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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

極論化という反対のための論法

2025年07月18日 | 時事

選挙戦たけなわの政治的議論において安易に使われる論法がある。

それは、相手の意見に反対するために、相手の意見を極論化して、すなわち相手の意見をあえて暴論に仕立て上げて、その暴論に反対するという論法。

そうすることによって、こちらが相手の暴論に対して健全な立場で反対するという、正義の立場であるかの印象を与える(本人も信じ込む)。

この論法は実は、論理的には相手の”意見”に対する反論になっていない

有権者はこの疑似的論法に注意する必要がある(マスコミ自体がこれを使用しているし)。

たとえば、外国人問題について、それを(すべての)外国人を排斥する主張に置き換えられ、それが糾弾されるのがその例。

あるいは、選択的夫婦別姓の問題では、それが日本の家庭(家族の一体感)を破壊するという極論にされている(我々は母の旧姓にも親しみをもち、母方の親類とも父方の親戚と同等につきあっている)。

こういう”ためにする議論”(結論を先取した議論)は、単なる”言い合い”で終わり、生産的(創造的)ではないので、関わり合う価値がない(時間と労力の無駄)。

「どうしたらベストか」という開かれた心で話し合うのが生産的な議論だ。


:ネットでも時たま、私の記事に対してこの論法での反論がくることがあるが、論理的に反論になっていないので却下する。真摯な議論なら大いに歓迎。