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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

冬の孤寓に戻って最初にすること

2020年01月21日 | 生活

東京の実家での週末生活を終え、まずは名古屋市内の職場に直行して会議を3つこなし、夕方名古屋の東隅にある孤寓に帰った。
数日ぶりの冷えきった孤寓に戻って最初にすることは、エアコンのスイッチを入れることではない。
それができないのだ。

その前にやらねばならないことは、エアコンのリモコンを暖めること。
つまり、エアコンのスイッチを入れるためのリモコンが、冷えすぎて反応しなくなっているのだ。
最初は、電池が切れたのかと思ったが、新しい電池に交換しても反応しなかった。
アウトドア活動の経験で、寒い屋外では電池製品が作動しないことを思い出した。
その場合は暖めると作動する。
というわけで、冷えきった室内で最初にやることは、エアコンのリモコンをわが人肌で暖めること。
主君信長の草履をおのれの肌で暖めた藤吉郎(のちの秀吉)のごとくリモコンを暖め続けていると、リモコンの液晶がついて、やっとエアコンのスイッチを入れることができた。
ちなみに、信長のごとくわがままなこのエアコンは、かなり昔の三菱の霧ケ峰。


セールに反応しなくなった

2020年01月11日 | 生活

今の時期、あちこちで安売りセールの売り声が響く。
私の好きなブランド L.L.ビーンもセールの真っ最中。

アマゾンで何も注文していない時がつまらないように、私とて買い物をする時のワクワク感を知っている。
ところが、ここ最近は、セールに反応しなくなった。

ちょうど今欲しいものが、偶然セール対象だったら、こんな嬉しいことはない。
ところが、私は欲しいものは欲しい時に買うのが正しいと思っているので、欲しいという気持ちを維持しながらセールを待つということはしない。
買わないで待っている間、その商品を使うことができないでいるのが、もったいない。

逆に、セールだからあえて買おうとするものは、すなわち「安きゃ買う」というものは、本気で欲しい(必要な)ものではない。
なので、セールだから、その機会に買うものは、実は”普段は”買う必要のないもの、すなわち無駄な買い物であることに、気づいたのだ。

なるほど「安物買いの銭失い」とは至言である。
”ついで買い”が許されるのは、せいぜい100円ショップだけにしたい。

ちなみに、書籍はセールを利用する。
 hontoというネットの電子書籍販売ではしょっちゅう20%引きのセールをやっている(時には50%以上も)。
本はいつ読んでもいいし、読みたい本は無限にあるので、出費を制限したくない。
ただ1度読んだら再読しない本は、書棚におく空間がもったいない。
これらは、電子書籍で充分。
なので電子本だけはセールを待って買う。


正月休み最終日の外出

2020年01月06日 | 生活

世間は”仕事始め”となる月曜だが、私は明日がそれなので、今日は正月休みの最終日。
インフルエンザの影響からは遠のき、熱は平熱に下り、食欲もある程度回復。
ただ、節々の痛み(特に睡眠中)は残り、気管にはまだ痰が溜る。
ということもあり、床から出た3日以降も外出は控え、年末・年始に録り貯めた「バス旅」(オリジナル+Z)を観ていた。

正月休みの最終日は、天気もいいので、気温の高い昼過ぎに外出。
まずは地元の鎮守様(天祖神社)に初詣。
例年なら元日の朝、羽織・袴姿で真っ先に訪れた場所。
せめて正月気分が残る松の内に来たかった。
といっても「初詣」の幟(のぼり)があるだけで、境内は閑散。

明日の朝使う新幹線チケットを買いに駅に行き、帰りに第二鎮守の八幡神社に詣でる。
こちらでは、近所の会社の初詣が行なわれていて、スーツ姿の団体が社殿内で神事を受けていた。
これこそが、日本の仕事始めの風景。

