今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

そこを定宿にした理由:追記

2021年01月18日 | 

コロナ禍で、旅そのものが抑制される中、行き先はおのずと限定される。
こういう時、どうせ泊るなら”定宿”だ。
それは経営的に応援したいという気持ちだけでなく、そもそもお気に入り第一位なので、必然的に選択対象となるから。

私の定宿は、ここで再三紹介しているように、岐阜県・中津川市にある「ホテル花更紗」。
毎年複数回利用しているが、コロナ禍になってからの1年以内に、今回で5回目の投宿。

名古屋から毎月の温泉旅をしていた(コロナ禍では抑制)この私にとっても、結局、定宿は早くからここに固定し、ずっと変更がないまま今に至っている。

まず私が利用する宿の価格基準として、上限は一泊二食付きで15000円程なので、世間でいう”高級宿”は対象外(実際には上限を超える宿にも泊る)。
下限は私の表現でいう「安宿チェーン」で、8000円台。
安宿チェーンは設備の古さと料理の質に満足できないので(その中で毎年1回は利用するのが、湯快リゾートの「恵那峡国際ホテル」)、いちばん利用しやすいのがその上のグレード帯で11000ー12000円の休暇村レベル(休暇村では「休暇村茶臼山高原」を年2回利用)。
といっても休暇村クラスは、貧乏臭さがないレベルで、定宿にしたいというほどの高得点には至らない(グリーンプラザの方が高得点)。

この基準からいうと、ホテル花更紗は上限に近いので、価格的にはここより安い宿を選びたい。
高額なほど質も高くなるのは確かだが、ここが気に入っているのは、一言で言えば、感性的に心地よいからだ。

この宿から得られるのは、リッチさではなく、飾らない上品さ
”これ見よがし”の、あるいは”ツンとした”上品さではない。
たとえば和服姿の従業員が一列に並んでお辞儀をするとか、アート的なインテリアをあちこちに配置するようなわざとらしさとは違う、もっと自然に表現されるもの。

宿のたたずまいから浴室(総檜!)、料理、そしてスタッフの応対に至るまで、この飾らない上品さが一貫している(宿の造りは質素にしか見えないかも)。
※:夕会席の「前菜」の意匠を毎回楽しみにしている。今回の前菜三種盛りは、蟹とんぶりオリーブ和え(中津川産ちこりを添えて)、鮑白和え(殻盛り)、鮟肝ポン酢掛け。

飾らない上品さこそ、本来的に身に付いた品性が表現されたものではないだろうか。
といっても私がそれに敏感なのではない。
それを素直に感じさせてくれるのが、この宿なのだ。

この慎ましい品性は、安宿チェーンにはもちろん望むべくもないが、かといって「すごいでしょ」とばかりに設備や料理の豪華さを”売り”にするリッチな宿にも見当たらない。
豪華さだけでは、品性に直結しない。

この上品さを受ける側の私も、もちろん常連風を吹かすことはせず、慎ましくサービスを受ける(ただ鶏肉が苦手なのはわかってもらっていて、料理に配慮される)。

かつては苦言を呈したこともあったが(すぐに改められた)、逆に私が改めさせられたこともあった。
私自身がここの自然な上品さに感化されたともいえる。

同宿の客に眉をひそめたことはなく、むしろスタッフが奥に退いた食堂で「ごちそうさま」と声を張って伝えようとする客の振舞いに感心した。
もともと有名観光地でないこともあり(多くの客はここを素通りして木曽や下呂に向う)、客層もそれなりに絞られるようだ。
私にとっては、観光地としては魅力ある木曽路に行く際も、ここを素通りすることには勿体なさを禁じ得ない。

それに加えて、宿の周囲に広がる恵那山麓の里山風景、そして近くの木曽馬籠宿の存在もこの宿の魅力に貢献している。
観光写真に載るような風光明媚さはないが、ロケーションからして慎ましく上品なのだ。

安宿は何かしら不満を覚え、リッチな宿はコスパ的に満足しないため、定宿にはならない。
心地よい上品さにひたれてこそ、滞在中なのに「また来たい」と思う定宿になる。

追記:2022年3月、残念ながら、定宿ではなくなった→定宿だったのに


緊急事態宣言下の中津川を巡る

2021年01月18日 | 

緊急事態宣言下の旅行は、もちろん一人でマスクをして、3密を避けて、地域経済に貢献する。

定宿に泊った翌日、素泊りなので朝食は持参した「スープはるさめ」(86kcal)で軽く済ませ、
まずは車で近くの馬籠(まごめ)に行ってみた(旧中山道宿の風情を楽しみ、木曽の土産物を物色するため)。

※:木曽路にある文豪島崎藤村の出身地である馬籠は、長野県・山口村に属していたが、平成になって岐阜県・中津川市に編入された。

斜面に沿った馬籠宿の下の入口にあって広い無料駐車場を併設する「まごめや」こそ開店しているが、坂を登っての馬籠宿を構成する店はことごとく休業。
そして道を歩く人影がまったくない(写真)。
数え切れないほどここには来ているが、見渡しても人影がない「無人の馬籠宿」という風景を見たのは始めて。
これこそ”異常事態”。
馬籠宿の上半分は見ていないが、少なくとも下半分では「坂の家」という店だけが一軒気を吐いて営業中で、食事もできる(「まごめや」の食事処は休業)。
その意気や立派。
今なら、誰もいない映画のセットのような、ある意味貴重な風景を味わえる。

ここから旧中山道沿いの細い道に沿って木曽路南端の新茶屋を抜け、山中薬師への更に細い道を行く。
ここは宿から一番近い薬師様で、2020年4月の”薬師巡り”(→記事)の時印象に残っていた。
向いの駐車場に車を停めて、本堂に上がって厨子に入った本尊前立の薬師様を拝む(疫病退散を祈念)。

ここから木曽の山を降り切って中津川駅前に行き、2時間無料の市営駐車場に車を置く(これ便利)。
朝食が”はるさめ”だったこともあって、昼食を摂りに来た。
こういう時こそ、日頃は行列の人気の高級蕎麦店に入るチャンスなのだが、店の前で中を探ると、カウンタ席のカップルが楽しそうに会話している。
狭い店なので、二人から距離をとれるかわからない。
それに、もともと昼食を摂る/摂らないの境界状態ということもあり、心理的・財布的に余分な負荷をかけたくない。
ということで、2020年7月(→記事)に入った地元B級グルメの”焼そば”にした(これならワンコイン)。
地域経済への貢献を謳っていながら、どうしてもケチってしまう自分の性(さが)にあきれる。
償いのため、駅前のビルにある地元物産品を集めた「にぎわい特産館」に行き、そこで地元伝統野菜の「あじめコショウ」(唐辛子)とアメリカ人が地元で開業しているコーヒーショップのドリップコーヒーをそれぞれ1袋買った。

ここから少し歩いて自動車用トンネルの脇を上がった処にある「扇薬師」を訪れる。
昨年の薬師巡りの時は、市営駐車場が使える事を知らなかったため、交通量の多い道路に車を停めることもできず、ここの薬師だけ参拝できなかったのだ。

地元の花崗岩を使った石造りの小さなお堂で、木の格子がはめてあって中は見えない(写真)。
ただ周囲に石仏もあり、狭いながらも信仰の形跡がはっきりしている(ここ中津川は藩主自ら排仏毀釈を断行した地)

これで中津川での心残りは、高級蕎麦店だけとなった。