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今日こんなことが

私は「はてなブログ」に引っ越しました。
こちらは過去の記事だけ残しています。またコメントも停止しています。

自分の2017年を振り返る

2017年12月31日 | 歳時

年末恒例、今年の振り返り。
このブログの趣旨に従い、自分の身辺に限定する。

カレンダーアプリと本ブログをもとに今年を振り返ってみたら、例年より温泉旅と登山の回数が少なかった。
旅先を他に変えたのではなく、旅自体が減ったから。
その最大の理由は、仕事。
理由が仕事なので、本ブログにはあまり記さなかったが、本年(特に4月以降)は、勤務校での「公認心理師」資格対応に追われた一年だったのだ。
具体的には、授業の対応(新規科目の開設と従来の授業内容の変更)、実習先の確保、さらに担当教員の確保などである。 
このため心理系の教員が各自で動く必要があり、 そのための会議が頻繁に開かれた。
実は、その会議を開く委員長がこの私。
忙殺されたわけだ。

 ●温泉旅が減ったのは、上記の理由で遠出できないためで、行った先も従来の近場の宿中心で、新規の温泉宿は三谷温泉の明山荘と伊東温泉のウェルネスの森、それに伊良湖の伊良湖シーパークとビジホのABホテル小牧(ただし後の2つは運び湯)。
こう数え上げるとそれなりにあるな…。
温泉ではないが、設楽山荘の木の風呂は良かった。 

●登山が減った一番の理由は、山の下りで腸脛靱帯炎が必発するため。
発症すると歩行困難になるので、下りが長い高い山にはもとより行けない。
なので結果は次の通り(括弧内は標高と発症具合。「最後に発症」は下山しきった時に痛み、歩行困難にはならなかった場合)。
瑞浪権現山(600m,なりかけ)、石老山(702m,最後に発症)、御在所岳(1161m,無事)、猿投山(630m,無事)、高尾山(599m,最後に発症) 。
御在所岳は、標高810mからの登山なので高度差は小さい。
愛知の猿投山が無事で、石老山や高尾山がダメだったのは解せない。
名古屋発の猿投と御在所と権現山は登山用でない靴だった。 

新しく訪れた所は、三重県鳥羽沖の神島。
2時間かけて島を一周し、頂にも登った。
千葉の”チバニアン”(松山逆磁極期の地層)にも指定される前に行った。
地磁気の測定器持参がお勧め。

東京では、川歩きが続いた。 
野川、玉川上水では武蔵野の風情を味わい(特に深大寺)、都心を流れる目黒川、隅田川も道が整備されている。
隅田川で感じたのは、都心の特に東部低地を流れる川は、防災の視点で見る必要があること。

●昨年に宣言しながら、今年実現しなかったのは、東日本大震災の被災地を再訪すること。
上記の多忙のためというのは、言い訳になりそうで、実際には私の心の中でも風化しているためだろう。
できたら宮古などを訪れたい。 

●今年宣言して、着実に進んでいるのは、スピリチュアル方向の解禁。
ずっと続けていた茶臼山のパワースポットでの計測が中日新聞に載り、大学の「易学研究会」の顧問になった。
それを機に易の本格的な勉強を開始し、筮竹で易占をするようになった(今年一番多く読んだのは易の本)。
ダウジングの道具(ペンデュラム、ロッド)を購入し、潜在意識との交信ができるようになった。
夏休み中に気功の教室に通おうとしたが、合う所がなかったので、自習で励んだ(内気を循環させる)。
その結果、手のオーラが見えるようになり、今月になって色も見えるようになった。
自分のサイキックパワーは着実に向上している。
問題は、この現象を心理学理論にどう組み込むか。
それは私の4重過程モデルにおける「システム3」(≒マインドフルネス瞑想)によって創発される「システム4」として位置づけられる。
マインドフルネス瞑想が心理学における位置を確保したことから、次のシステム4(≒トランスパーソナル)も心理学内に正統に位置づけられるのも可能だ。
ただ、そのパワーの客観的計測ができないのが、なんとももどかしい。
私が使っているサーモグラフィなどは間接的でしかない。
かといって「波動測定器」や「キルリアン写真」では科学的計測とはいえない。