神社並びの東覚寺は”谷中七福神”の1つ(福禄寿)で、東京でもっとも由緒ある七福神巡りのスタート地点。
この巡礼期間はもうしばらく続く。
そして、この寺でもう一つ有名なのは、赤紙仁王。
すなわち体の悪いところに対応する仁王の部位に赤紙を貼ることで、平癒を祈願するというするもの(幼少時、姉の腹部の出来物がこれで見事に治ったのを記憶している)。
実は、私がインフルエンザにかかった後、2世帯同居する16歳の甥が私と同じ A 型のインフルエンザに罹ってしまって、今でも寝込んでいる。
世に出回っているインフルエンザの治療薬は、ティーンエイジャーには行動異常の副作用があるので、彼らには効く薬が限られる。
私が寝込む前後には甥とはまったく接していないので、どこで感染したかわからないが、
とにかく甥の平癒を願って、インフルエンザウイルスの感染部位である胸部に赤紙を貼る(赤紙は寺務所で購入)。
門前の赤紙仁王は、すでにいつも全身に赤紙が張り尽くされている。
なので、既存の赤紙の上に自分がもらった赤紙の糊のついた部分を貼り付ける。
不動堂を守護する仁王は左右二体あるので、右の像から貼り、次いで左の像の同じ部位に貼る(と指導された)。
右が優先なのは、インド式だ。*

まだ本調子ではなく、明日からの仕事に差し障りがあるとまずいので、かくして外出も以上の最小限に抑えた。

*と病み上がりの頭で書いたけど、考えたら、仁王は門番なので、内側の本尊(中尊)の視点から見るべきだ。それだと、参拝者にとっての右側は左側(客位)、左側は右側(主位)になる。つまり中国(陰陽)式の左優先。


大掃除2019

2019年12月22日 | 生活

今週末、帰省しなかったもう一つの理由は、名古屋の棲み家の大掃除をするためだった。

大掃除、それは熱力学第二法則たるエントロピーの増大に抗う、反自然的行為なのだが、宇宙の片隅に出現した生物という、それ自体がエントロピーの増大に抗う、反自然的存在が、自らの延命のために実行しなければならない、むなしい営為である。
なぜむなしいかというと、どうせエントロピーが増大して、早晩掃除の成果が跡形もなくなるから。
なもので、私は、このむなしい営為を極力避けるために、年に一度だけにしている。

昨晩泊った温泉宿から戻り、ちょっと休憩して、午後1時の時報とともに開始。
大掃除は行動開始のハードルが高いので、思い切りが必要。
だが、いったんやりはじめると、休憩も不要で熱中できる。

今年は、新戦力にハンディ掃除機が加わったので、床だけでなく、本棚や壁の隙間など、細かい所も効率よくきれいになる。
居間が終わり、台所、浴室、そしてトイレの順に掃除し、磨いて、最後はフローリングにワックスをかけて終わり。
昨年は年末に大掃除をしなかったので、一昨年と比べると所要時間は同じ4時間で、午後5時に終わった。
一年で一番昼が短い冬至なので、もう外は真っ暗。

買物から戻って、早速きれいになった浴槽に柚子を入れて、冬至の柚子湯を楽しむ。

冬至といえば、もう一つやることがある。
易による来年を占う年筮だ。
これは別記事で。


念願の(一応)ライカ

2019年12月06日 | 生活

数ある欲望の中で、私にとって一番御しやすいのが”物欲”。
一時的に”買いたい”熱が高まっても、たいていはほどなく冷める。
たとえば、すっかり買う気で店に行って、手に取ってはみたものの、よく考えたら今ある物で足りると思い直して、買わずに帰ることがよくある。 

そんな中、唯一冷めなかったのが”ライカ熱”。(ライカとはドイツのカメラメーカー)
写真自体は、小学校から趣味にしていて、高校時代は写真部で暗室に入っていた。
その頃は、撮る人間の感性・技能こそ大事と思い、カメラの性能に依存することに反発を感じていた。

