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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

渋谷へ

2008年06月14日 | 東京周辺
東京では震度3の「岩手・宮城内陸地震」を気にしながら、
超ひっさびさに渋谷に行った。
渋谷って、あれこれ仕事の通過地点でもあったので、よく街を歩き回ってたが、
チーマーだのガングロだのが跋扈しだして街のガキ化が著しくなってきたので(人口密度の限界も感じて)、私の”お出かけ先リスト”から外さざるをえなくなった。

さて今日の渋谷の目的は、パルコで明日まで開催の「ナンシー関・大ハンコ展」。
会場は狭いとはいえ、満員状態。
客の男:女比は3:7くらいか。
しかも10代の若い子も目につくのが意外。
消しゴムの実物がずらりと展示(その一部の版画も)してあるが、1つずつ見ていくのはたいへん。
時間的にも視覚的にも。
白い消しゴム上に小ぶりのカッターで刻む原画は、逆向きで陰影が逆となるから。
つまり左右逆のネガ映像を刻むわけだ。

なんでも逆に見て裏に見る、この態度が彼女の並外れた”ひねくれ目線”を鍛えたのかな。
棟方志功と(アキバ連続殺犯人とも)同郷の青森県人の彼女は、高校時代からはじめたその技能を大学時代に開花させ、芸能人の消しゴム版画つきのテレビ批評家として、あちこちの誌面で活躍した。
芸能人ネタでない、一般人や動物などのさまざな姿態の版画を見ていると、葛飾北斎の「北斎漫画」を連想する。
てのひらに乗る消しゴム上の一色刷りのもっともシンプルな版画なのに、その繊細で大胆な描線は「アートの域まで達している」と思わせるから。
でも彼女は単なる版画家ではない。
鋭すぎるほどのテレビ批評家だった。
雑誌のコラムでのその筆致に、当時の私は正直不快感すら覚えたのだが(やな奴っていう印象)、でも指摘の鋭さに唸らされることも認めた。
だから、彼女の死のニュースに接した時、思いもかけずショックを受けた。
偉大な才能の喪失を感じたから。

この展示会用に撮った芸能人たちの一口ビデオをでは(特にいとうせいこう)、
彼らは異口同音に彼女に観られているという緊張感がなくなってしまったという。
それを見て合点した。
なるほど最近のテレビがつまらないのは、ナンシー関が死んだからなのか。
これはあながち冗談でないかも。
彼女こそが真にテレビに対峙した視聴者であり、画面に出る一人一人にものを言い続けたわれわれの代表だったのだ。
彼女こそ、テレビ人と対峙して彼らを鍛える唯一の”批評家”だったのだ。

ただ芸能人批評は時事的な内容だけに、楽しめる鮮度に限定期間があるのがつらい。
作品で描かれる多くがテレビ的に過去の人となっていくのにつれて、彼女も過去の人となっていかざるをえない。
だから彼女の価値を堪能するのも今のうち。
本一冊とカエルのイラストのオリジナル・トートバッグを買ってパルコを出た。

せっかく渋谷に来たので、ついでに元祖”東急ハンズ”にも立寄る。
ハンズの渋谷店は、ここしかない時にはよく来たのだが、最近は最寄の支店ばかり。
でもさすが一号店、品揃えが違う。
鍵を見分けるためにつける色のついたリング(52円)は、どこ探しても見つからなかったが、ここには大量にあった。
はやりここは来る価値がある。

昔渋谷によく来た頃、食事によく使っていた「万葉会館」も健在だったが、店の種類が2つだけになり、またちょっと高級志向になった(昔はリーズナブルだった)。

渋谷の交差点付近は、あいかわらす人が多い。
でも今日は特別なようだ。
なぜなら地下鉄の「副都心線」が開通した日だから。
来たついでに記念乗車をしようと、さっそく乗り場に行く。
将来は東横線ともつながるので、かなり大規模なホームとなっている。
そのホームが人でぎっしり。
ということは多くの人が埼玉方面から来たのか。
この路線開通で一番得するのは渋谷だからな。
急行が来るので楽しみに待っていたら、東武東上線の車両。
しかも停車位置が合わず、微調整してからドアがあく。
急行だが車両に新鮮味がないので、次の新宿三丁目で降りようとしたら、
またそこで停車位置が定まらず。
今日はダイヤが遅れていて、掲示では「混雑のため」と表示されているが、違う理由なんじゃないの?
次の電車(各駅)は、新型の副都心線専用車両だった。
まぁ私は山の手線使うから、今回限りだけど。