●ノルマとしている論文2本もなんとかこなせた(2本が限界になっている)。
1本は上の「システム3」の理論的詳細化(システム4も暗示している)。 
もう1本は「日進」(愛知県日進市)の1年分の気象データの分析。 
そういえば、「本駒気象台」も再開して1年を迎える(1年分のデータが溜まっている)。 

●自分の身体については、まずサージカルテープを睡眠時に口に縦に貼る事で、口腔内の乾燥を防ぐだけでなく、睡眠時無呼吸症をも防ぐことがわかった。
もう毎晩欠かせない。
春に虫歯治療と歯石を取った。
夏には胃カメラを鼻から入れられ、良性のポリープが確認された。
大腸カメラも初めての体験。
こちらはポリープをその場で切除。
大腸ガンの疑いが晴れたのにはホッとした。

年末に、イタリア在住の姉が訪れ、久しぶりに三人の同胞が揃って(その母も一緒に)実家で正月を迎える。

以上、今年も大過なく、それなりに進展があった。
身体の老化も進展したようだが。


祝、(葡萄酒の)収穫祭!

2017年11月16日 | 歳時

食糧を得られることに感謝する「収穫祭」は、人類普遍の第一の祝い事たるべきだ。

我が国では「新嘗祭」なるものがあったが、いつのまにか「勤労感謝の日」とやらになってしまった。
すなわち我が国から大事な収穫祭が消された。

かくなる上は、海の外からもってくるしかない。
うれしいことに日付変更線のおかげで、我が国が真先に祝える収穫祭をゲットした。

ボジョレー・ヌーボーである。

フランスのボジョレー地方のワインの収穫を、縁もゆかりもない日本で、数時間先取りして祝ってしまおう。
どこであろうと酒は祝うために在るのだから。 

私は「ハロウィン」なんぞには冷淡だが(同趣旨の行事はお盆があるから不要)、”収穫祭”はなんとしても挙行したい。
とにかくワインの新酒を味わいたい。

別に日本酒の”荒走り祭”だってかまわないのだが、その祝いが存在しない。

だから、酒そのものの祝いを代表した今日の収穫祭こそ、ぜったいに外したくないのだ。

この日ばかりは、いつもの安いテーブルワインの数倍の値段にも躊躇しない。
今年は、ミディアム・ボディのちょっと渋めを買った。
ヌーボーらしいライト・ボディだと簡単に一本空けてしまう。

人類にとって、酒は所詮”薬物”の一種なのだから(酔うと人格が変わる人がいるように)、親しみながらも慎重さを失わずにつきあいたい。
とういことで、乾杯

 


夏越の茅の輪くぐり

2017年06月25日 | 歳時

現代的な年中行事の次は、伝統的な行事。

まず昨日は、亡父の祥月命日を目前にしての墓参とその後のお斎(トキ)。
お斎といっても、父が生前見ることのなかった孫3人を交えての楽しい宴(数が進んだ年忌なので、むしろ父を交えての陽の宴になる)。

そして今日は、地元鎮守の「夏越の大祓」。
本殿前に茅の輪が飾られ、まずはその前での神事。
長い祝詞(その間、参列者はずっと低頭)のあと、事前に渡された切麻 (キリヌサ:四角い紙辺)を自分の体にかけてお祓いをする。
あたりいっせいに紙吹雪が舞い、なんかそれだけで目出度い気分になる。

そして列に並んで、茅の輪を左廻り・右廻り・左廻りと三回くぐる(写真)。
くぐる時は廻る方向の足で輪をまたぐ。

人類は右利きが大多数だから、普通なら右が優先されておかしくないのだが、 
このように珍しく左が優先されるのは、陰・陽の序列化に由来する”左尊思想”に基づくからだろう。
すなわち、神道にも陰陽思想が混入しているのだ(『日本書紀』そのものに混入している)。  

茅の輪の伝説的由来(蘇民将来の話)はともかく、その形状からして、再生(再出産)儀礼であると解釈されている。

身に付いた穢れを祓って、新鮮に生まれ変わった事になるのだ。 

いずれにせよ神事に参加することは、スピリチュアルレベルが刺激され、気分がいい。


ナス日の茄子

2017年06月23日 | 歳時

私が一人でやっている活動の1つに、給与所得者の年二回の楽しみであるボーナス支給日(ナス日)に茄子(ナスビ)を、しかも可能なら「麻婆茄子」にして食べる行事がある。
いわば現代的な年中行事の実践である。

実は、我が勤務先は、世間様にひと足お先に本日ナス日を迎えた。

といっても、今日は夜に実家に帰京するので、 せわしないこともあり、夕食を作って待っててくれている母には何も伝えなかった。
それでも、帰宅途中のスーパーで、夕食の総菜として「茄子の油炒め」を買った。

帰宅すると、母は夕食の仕度をしていて、出て来たのは、なんと「麻婆茄子」!