だが自らカメラを買える身分になってからは、カメラ界のポルシェに相当するライカのカメラが憧れの的になった。
ライカのカメラを思うと無性に欲しくなり、頭がぼーっとしてしまう(これが”ライカ熱”の症状)。
ただ、ほとんど車が買える値段を前に、現実的に手が出なかった。
仕方なしに、ライカ社と提携しているパナソニックのLumix(ボディの隅に黒いLeicaと同じ形の Lマークがある)を買って、”なんちゃってライカ”でガマンしていた(本ブログの今までの写真の多くはこのカメラによる)。

そういう私も、家を買い、車を買い、それでも生活に窮する事なく、余裕のある生活を楽しめるようになった。

あと欲しいものがあるとすれば、それはただ1つ、ライカのカメラだけ。
もういい歳だ。待つことにもリスクが増してくる。
あこがれのライカを持つことなしに死にたくはない。

そんな折り、ライカから手ごろな値段のコンパクトデジカメ、 D-LUX7が発売された。
アウトドアで軽快に撮りたい私は、もとより重装備の一眼レフには惹かれない。
第一、大判にプリントアウトする(展示会に応募)目的はなく、個人的にパソコン画面で見れればいいので、あくなき画質を求めることはない。
レンズ交換のないズームレンズだけのハイエンドデジカメクラスでも、 ボケ味のあるような写真は撮れる。
昔は絞りやシャッタースピードはもちろん、ピントも手動で撮影してきたので、マニュアル操作は苦でない(今は撮影後の編集でいろいろできる)。

コンパクトデジカメといってもそこはライカ、他メーカーより頭一つ出た値段だが、国内メーカーの一眼よりは安い。
すなわち車が買える値段ではない。
ということで、念願の、まさに人生における念願のライカを手に入れた(写真。この写真が非ライカの最後となろう)。

もっともこの機種、ライカのラインナップに入っているものの、厳密にいうとパナソニックのOEM。
それをライカ社がいじってグレードアップしているものの、 made in China 。
でもボディ右上には赤いLeicaのロゴが燦然と輝ているので、”一応ライカ”と名乗れる。

さっそく、" なんちゃってライカ"として使っていた Lumix DMC-LX100(以下、Lumix)から SDカードを取り出し、それをライカD-LUX7(以下、ライカ)に差し込み、ライカの電源を入れた。
そうしたら、カードを初期化する必要もなく撮影ができ、なんと Lumixで撮った前のデータ(写真)まで見れる。
さらに、操作ボタンなども 幸か不幸かLumixと同じなので(というか外見がそっくり)、操作も手慣れたもの。
さらにさらに、なんと バッテリが Lumixとまったく同じものなので(もちろんロゴはLeica)そのまま使えるではないか。
このバッテリはLumix用に3個持っているので、合せて4個全部使える(ライカについていたバッテリを Lumixの充電器で充電できる)。
これはうれしい(もっともこのライカは、USBケーブルで充電できるので、予備バッテリはそう沢山は必要ない)。
あと外付けのストロボも付属している。

ただ見方を変えれば、私のライカって、”なんちゃって”以上にLumixな気がする…。


ストレスから解放されて

2019年09月19日 | 生活

先週の健康診断に続き、今週に残ったストレッサーだった論文原稿と報告書を書き上げた。
大学でも役職づくと、求められるのは「書類作ってナンボ」の力。

今の時期は授業前ながら、かように最もストレスが高くなる。
実際、血圧もいつもより高めだった。

というわけで、スッキリして連休を迎えるために帰京。

連休中は、千葉にボランディアに行こうかと思ったが、一番求められているブルーシート張りはできないし、
第一肉体労働のボランディアは、それなりの装備が必要で、フラリと行くわけにはいかない(食事も自前)。

