最後に、自分の身辺ではなく、世の中を振り返ってみる。
一言で言えば、日本の”衰退”を痛感させられた一年だった。
高度成長期とともに成長し、大人になって爛熟したバブルを体験した私にとって、
日本が明らかな衰退期に入ったのを目の当たりにするとは、歴史の流れを感じてしまう。
衰退として一番痛感するのは、人材の不足。
人口は多いのに、人材が不足している。
政治家はいうに及ばず(実はこれが悲劇の第一原因なのだが)、
芸能界・スポーツ界においても、リーダー的な実力・人気のある人がいない。
学問の世界では、ノーベル賞受賞者こそ輩出しているが、それは過去の実績の評価であり、
世界をリードしていく躍動感はない。
産業界でも、日本の製造業の神話が崩壊し、ゲーム・マンガ・アニメなどのソフトパワーも失速している。
テレビ(番組制作)などのコンテンツ産業はもう悲惨の一言。
止めようもない変動の波に翻弄されながら、
それを改革しようとすると頑強な抵抗が示される。
その抵抗を突破するだけのリーダーシップが存在しない。
(なんか幕末のドタバタを思い出す。外国の要求と無体な尊攘勢力に挟まれ、
老中が交代しても、体制を支えることに失敗し続ける。)
それが人材不足の一番悲劇的な部分。
就職難は単に不況だからではなく、
企業が求める人材が職を求める人の中に見出せないためでもあるという。
そこで企業は、ガッツのある外国人に目を向けている。
ここで”草食系”という表現は不適当だが、
日本人全体のパワーが減退しているのは否めない。
私は立場上、人材が育たないことの責めを負う側なのだが、
教育界そのものが、社会変動(たとえば学力低下)の大波をかぶっているのも事実だ。
大学自体がサバイバルに専念させられている
(旧体制に安穏としているよりはマシだが、受験生確保に翻弄され、教育的ビジョンがもてないでいる)。
この逼塞状態の原因は何か。
一つには、旧いままの”思い込み”に支配されているためではないか。
戦後の政治体制、産業構造、コンテンツ制作(テレビ番組など)のあり方(理想)に
強い思い込みが支配されているのを感じる。
政治で言えば、(自民か民主かという)「2大政党制」という思い込みから脱しないと、
新たな政治は期待できない。
製造業も、過去の成功体験に縛られて、(世界の)消費者が本当に求めているのを提供していない。
そしてソフト産業も、その轍を踏んでしまっているようだ。
大学も、小手先の改善を続けているだけで、人材の育成に成功していない
(企業が求める人材という意味ではなく、大学自体が理想とする人材)。
ではどうしたらいいのか。
発想の転換、価値観の転換が必要なのはわかるが、簡単な解決策は見出せない。
ただ、われわれが勇気づけられた2つの出来事、”はやぶさの帰還”と”チリの落盤事故の救出”、
にヒントがあるかもしれない。
危急の事態において、人知の限りを尽くすこと。
そして希望を持ち続けること。
希望を持ち続けるには、既存の枠にとらわれない冷静な思考と判断力が必要だということ。
現状を変えるには、現状を冷静に分析すること。
それが”思い込み”から脱する第一歩。
ペリー来航以前に、冷静な洋学者が真っ先に”攘夷”の思い込みを脱したように。
一言で言えば、日本の”衰退”を痛感させられた一年だった。

高度成長期とともに成長し、大人になって爛熟したバブルを体験した私にとって、
日本が明らかな衰退期に入ったのを目の当たりにするとは、歴史の流れを感じてしまう。
衰退として一番痛感するのは、人材の不足。
人口は多いのに、人材が不足している。
政治家はいうに及ばず(実はこれが悲劇の第一原因なのだが)、
芸能界・スポーツ界においても、リーダー的な実力・人気のある人がいない。
学問の世界では、ノーベル賞受賞者こそ輩出しているが、それは過去の実績の評価であり、
世界をリードしていく躍動感はない。
産業界でも、日本の製造業の神話が崩壊し、ゲーム・マンガ・アニメなどのソフトパワーも失速している。
テレビ(番組制作)などのコンテンツ産業はもう悲惨の一言。
止めようもない変動の波に翻弄されながら、
それを改革しようとすると頑強な抵抗が示される。
その抵抗を突破するだけのリーダーシップが存在しない。
(なんか幕末のドタバタを思い出す。外国の要求と無体な尊攘勢力に挟まれ、
老中が交代しても、体制を支えることに失敗し続ける。)
それが人材不足の一番悲劇的な部分。
就職難は単に不況だからではなく、
企業が求める人材が職を求める人の中に見出せないためでもあるという。
そこで企業は、ガッツのある外国人に目を向けている。
ここで”草食系”という表現は不適当だが、
日本人全体のパワーが減退しているのは否めない。
私は立場上、人材が育たないことの責めを負う側なのだが、
教育界そのものが、社会変動(たとえば学力低下)の大波をかぶっているのも事実だ。
大学自体がサバイバルに専念させられている
(旧体制に安穏としているよりはマシだが、受験生確保に翻弄され、教育的ビジョンがもてないでいる)。
この逼塞状態の原因は何か。
一つには、旧いままの”思い込み”に支配されているためではないか。
戦後の政治体制、産業構造、コンテンツ制作(テレビ番組など)のあり方(理想)に
強い思い込みが支配されているのを感じる。
政治で言えば、(自民か民主かという)「2大政党制」という思い込みから脱しないと、
新たな政治は期待できない。
製造業も、過去の成功体験に縛られて、(世界の)消費者が本当に求めているのを提供していない。
そしてソフト産業も、その轍を踏んでしまっているようだ。
大学も、小手先の改善を続けているだけで、人材の育成に成功していない
(企業が求める人材という意味ではなく、大学自体が理想とする人材)。
ではどうしたらいいのか。
発想の転換、価値観の転換が必要なのはわかるが、簡単な解決策は見出せない。
ただ、われわれが勇気づけられた2つの出来事、”はやぶさの帰還”と”チリの落盤事故の救出”、
にヒントがあるかもしれない。
危急の事態において、人知の限りを尽くすこと。
そして希望を持ち続けること。
希望を持ち続けるには、既存の枠にとらわれない冷静な思考と判断力が必要だということ。
現状を変えるには、現状を冷静に分析すること。
それが”思い込み”から脱する第一歩。
ペリー来航以前に、冷静な洋学者が真っ先に”攘夷”の思い込みを脱したように。