今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

あまちゃんの3.11

2013年09月02日 | 作品・作家評

「あまちゃん」のドラマがとうとう2011年3月11日の午後2時46分を迎えた。
この番組の制作の1つの発端なった瞬間である。

いやそれだけでなく、少なくとも東日本の人間にとって、
この瞬間を再体験する事で、あの時の自分に引き戻される。

それは、今地震を体験している天野あきたちと、震災を体験した自分との”今”が共通化された瞬間でもある。
この時から、あまちゃんは他人のドラマではなく、われわれのドラマとなる。
(ちなみに半沢直樹はリーマンショック前の時代設定なので、あまちゃんよりも昔の話だ)。

9月2日の放映分では東京と北鉄車内のシーンだけなので、岩手の故郷の人たちの安否は定かでない。
ただ、北鉄の無線によって、多くの人たちは多分津波の前に避難を開始したことはわかった。

この番組は、本来、人々を元気づけるためのものだから、心痛む悲劇にはならないと思うが、
残り1ヶ月を切り、終結に向かう「あまちゃん」は、天野あき個人の東京でのサクセスストーリーではなく、
被災地の復興の象徴を意味することになるはずだ。
ますます見逃せなくなってしまった。

それから今日の放映でつくづく思ったのは、小野寺ちゃんの家族が「災害伝言ダイヤル」を利用していれば、
皆であんなにやきもきすることはなかったのに、ということ。

読者の皆さんも「災害伝言ダイヤル」の使い方をマスターしておきましょう。