なんでも”陳さん”の冷凍中華総菜を定期購入していて、手元にあったのが麻婆茄子だったというのだ。
それと私が買ってきた「茄子の炒め」が加わり、さらに漬物にも茄子が出て来た。

かくして茄子三昧を味わえたナス日であった
(私はもともと茄子が好物でもある)。

というわけでこのイベントでは麻婆茄子にこだわるだけで、浮かれて余分な散財はしない(いつも飲む第三のビールがエビスになる程度)。
実家への仕送りには反映させるが、あとは積立預金額が臨時にぐっと増えるだけである。


送別の月

2017年03月20日 | 歳時

年度末の3月は、大学生の卒業、院生の修了と、まずは教え子たちとの別れがある。
これは毎年の事だが、今年はこれに加えて、転出する同僚と定年退職する同僚(人生の先輩)たちとの別れが加わった。
すなわち、送別会が連続した。
私自身は職場でのつきあいはちっとも積極的でないのだが、最後の送別においては不義理はしないようにしている。 
私自身、以前の職場で送ってもらったし。 

他の大学に転出する同僚は、いわばキャリアアップなので、今までの感謝と祝福に満ちた雰囲気で送り出せるが、
定年退職する同僚には、25年〜30年もの長い在職期間の思い出があって、その話を聞くと感慨深い気持ちになる。
それに定年後の身の振り方も将来の自分に重ね合わせて気になるところ。

一番順当なのは、勤務先の大学で、今までの担当授業の一部の非常勤講師なのだが、 私自身は大学以外の、もっとビジネス的な仕事をしたい。


天神梅巡り

2017年03月05日 | 歳時

ようやく春らしくなった3月の第一日曜、梅の花を見ようと都内の梅見所をネットで物色したら、湯島天神(文京区)と亀戸天神(墨田区)がともに梅の木300本で、都区内では有数の地であることがわかった。

ならば両方訪れよう。
両社は位置的に離れているが、電車を乗り継げば難なくいける(両社を結べる都バスもあるが、本数が少ない)。
ではどちらを最初に行くかだが、
実はニトリで、ベッドカバーを買いたい。
でもニトリって鉄路からは遠いところが多い。
ニトリのサイトを見たら、錦糸町に大きな店舗がある。
亀戸天神は亀戸と錦糸町の間にある。
ということで、先ずは湯島天神に行き、次に亀戸天神に行き、最後は錦糸町のニトリで買い物、という願ってもないルート設定ができた。 

まずは湯島天神。
女坂からもう梅の木があるものの、まだつぼみが開いた状態。
でもバックの古い木造家屋に映える。
境内に入ると、人でごったがえしている。
梅祭りの最中で、野点も開催され、 出店も多い。
行列に並んで本殿を参拝し、境内を一周する。
今の時期、梅見客以外に受験のお礼参りが合わさっているようだ。
所々ほぼ満開の木もあるが(上写真)、大部分はまだまだ。
せっかくなので、出店でイカの半身焼きを買って食べた。

男坂を下りて、御徒町駅から秋葉で総武線に乗換え、亀戸で降りる。
昼時なので、「亀戸餃子」の店に行ったら、すでに行列。
参拝の行列と違って、すぐには進行しないし、それに前回来た時食べたから、亀戸天神の出店でお好み焼きでもいいや。

亀戸駅前からの道は歩行者天国になっている。
亀戸天神に着いたら、そこはまだ冬枯れの世界だった。
池の亀がのんびりひなたぼっこをしているが、梅の木はほとんどが冬の状態。
これではシャッターを押す対象がない。
かような状態なので、客足も出店も湯島とは比べるべくもない。
湯島にはあったお好み焼きの出店がなく、ランチはお預け。

横十間川にかかる天神橋を渡り、徒歩で錦糸町に向かう。
途中の中華屋で「五目焼そば」(650円) を食べ、大きなビルの3階のニトリに行く。
ここでベッドカバーを買い、ついでに「掛け布団カバー」を買ったつもりで「敷布団カバー」を買ってしまった(これは2週間以内に他の店舗でも交換可能とのこと)。

