けて並んでおり、そのビルの外側の舗装道路を歩くしかない。
川に面することができるのは、川を渡る橋の上だけなので、橋ごとに川を渡り返すことにする。

それぞれの橋は、江戸時代からの由緒あるもので名前だけは風情がある(浅草橋、左衛門橋、美倉橋、和泉橋)。
あと、近代建築特有の装飾が残っている橋柱があると少しは救われる。

そうやって浅草橋→秋葉原→お茶の水を通過する。
途中の万世橋(駅)の煉瓦造りの建物や、昌平橋聖橋にある湯島聖堂などは初めての人なら立ち寄る価値はある。
お茶の水橋付近では神田上水の遺跡の碑があった。

水道橋に達し、固有の繁華街を形成している後楽園(遊園地、東京ドーム)の横を通りすぎる。
実は、秋葉と後楽園には神田川に船着き場があった。
それは防災用で、江戸・東京が歴史的に幾度も経験してきた大規模火災の避難路として使われる(大地震の時は津波が遡上するので使えない)。 

飯田橋に達すると、神田川は大きく北寄りに流れをかえる。
神田川は江戸城の外堀と別れ、ここから純粋な川になるのだ。
ただ川は広い車道の中央にあり(川沿いには歩けない)、川の上には首都高速道路が覆いかぶさってる。
神田川は江戸時代には水運にも使われていたのだが、現代の東京では邪魔者でしかないようだ。 
その上、川の屈曲にそって幹線道路も湾曲が強いられる。
その名も「大曲り」を経て江戸川橋に達する(川は神田川なのに)。 

ここから、神田川は水源地のある西方に再び向きを変え、そして丘陵麓の左岸(北側)が公園となり、初めて川べりの遊歩道が始まる。
川に沿って、椿山荘・芭蕉庵・鉄砲坂・水神社と風情ある景色が続く(写真)。
川をみると、なんと水が澄んで、川底が見える!
しかも、大きな鯉の群が悠然と泳いでいる。

ここより下流の総武線に沿った域での濁りは皇居の外堀から来ていたようで、
神田川自体はこのような都会の清流だったのだ。
神田川の歩きを、河口からの完歩にこだわらず、ただ楽しむなら、江戸川橋からスタートすることを勧める。

文京区・豊島区・新宿区の境目あたりをひたすら西に進む。
途中、「東京染ものがたり博物館」という染め物工房に併設された資料館に入る。
そこで知ったことには、神田川沿いにはその”清流”を利用した染め物業が今でも盛んだという。
こういう川と向き合った姿に出会うと嬉しくなる。

道が工事中のため、一旦川沿いから離れ、また遊歩道に戻る。
すると「山吹の里」という如意輪観音の石仏が彫られている碑があった。
最初に江戸城を造った太田道灌(徳川家康の150年前)にまつわる碑だ。
その碑の前にかかる橋は「面影橋」。
文字だけなら、風情たっぷりなのだが、実際には、山吹の里の面影はまったくない。
ただ、橋から見下ろす神田川は透明できちんと流れている。
東京の山手線内なのに、川床も川の周囲の木々も自然が勝っており、江戸川橋から下流に比べれば別世界だ。

 都電の線路を渡って、高田橋から下を見下ろすと、神田川がなんと瀬音をたてている。
川床は人工的だが、この付近は落差があるのだ。 

さらに進んで、西武新宿線の鉄橋が見えてくる頃、川に面した親水広場があるのだが、柵に覆われ「閉鎖」の看板が…
それによると、ここで近所迷惑な行為が続いたため、止むなく閉鎖にしたという。
マンションなどが並んでいる中で、夜に酒を飲んで花火でもやって騒いだのだろう。
都心部にいて川と直に接する貴重な空間が奪われた代償は大きい(私のような川歩き愛好家にとっても残念至極)。

さて、神田川は戸塚の神高橋から先は、鉄道の下を通っているのだが、そこだけ両側が側壁となり川幅が狭くなっており(沢登りでいう「ゴルジュ」)、そこに沿う道がない(写真)。
その橋の隣に新宿区の施設があり、中に神田川コーナーがあるというので入った。
つまり、ここにいたって川沿いの遊歩道がなくなり、川のまとめの情報が得られるということなので、どうしても川歩きを切り上げる気分になる。
2時間で8キロ強歩いた。 
時刻的には、まだ余裕なのだが、久しぶりに歩いたせいか、臀部の筋肉が痛く、靴もまだ足に慣れていないので両足の指先が痛い。 
ということで体の限界なので目の前の高田馬場駅から帰路についた。 
今回で河口から1/3を歩いたので、あと2回続きをやる。 

この続き(馬場から下高井戸)



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