まぁ、個人的には、自分のストレス解消をしたいので、千葉については、送金で済ませた。

精神的に余裕ができた分を、われわれが油断していた今回の”風害”について、きちんと受けとめたい。 


健康食化のカップ麺に残る不満

2019年09月14日 | 生活

不健康食の代表的存在であったカップ麺が、どんどん健康指向になっている。

といっても、コンビニやスーパーに並んでいるのは相も変わらず高カロリーのガッツリ系ばかりなので、ネット以外ではなかなかお目にかかれていない(ネットではまとめ買いしかできない)。

そんな中で、私の東京での作業場となっている国立国会図書館(東京都千代田区永田町)にある売店は、健康指向のカップ麺の品揃えが充実している(なので自宅用に買って帰る)。

たとえばその名もズバリ「ローカボnoodle」シリーズ(明星食品)の「野菜タンメン」は、総カロリーが182kcal(普通のカップ麺の約半分)で、炭水化物32.8gのうち、糖質は14.9g しかなく、食物繊維の方が多い。
私が期待したように、フリーズドライの野菜がたくさん入っている。

かように、低カロリーを謳うカップ麺が続々出ている。
今日、初見だったのは、ビーガン食用のカップ麺。
動物性原料を一切使っていないものだ。
日本にもビーガンを実行する人が増えているのか。
カロリー的にも私がボーダーとしている300kcalを下回っているので合格。

ところが、私が期待しているもう一点が「おろそかになってやいませんか」、とメーカーさんに問いただしたい。
塩分である。

上の「ローカーボ・野菜タンメン」も塩分相当量は4.5g もある(健康とされる一日の摂取量上限は6g)。
そのうち3.0gを占めているスープの塩分こそ、簡単に減らせるはず。
実際、私は袋麺の粉末スープはいつも半分しか入れない。
それでも塩気の不足感はない。
残念ながらカップ麺だと、スープの塩分を利用者が調整できない。 

たとえば、カップ”麺”ではないが、「じっくりコトコトこんがりパン」(ポッカサッポロフード&ビバレッジ)シリーズの「1食分野菜」は、その名の通りこれで1食分のフリーズドライ野菜が入っているだけでなく、カロリーは138kcalで、塩分相当量は1.5gと低い
(もっともパン入りの”スープ”なので、腹持ち的には不充分だろうが。
また現実にはフリーズドライの野菜の栄養価は生野菜とは異なる)。

というわけで、低糖質化だけでなく、減塩の方も忘れないでほしい。 


吸水ポリマー首巻きの進化:追加訂正版

2019年08月07日 | 生活

夏の必須アイテムの1つ、吸水ポリマーの首巻き(商品名「ネッククーラー」)が進化した。

吸水ポリマーのネッククーラーは、冷凍したものを入れる商品とは違って、感覚的冷たさでは劣るものの、はるかに長時間にわたり(外出中ずっと)体温上昇を防ぐので、熱中症防止には一番効果的(鉢巻きにも使える)。

しかもあちこちの100円ショップで売っているので、値段的にも入手的にも気軽に買える。

唯一の欠点は、最初に10〜60分は水につけておいて、吸水しておなかくてはならないこと。
これが意外にネック(w)で、いざ出かけようとする時に、用意し忘れて、出かけるのを数十分延長しなくてはならないことがしばしあった。

ところが、今季になって、100円ショップの「セリア」でからすばらしい改良品が発売された。
なんと、最初の吸水時間がたった30秒!ですむのだ。
すなわち、30秒水につけるだけで、吸水ポリマーがぱんぱんに膨らむ。

吸水率だけでなく、保水率もいいので、数日使わないでいても、膨らみが維持される。
だから次に使う時は、水にざっと通すだけですみ、30秒すらかかららない。 

効率が20倍以上になったので、もう以前の製品は使う必要がなくなり、名古屋用・東京用すべて買替えた。
それだけこの新品はインパクトがある。 

ちなみに、この製品は、大人用と子供用の二種類(長さが違う)があるので要確認。
しかもセリアでは、10分以上を要する旧製品も売っているので(見た目はこちらの方が目を引く)、間違えないように。 