というわけで、都内の梅はまだ早過ぎた。
梅見に行くなら、開花情報をチェックしていった方がいい。 
ついでに、買ったものも確認しよう。 


節分の夜は巻き寿司

2017年02月04日 | 歳時

節分の日、大学での入試業務を終えて夜に帰京した。

母は、「恵方巻きの代りに」といって、巻き寿司セットを用意してくれていた。

つまり、寿司ネタを皿に盛って、1枚の海苔を1/4に切って、角が手前になるように持ち、その上に酢飯を少しだけ載せ(これが肝心)、その上にネタをお好みで載せて巻いて食べる。
ウチでは海苔は羽田の店の特製でこの海苔が格別旨い。
このおいしい海苔を味わうために巻き寿司をやっているようなもの。

いつもの巻き寿司と違うのは、この日は、つまみに節分の福豆がついていること。 
あほらしい”恵方巻き狂騒曲”(コンビニあたりが仕掛けたらしい)は無視したいが、 かといって節分に何もしないのも何なので(いい歳して豆まきはできないし、後の掃除が面倒)、いい工夫だと思った。

「節分の夜は巻き寿司」、ウチから広めていこうかな。

ちなみに、母によると、玄関先に飾る柊をスーパーに買いに行ったら、今年は珍しく売り切れだったという。
本来の伝統行事が復活するのはいいことだ。


寒さのピークに想う

2017年01月25日 | 歳時

冬至に一ヶ月遅れの1月下旬が1年で一番寒い。
日本海の寒気由来の伊吹おろしが降りてくる名古屋は、上州のからっ風が届かない東京より寒い。 

しかも、築25年のアパートなので、まともな断熱材が入ってないため、室内の気温も1桁になり、エアコンの暖房だけではなかなか室内が暖まらない(外気温が低過ぎるためか暖房効率が悪い)。
セーターを着込めば胴体は温まるが、手先が冷たいままなので、パソコン作業がつらい。

この時分の寒さは昔からで、今日は、あの八甲田山大遭難(死者199名)のあった日(明治35年)。
青森5連隊が雪中行軍で八甲田山中に入った時、運悪く、日本の最低気温を記録する空前絶後の寒波が北日本を襲ったのだった。

なので毎年、この日を「八甲田忌」として、寝る前に映画「八甲田山」を観ることにしている。
エアコンをつけっ放しにして。 


恒例、私の正月のすごし方

2017年01月01日 | 歳時

大晦日は結構充実感があるが、元日はあっという間に過ぎてしまい、
元日の夜ですでに「祭りの後」的な寂寞を感じてしまう。 
でも、せっかの正月休み、単なる連休とは違った過ごし方をしたい。 

そう、私の正月の過ごし方は決まっているのだ。

元日は→「元日を過す

三が日は→「三が日を過す

ついでに餅の安全な食べ方は→「餅は必ず焼く

と一昨年の記事とまったく同じ(昨年も)。

今年違ったのは、元日の8時59分が1秒だけ長かったのと、2歳の姪が初めてお屠蘇の儀に参加したのと、初めて買った噂の日本酒「獺祭」が実においしかったこと(なかなか手に入らない)。

そして、今から寝る前に、湖池屋の「のり塩」の大袋を開けて、バリバリ食べながらベッドで正月用のDVD映画(時代劇!)を観るのもまた正月だけにしている。


2016年を振り返る

2016年12月30日 | 歳時

年末恒例のこの”振り返り”のため、今年一年間のわが記事を読み直したのだが、例年通りたいへんな労力だった。
読者のみなさんにはその苦労をさせないため、ここにダジュスト版を示す次第。

今年は自分にとって干支を一周した記念すべき年(さらに勤務先では勤続25年の表彰を受けた)。
確かに寄る年波で健康問題が次々とやってきた。
利き腕の肘が腱鞘炎になり(3月)、毎日の服薬に新たに眼圧を下げる目薬(9月)と3つめの降圧剤(11月)が加わった。
ただ、コレステロール値(悪玉)は昨年の要治療レベルから改善した。これは食事の改善とDHA・EPAサプリのおかげだろう。

