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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ささやかな贅沢

2012年06月24日 | 
夏の”棒茄子”をもらっても、決して奢らず、慎ましい生活を通す私だが、
この週末は、急きょ、2泊の宿をとった。

一泊目は、名古屋の北にある小牧市内のビジネスホテル。
二泊目はそこから100km離れた長野県境の山上にある休暇村茶臼山高原。
もちろん両者には何のつながりもなく、別個の旅を連続しただけのこと。

名古屋宅から車で1時間で行ける小牧の宿は
ビジホながら天然温泉なのが気に入っている(しかも等張性なので浸透性が高い)。
そのシングルルームで週末すべき作業をこなす。
家にいてもできる作業なのだが、ジッと家に篭りっぱなしというのは、どうも不健康で気も滅入る。
なので、転地効果のある場所で、集中作業と温泉入浴を繰り返して健康的にいきたい。
なにしろ温泉入り放題の宿代は朝食バイキング込みで特別価格の4800円!

一泊目で作業を終え、
二泊目は気分転換に愛知県最高峰の高原に車を走らせる。
こちらの宿も共済の2000円割引を使えば2食付きで6800円で泊まれる(ただし温泉ではない)。
自然豊かな奥三河のこちらでは「蛍鑑賞会」に参加。
それに今回はもうひとつの予定も…。
これは結果報告のお楽しみ。

2泊で10000円ちょいの旅(有料道路は使わない)で、
仕事がはかどり、気分転換にもなるのだから、
精神的にのみ”贅沢”な時間といえる。

といっても、毎月”2泊旅”をノルマにしているのだが、
実は5月も6月もそれぞれ2泊旅を2回ずつやってしまった。
5月は明日香と浜名湖、6月は恵那峡と今回。
となるとやはり贅沢かな…。

正しく怖がることの難しさ

2012年06月24日 | 防災・安全
私がこのブログで再三引用している寺田寅彦(明治期の物理学者にして夏目漱石の弟子)の名言
「ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなかむつかしい」
というのは防災に対する警句なのだが、防犯に対しても言えるようだ。

オートロックのマンションの住人は、それに安心して部屋を施錠せずに外出したり、就寝しがちになり、
その結果、窃盗のみならず殺人の被害者になっている。
犯人は、同じマンションの住人であることが多いのだが、
この現実を想定に入れないわけだ。

最前線あるいは最低限の防御ラインで充分だと思ってしまうと、それ以上は無防備になってしまう。
津波用の防波堤を過度に信用して、それ以外の津波対策をしなかったり、
簡単にできる”食料の備蓄”をすれば、家の耐震性や家具の耐震化まで費用を回さなくなるようなもの。

その一方で、放射線については風評被害が出るほど過敏に反応する。

”怖がり過ぎ”と”怖がらなさすぎ”の両端の反応が同居する心理メカニズムは何だろうか。

まずは、今流行の行動経済学のバイアスモデルで説明できるかもしれない。
人は、発生確率が低い事象は過大評価し、高い事象は過小評価する傾向があるという。
ある問題(事故、疾病など)の発生率が1%から6%に上昇すると、とても増えたと思うのだが、
91%から96%に増えたとしても、たいした増加を思わない。
なので、めったにないことには敏感になり、比較的ありそうなことには鈍感になる。

だが、これだけでは説明がつかない。
事故が怖くて飛行機に乗れない人がいるが、
それより確実に事故率の高い、自動車や歩道は平気だったりする。
これを上で示した発生確率の評価のバイアスに帰することはできない。
ここでは、評価されるのは事故発生率ではなく、事故の際の死亡率だから。

発生率が低くても死亡率が高い事象は、過大に怖がられ、
発生率が高くても死亡率が低い事象は、たとえ、死者の実数はこちらが多くても、過小評価される。
百年に一度あるかないかの大地震に備える人は多いが、
毎年、いや毎回死者が発生する気象災害には危機意識が足りない人が多い。

原発事故による放射線に遠方の住民までが過敏になるのも、
ガンや白血病に対する恐怖が根拠となっている。
紫外線や電磁波についても、
皮膚ガンや白血病と関連づけられることによって恐怖が喚起されている(商売に利用されている)。

正しく怖がるとは、発生した後の死亡率のみに反応するのではなく、
実際の死者数に近い発生率×死亡率に反応することである。
そうすれば、侵入犯や気象災害にもっと敏感になっておかしくない。
また、すでに発生している放射能汚染に対しては、
発ガン率が0.1%上昇するかしないかのレベルに、必要以上に過敏に反応することもなくなろう。