みなさん、これを着けて(睡眠中も可)気づかずにやってくる熱中症を防止しよう

以下追加

この製品には、重大な欠点があった。
体積が小さいため、全体がすぐに皮膚温に達し、冷却効果がなくなるのだ。
それに対し、旧製品は体積が大きいため、装着面が皮膚温に達しても、皮膚に接していない反対側は冷えているため、裏返しして巻直せば、冷たさを感じることができる(これを繰り返せばよい)。
というわけで、準備には時間がかかるものの、冷却効果・快適性では大きめの旧製品が勝ることがわかった。 


蕎麦の限界と可能性

2019年06月15日 | 生活

もともと麺類が好きな私だが、健康を第一義とするようになってからは、選択肢から外れる麺類が出てきた。
まずは国民食であるラーメン。
ラーメンは汁(つゆ)こそ命であるはずだが、その汁の塩分が健康に悪い(実際、ラーメンマニアは短命)。
したがって不健康食のレッテルを貼らざるをえない。

ついで、うどん。
精製された小麦でしかない白いうどんは、カロリーこそ蕎麦より低いが、栄養に乏しく、グルテンの塊にしかみえない。

パスタはその点、うどんよりまし(全粒粉ならなおさら)。

麺類の中で栄養的に豊富なの(タンパク質など)は蕎麦である。

麺だけをみると、かくして蕎麦が一番となる。

ところが、

蕎麦を蕎麦として賞味するには、どうしても「もり」に限られる

(もり/かけ、がそばの2大分類。ざる・せいろは、もりの器の名称)。

蕎麦はそれ自体で完成されすぎてしまった(麺そのものの個性が強すぎる)ため、バリエーション化の道が断たれてしまった。 
そして蕎麦単品では、たとえ蕎麦湯を飲んだとしても、一回の”食事”としては栄養バランスは悪い。 

そもそも蕎麦は、もともと小腹が空いた時の軽食(たとえば寝る前の夜食)であって、2もしくは3回の”食事”の対象ではなかった(うどんや素麺も同じで昔は’点心’に分類)。
中華麺もパスタも、本来はコースの中の1つのディッシュであって、それ自体が食事の主役ではないのだが、
これらは、多彩な具と一体になることで、食事として栄養豊かな完全食化が可能である。

私にとっては「五目焼そば」がその最たるもので、中華料理店で注文するのは、もっぱらこれ(具が同じ五目麺は汁=塩分がある分栄養評価に劣る)。 →関連記事「勝利の五目焼そば」
パスタなら、ボロネーゼでもボンゴレでも、サラダを付ければ完全食化できる。

うどんは、丼ものの領域で蕎麦に対してバリエーションの差をつけているし、なんなら「焼きうどん」という手もある
(通常の”焼そば”系は栄養バランスとして五目焼そばに劣るので、”五目焼きうどん”が理想)。

なので、江戸っ子の一人として、外出時には蕎麦を嗜みたいのだが、栄養バランスの悪い食事をしたくないし、
蕎麦通が店で実行する、まず日本酒でちびちびやりながら肴を数点食べて、最後に蕎麦を賞味するという流れは、昼間から飲酒をしない私には栄養以外の点でも不健康に見えてマネできない。

実は蕎麦にも、江戸の昔から「おかめ」や「卵とじ」のような具を重視したものはあった。
冷し中華の蕎麦バージョンのような、いろいろトッピングされた”冷やしぶっかけ蕎麦”のたぐいが、「もり」のバリエーションとして増えてくれればありがたい。 


