今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

不死身の財布

2008年03月13日 | 失敗・災難

外出から戻り、家で下の「VIP気分?」の記事を書いていた。
すると愛知の勤務先の事務助手の人からメールが来て(メールが来ると自動的にパソコン画面に表示するようにしてある)、「財布を落としていませんか? 東京の上野警察署に連絡してください」とのこと。
えっと思い、いつも財布を入れているバッグを見ると、確かにあるはずの革の財布(札入れ)がない。
まず勤務先にお礼の返信をして、上野署に電話した。

そもそも、なぜ上野署が私の勤務先へ電話できたかというと、
まず私は銀座で下の記事の用を済ませた帰り、御徒町で途中下車して、多慶屋で買物して、アメ横を通り、上野駅横の古書店で本を一冊買って、上野から山手線で帰ってきた。
財布を落としたのが上野駅近辺だから、届けれくれた最寄の警察署は上野署となる。
そして私の財布の中には、自慢の銀行カード2枚のほかに、運転免許証、勤務先の身分証明書、それに自分の名刺を数枚入れていた。
その名刺に勤務先の連絡先が印刷されてある。
なのでこの財布から、持ち主とその連絡先まで判明する仕組みになっていた。

ついでに財布にはその他に、クレジットカードや帰り用の名古屋までの乗車券、それに現金が4万円ほど入っている。つまり、無くしたら金銭的にも情報的にも損害はとっっても甚大だった(名古屋のユリカカードや伊東屋のメルシー券も)。

次に、その財布を落としたのをなぜ自分で気づかなかったのかといえば、上野で最後の買物をした後は、すでに財布を落としていた時に駅ではSUICAを使ったから。
だから、「財布をどこかに落としてしまった!」という落胆・あせりを体験することなく、財布が届いた安心感が先に来てしまった。

でも、今手元に財布がないし、中身もどれほど無事かわからない。
第一、このままでは自分にはSUICAを使うことしか経済行為ができない。

上野署に電話をして、財布の落とし主であることを告げる。
「受取りに来る時は本人を確認できるものをもってきてほしい」と言われたが、それらもいっさいその財布の中にあるというと、「確かにそうですね」といって、印鑑の持参だけでOKしてくれた。
ただ受付は午後6時までだという。
腕時計を見ると、午後5時35分をまわったところ。
電話の向うの人は、明日以降に来てほしい口調だが、
こちらとしては一刻も早く、わが財布を戻したい。
今から急いでそちらに行くと言って電話を切り、地図で上野署の在りかを確認して、駅から近いからなんとか間に合いそうとふんで家を出る。
玄関の外で帰宅した母と出くわし、「財布を落としたので、取りに行く」というと、「また?」といってあきれられた。

上野で降りて、駅の浅草口から出る。
ところが、こちら側の駅前は横断歩道がなく、歩行者は2階の高さにある長大なループ(円環)状の歩道橋を通って向う側に行くしかない。
実は上野駅のこちら側は行きつけないので、道の見当がつかない。
浅草署のある浅草通りは、どのあたりでループから降りればいいのかわからないのだ。

付近の人に道を尋ねるという選択肢を元来もたない私は、自分で見通しをつけて、
通勤帰りの駅に向う歩行者をかき分けて一人走り出す。
もう5時50分をまわったので、歩いてなんかいられないのだ。
ループを半周したところで歩道橋を駆け降りて、広い通り沿いの歩道を走る。
すると前方に昼間みた多慶屋のネオンが。
違う!ここは昭和通りで、この道では御徒町にいってしまう。
引き返して、階段を駆け上がって、また歩道橋のループに戻り、別の分岐を目指して走る。

こんなに走ったのはひさしぶり。
でも幸い、息もあがらず、足も動く。
ただ、どの道を目指せばいいのか、依然としてわからない。
時計の針は5時55分を過ぎようとしている。
階段を下りて見当をつけた別の大通りに出て、直進しようとした所に幸い、付近の地図の看板があった。
上野署へはこの道を直進するのではなく、右に伸びる通り沿いだとわかった。
また間違えるところだった。
右折して通りを走ると、すぐに上野署があった。
5時58分。間に合った。

受付で担当部署を聞き、3階に行くと、窓口ではもう私に渡す準備(終業時間だもんな)。
書類に住所・氏名を記入し、捺印すると我が財布を渡してくれた。
カード類だけでなく、現金もそのままだった。
拾ってくれた人の名を聞き出すと、名は伝えたくないとのことで教えられないという。
お礼の気持ちのもって行き先がなくなったので、窓口の人にお礼を言って、帰宅する。

実はこの財布、今まで5回くらい外で落とした。
でも毎回、中身も含めて無事にもどっている。
だから私は「不死身の財布」と名づけている。
もちろんこの財布にその力があるのではなく、この財布を拾ってくれた人が、毎回善良な人だったという幸運が続いたわけ。
無くしたショックを経験することなく、無事に戻ったという嬉しさだけを味わうことができた(といっても金銭的にはプラマイゼロなのだが)。

帰宅途中、(特別な時用の)エビスビールを買って、夕食時に、財布を拾って届けてくれた見知らぬ人用のグラスを用意して乾杯した。


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