伊良湖で大アサリを食べるだけなら一泊で充分なのだが、伊良湖に行ったついでに神島(カミシマ)にも訪れたいので二泊した。
神島は、三重県の鳥羽から伊勢湾側に続く一群の島々の東端(最奥)にあり、たとえその島を知らなくても、この島々の写真を見てどれが神島かと問われたら、ほとんどの人は当てられる形をしている(名は体を表している:写真は伊良湖水道付近から見た神島)。
といっても、九州の沖ノ島のように島自体が聖域というほどの神威はなく、江戸時代は鳥羽藩の流刑地だったという。
その神島を有名にしたのが三島由紀夫の小説『潮騒』で、この島が舞台である(実際、三島はこの島に滞在して執筆した)。
しかもこの小説は4度も映画になり、もちろん毎回ロケ地になったという。
神島は、これといった景勝地も史跡も名物もなく、観光資源として頼れるのはこの『潮騒』だけなようだ。
ただ住民は観光には期待しておらず、皆漁業をなりわいとしている。
その神島は、船の難所で有名な伊良湖水道を挟んで愛知の伊良湖岬と対峙しており、
鳥羽より伊良湖からの方が近いため、毎年伊良湖に行く私としては(しかも鳥羽には行かないので)、
この神島に伊良湖から往復することにした。
朝10時の便で往き、帰りは14時の便になる。
片道15分なので、島の滞在時間は3時間45分もある。
観光地でない島でやることといったら島の一周しかない。
もっとも私は三島文学には親しまず、『潮騒』は映画すら観ていないので、
周回ポイントとなる作品ゆかりの地には思い入れがない。
伊良湖から船に乗ると、まず伊良湖水道を行き交う漁船群との交差に目を見張る(写真)。
上述したように伊良湖水道は、海流と地形の関係で船の航行に難儀する所だが、伊勢湾・三河湾と太平洋を結ぶ狭い出入口でもあり、知多半島(師崎)に帰る漁船と名古屋・四日市・豊橋港に出入りする大型貨物船が次々と縦断する合間を縫って、伊良湖と鳥羽を結ぶ連絡船が横断するのだ。
神島の漁港に到着し、陸(オカ)に上れば、観光的雰囲気はほとんどなく(”店”がない)、山の斜面に民家がひしめいている。
民家の軒先を通る細い道づたいに一応小説ゆかりの時計台・洗濯場を通り抜ける。
島の人口は500人ほどで、集落も漁港周囲に限定されているのでほぼ全員が顔見知りのはず。
なので、他所者の私は怪しまれないように、すれ違う島の人にはこちらから挨拶をする。
長い石段を上って八代神社に到達。
神道的には、この神社が神島の”神”に相当するが、
いかんせん向いの鳥羽の山向こうに最高格の伊勢神宮が鎮座しており、境内に神宮遥拝所がある始末(原始神道まで遡ればどうなるか)。
ここからは「灯台」の文字が消えかけた案内板を頼りに踏跡を進むと、
「近畿自然歩道」にぶつかり、ここからは最後までこの歩道(一本道)に沿って進む(道の下は絶壁だという)。
島の北側の斜面に沿って進み、東に回ったところで灯台に出る(小説にちなんで”恋人の聖地”らしい)。
ここからは伊良湖岬と奥に続く渥美半島が真正面で、そこを境に左が伊勢湾・三河湾、右が太平洋(遠州灘)だ。
ここから崖下の伊良湖水道を見下ろすと、恒常的に白波が立っている海域がある。
風や船の影響でないので、海流が衝突しているのだろう。
灯台から道は山に向い、途中標識のない分岐があったので、脇道を行き、島を形成している灯明山山頂のアンテナ塔に達した。
残念ながらアンテナ塔の周囲は柵がめぐらされて入れない
(あとで気づいたが、山頂には標高171mの三角点があり、そこはこのアンテナより奥にあるはず。その道は見いだせなかった)。
元の道に戻って、山陵を越して下りになり、
ほどなく旧陸軍が伊良湖の砲台の落下点を確認するために建てた”監的哨”跡に出る(コンクリの建物が残っている)。
小説ではこの地でラブシーンがあったらしいが、
本来は戦時の遺跡であり、今は鷹が悠然と上空に舞っている(この島は鷹の生息地)。
さらに山を下ると、右手に神島小学校と神島中学校の校舎と運動場が拡がる。
集落からずっと離れたこの地に学校がある理由は、ここだけが運動場と校舎を造れる島内唯一の平地だからだろう。
小学校の校舎は古く、しかも使われていない教室がだいぶあるようだ。
平日の昼ながら、遠方からは人の気配を感じられない。
この過疎+少子化の地で、通う児童・生徒はどのくらいいるだろう。
また島内にいて「知らぬ」では通せない『潮騒』のラブシーンの箇所にも目を通しているのだろうか。
その反対側の海側に石灰岩の露岩がカルスト地形(秋吉台と同じ)を形成している。
島唯一の奇勝といっていい。
その他、道沿いに褶曲層が見事な岩壁が2箇所あった。
島はさらに南に険阻な岩脈の岬が続くがそちらは立ち入れず、 これから島の西半分に入る。
海の向こうは鳥羽側となり、おだやかな砂浜が続く。
せっかくなので砂浜に降り、神島の海岸で足を濡らす。
道は海岸から離れ、NTTの中継所がある乗越(島の写真右側の凹地)を越えると漁港の集落に降りる。
これで一周したことになる。
時刻は12時半なので乗船にまだ1時間半もある。
しかたないので、集落内の細い路地をあちこち歩いて、寺に行ったり、もういちど八代神社に行ったりして、時間をつぶした。
斜面に拡がる集落を歩いてわかったことには、この集落の多くが「急傾斜地崩壊危険箇所」に指定されている。
それと津波の際の避難場所は、高台にある八代神社だ(あの長い石段を上るのはたいへんそうだ)。
神島は、湾内の津・四日市・名古屋・豊橋にとっては、渥美半島や志摩半島とともに
東海・東南海地震の際の津波の防波堤になってくれて頼りになる。
島民の皆さん、東海・東南海地震の時は、津波被害と土砂災害に注意してほしい。