カップ麺の完全食化を期待

2019年05月20日 | 生活

私にとってカップ麺は、若い頃の空腹対策としての価値から脱してからは、不健康で貧相な食べ物という位置になり、選択肢から外れていた。
ところが、最近の製品には、カロリーを抑え、具も豊富で、食として摂るに値するものがでてきている。
昼食を軽くすませたい私には、カップ麺がもっと健康的になれば、値段的にもカロリー的にも外食の代わりになれそう。

そんな折り、カップ麺の家元・日清食品では、「All-in PASTA」という完全(栄養)食の”カップ麺”の上位互換製品が発売された。
だが、これは1食600円するので、私は外食に流れてしまう。

カップ麺なら、高くても200円台にとどめてほしい。
その価格帯でどこまで完全食(それだけで栄養が足りる食)に近づけるかトライしてほしい。

そこで現在のカップ麺の問題と解決案を述べてみる。
まずは、塩分が高すぎる
カップ麺1食で4gは多すぎで(1日の摂取量は6g)、せめて2gにしてほしい。
袋麺の経験からすると、粉末のつゆは半分の量でも塩気としては違和感なくOKなので、塩分は簡単に半減できる。
味付けは「塩気が足りない」レベルをクリアすればいいのであって、「しょっぱい」レベルを基準にしないでほしい。
それでも塩気が足りない人は、自分で塩を追加すればいいだけ。

そしてカロリーが高すぎる
これは内容のほとんどが糖質であることによっている。
私にとっては、300kcalがボーダーラインだ。
もちろん、ノンフライ化など製法も効果あるが、素材を低カロリーなものにする方が手っ取り早い(小麦麺を米のフォーにするなど)。 

それと、栄養バランスが悪い
これも糖質ばかりのため。
なので、フリーズドライの野菜や肉・卵などを追加し、その分麺本体の糖質を減らせば、栄養バランスとカロリーの問題が同時に解決する。
この部分でコストがややかかるが、調味料と麺は減らせるので、そう高くはならず、高くて200円台は可能だと思う。

理屈からいえば、”カップ焼そば”など、油を使っていない分、なおのことカロリーを下げられると思うのだが、なんであんなに高カロリーなのだろう。
きっと麺が問題だ。
”カップ焼ビーフン”だったら低カロリーにできるはず。  
とにかく、不健康な現行のカップ麺と一線を画す、健康的なカップ麺の潜在市場を大いに開拓してほしい。 


10連休1日目をすごす

2019年04月27日 | 生活

10連休1日目の4月27日は、普通の土曜で、休日ではない。
明日以降の本当の休日・祝日ヘ向けての準備に充てたい。
明日から9連休の国会図書館は、今日が10連休中唯一の開館日なので、最初で最後の仕事集中日として行かないわけにはいかない。
さぞかし混んでいると思ったら、普通の土曜並みの混雑だった。
連休用に放り込んでいた仕事の半分弱をこなして、午後3時に帰宅。

帰宅すると、アマゾンで注文していた令和を祝う日の丸が届いていた。
これで5月1日の準備はOK。 

次に、これも月末にすませておきたい散髪のため、近所の1500円の床屋に行く。
ここも混雑を危惧したが、順番待ちの客は1人だけ。
待つこと数分だけで呼ばれた。
安い床屋はカット以外の余計なサービスがないので、(あの不自然な体勢を) 早く終れるのがいい。

床屋を出て、唯一の平日のうちに ATMで金を下ろす。
私は(預金額のおかげで)休日でも平日のサービス(手数料無し)で利用できるのだが、長い連休中はATMに在庫がなくなりそう。

夜は、今日が誕生日の義妹の祝宴。
といっても歳を重ねることは受け入れ難いというので、あくまでも好物の寿司パーティという名目。
それでもケーキのローソクの火を消し、子どもたちから花束を受け取る。 

かくして連休初日はそれなりに充実したが、 まだあと9連休ある…。


運転免許を自主返納した母の生活

2019年04月24日 | 生活

今年90歳になる母は、30代から運転を始めたこともあって、老齢になっても運転には自信あったというが、
運転を失敗した時の損害しかも他者に与える損害の大きさを鑑み、元気に歩けるうちに運転免許を数年前に自主返納した(まさに”自主”的判断で私が勧めたわけではない)。

まだ「運転できるから」という自信ではなく、いざという時の損害の重大さを考慮した判断というのは、まさにリスク管理の鑑というべき英断で、元高級官僚の叙勲者に教えてあげたいくらいだ。 

実は母がそうできた理由は他にもある。
東京に居住の70歳以上であれば、年1000円程度で、頻繁に運行されている路線バスと都営地下鉄が乗り放題の「シルバーパス」を使えるのだ。
路線バスは都バスだけでなく都内を運行している私鉄バスも含まれる。
なので、少なくとも同じ都内に出かける時は、縦横に走る路線バスと都営地下鉄をうまく乗り継げば、まったく問題なく移動できる。
都区内住民、とくに高齢者は車を運転する必要がない。
むしろ都内(とりわけ都心部)で自家用車を使うと、頭の痛い駐車場問題が発生するため、よほど車に詰め込む大きな買物をしない限り損である。 

もちろん、今の都バスはノンステップ方式で、膝の悪い母でも乗り降りできる。
かくして母は、「シルバーパス」を片手に元気に外出している。


星5つレビュー(評価)に対する評価

2019年04月12日 | 生活

私はネットで製品やサービスをレビュー(評価)する場合、
満足していても★5つは付けないことにしている。
つまり、たとえ欠点がみあたらなくても★4つを最高としている。
職業柄、年中”採点”をしている者として、
冷静なればどうせ欠点の1つくらい見つかるものなので、
冷静さを欠いた反応は控えたい。
それに、なにより、★5つはやらせと区別がつかない。

言い換えれば、他者の★5つレビューを私は信用しない。
実際、ネットで購入すると、業者から★5つの評価を依頼するメールが届くことがある。
そして★5つにすると何らかのサービスを提供してくれるところさえある。
そういう場合、たとえその商品が気に入っても、私はレビューそのものをしない
(そういう依頼メールがこなかったら★4つで讃めたのに…)。

私のようなひねくれ者は珍しいようで、最近どうも安易な★5つが目につく。
みんなそんなに規準が甘いの? 
それとも利益誘導に弱いの?
中には、日本人らしいネームなのに不自然な日本語で、情報量に乏しい讃め言葉で★5つの場合もあり、
さすがにこれはやらせとわかる。

一方、★1つも眉に唾をつけて読む。
こちらはライバル側による誹謗中傷の場合があるからだ。

そもそも同じ製品やサービスに、★1つと★5つが併存しているのがへんだ。
実際、両者の内容は互いに矛盾して、同じ商品に対する評価とは思えない。
なので少なくとも片方はやらせか誹謗中傷と判断したいが、どちらがそうなのかは判断材料がないので、両方とも参考としない。

それに、利害関係と無縁であったとしても、
極端な評価をする人というのは、思考や判断あるいは態度が歪んでいる可能性が高い。
つまり、極論的な評価は、利害や判断の歪みが作用しているため、情報的信頼性が劣るわけで、無視しても支障がない。


車を保険で修理

2019年04月05日 | 生活

わが愛車(FIAT500)に気がついたら傷がついていたので、
保険会社に連絡して、修理してもらうことになった。
ただし、運転には支障がないので、ほとんど使わなくなる春休みまで修理を延ばして、
やっと先月に修理に出した。

ただし、保険会社の査定によると、私が指摘した傷は、私が推測した原因では起こり得ず、
別の長く延びた傷がそれで起きたとみられるとし、
結果的に私が指摘した傷と別の傷の両方が修理対象になった。

もちろん、保険の等級は3つ下って、保険料の支払額は増えたが、
修理に80万円もかかったので(ボディの片面を総入替え)、
財布の痛みはたいしたことない。

すなわち、任意保険に入っていて良かった〜!という結果になった。

ちなみに経済の原理として、こういう恩恵に浴する人はほんの一部で、
大部分の人は、毎年保険料を払っているだけということになる(私も今までこちら側だった)。

それなりの大修理なので、その約一ヶ月間、国産の軽の代車があてがわれた。
日常的な通勤や買物なら、なるほど国産の軽でも支障はない。
もちろん ATなので、本当に気楽な足代わりで、走ればいいので、運転する”楽しみ”とは無縁。
それでも ATの運転に慣れてしまうと、
もどってきた愛車(MT)のギア操作が面倒に感じてしまう(つい、低速ギアのままで走ってしまう)。

愛車は安物といえど一応欧州車なので、運転操作だけでなく、
乗り心地も車内環境も全然違う(車体の大きさは日本の大柄な軽と大差ない)。

約1ヶ月間におよぶ整備工場内での入院を終えた快気祝いに、
週末は久しぶりに思い切り走らせてやるか。


布団の打ち直しを頼む

2019年03月27日 | 生活

名古屋宅の敷布団がぺったんこになり、布も擦り切れたので、
近所の布団店で”打ち直し”を頼んでみた。

もともとこの布団も、四半世紀前にこの店で買ったもの。

当時は、別に専門店で買うつもりではなく、徒歩圏内にたまたま店があったためで、
化繊の安物でいいと思ったのだが、店の主人に綿でないとダメだと言われた。
化繊だと体の熱を吸収して夏は暑苦しくなるが、綿だと熱を発散してくれるという。
そしてなにより、火災時に化繊は中の人を包んであっという間に丸焼けになるという。

職人肌の主人は、ダメな布団は売りたくないようで、言われるままに綿の布団を買った。
なるほど、言われたことの正しさは夏に実感した。 

頼んでから10日かかって打ち直された布団は、
せんべい布団の面影がまったく消えて厚さが3倍以上に膨らみ(まるでふかふかの掛け布団のよう)、布も新品に張り替えられた。
ほとんど新品! 

(昔のままの)主人によると、布団には前後裏表があるという。
短辺の側面に輪(縫い目がない)のある側が頭で、縫い目のある側が足だという。
その証拠に頭側に綿が厚くなっているという(知らなかった)。

それから、面のあちこちに綴じ紐がついている側が裏側だという。
それは中の綿を固定するためで、こちらを表にすると寝返りなどで紐が切れてしまうという。
これからは前後・裏表どおりに正しく使うことにする。 

主人はまた、客が布団の端を素手で握って持つのを見ると、痛々しくて正視できないという。
中の綿がちぎれるからだ。

また、作業は必ずしも注文順ではなく、赤ちゃんの布団を優先するという。
この世に生まれてきてくれた赤ちゃんに、できるだけ早く赤ちゃん用の柔らかい布団にくるまってほしいからだという(存在論的!)。

かようにこの布団店の主人は、布団への愛情、そして布団を使う人への思いに満ちた、実に”職人気質(かたぎ)”なのだ。
店自体は閑散として、繁盛しているように見えないが、
主人の布団愛を信頼してか、注文が絶えないようで、3月の年度末は特に忙しいという。

打ち直しの代金は1万円台中ほどだったが、支払いの段階で「セール価格だ」と言って数千円引いてくれた。
「何のセールなんですか?」と聞くと、
年を取ると金を使わなくなるからと言い訳をしてくれたが、
いい歳した実年男(私)が学生が住むようなワンルーム暮らしなのを知って、
経済的な困窮者だと思ってくれたようだ。
かように金儲けに執着しないのも”職人気質”ならでは。

客としても、こういう”職人(仕事人)”から、単なる商品以上の心のこもった物を買えると嬉しくなる(当然、その物を大切にしたくなる)。
新興タウンのショッピングモールとちがって、昔ながらの町中にはこういう店があるからいい。