しかし何と言っても一番の出来事は、母の脳梗塞だった(2月28日)。
幸い、梗塞は小さく、母は自分で救急車を手配するほどしっかりしていた。
半月の入院の後、自宅でのリハビリをして、今ではほとんど回復している。
といっても寒候期、再発に注意したい。 

自分の活動関係では、ノルマとしている「年に2本の論文」を今年も達成(毎年秋はこのために一人呻吟する)。
今年は学外での活動が増えた。
「楽しまれる恐怖」の心理研究者として雑誌「日経ウーマン」にインタビュー記事が載り(3月)、NHKのEテレ(Rの法則)に登場した(8月)。
計測マンとしてだが中日新聞(愛知版)にも載った(5月)。
恐怖の話題で横浜の中学校で講演し、防災士として三重で講演した。

気象予報士としては、勤務先の私設「日進気象台」と実家の「本駒気象台」の観測・配信業務が再開できたのがうれしい。

災害関係で驚いたのは熊本地震(4月)。
なぜなら熊本は過去1300年間の記録ではM7以上の地震がなく、私自身もブログで”安全”とみなしていたから。
さらに、最大震度である7が2回発生したこと。
本震の後に、本震並みの余震はないという常識が覆された(厳密にはそれぞれ断層が異なる)。
まさに、地震はいつ・どこで起きるかわからないということが身にしみた(鳥取地震も活断層でない所で発生)。

趣味の世界では、山にはほとんど行かず、山頂に立ったのは愛知の最高峰茶臼山(1415m)と三重・鈴鹿の鎌ヶ岳(1161m)だけ(いずれも車で8合目まで行ける)。
山の代りとして足跡を残した山城は、国別に列挙すると、武蔵は松山城、五日市戸倉城。下総は臼井城、本佐倉城。相模は石垣山城、小田原城、津久井城。上野は名胡桃城。下野は多気城、宇都宮城。信濃は上田城である。

昨年末に新車に買い替えたこともあり、しばらく休止していた川(河口〜水源)に沿う旅を再開した。
西三河の矢作川沿いを河口から水源の茶臼山まで車でさかのぼり、東京では神田川、その支流の善福寺川、妙正寺川を歩いた。
別の旅でのテーマである「岬巡り」には、千葉の富津岬に行き、これぞ突端という風景を堪能した(ついでに別テーマ「小笠原氏史跡の旅」による正珊禅寺にも立ち寄る)。
はじめて行った温泉は、月川温泉(南信)、瀬音の湯(東京)、雄琴温泉(滋賀)。
再訪だが、改めて測った養老温泉(西濃)の濃さに感動した。

計測マンの進化は留まるところを知らない。
新たに加わった紫外線測定器は、UVindexではなく、その元になる紫外線量(測定帯域250-390nm)を直接測定できる。
生体計測もさらに充実した。
血管年齢を測る脈波伝導速度(PWV)測定器、食後血糖値を測る尿糖検査キット、
そして脳波(左右の前頭・側頭)の計測とバイオフィードバック装置。

このようにアクシデントはあったものの、結果的には大過なく、経験値を積み増しすることができた。
もうこの歳で「飛躍の年」など期待しない。
時間を止めることはできないが、その変化はできるだけ線形であってほしい。
日々を着実に生きて、ゆっくり確実に人生の目標に向かって進んでいきたいからだ。
非線形事象である地震にだけは備えておかないと。 


わが家のホリデー週間始まる

2016年12月24日 | 歳時

子どもが3人いる我が東京の実家では、私が帰省した天皇誕生日に、クリスマスパーティを祝った。
大人たちは発泡ワインでシャンパン気分にひたり、義妹の作る料理に舌鼓を打ち、私の名古屋土産の手羽先もかじってもらった。

サンタ役ではない私は毎年、お菓子の入った長靴を子どもたちにプレゼントしている。
あれって、お菓子はたいしたことないのだが、長靴がうれしいのだ(足が入るならなおさら)。 

そしてイブの24日は、先日大人買いした「バッハ全集」(CD173枚)の「クリスマス・オラトリオ」を流しながら、賀状の原版作り。

クリスマスと正月を共に祝う「ホリデー週間」にふさわしい。 

さらにわが家では、25日は、イエス・キリストと同じく甥っ子の誕生日なので、クリスマスとは別個に祝宴(年に一度の餃子パーティ)となる。


2016年の大掃除

2016年12月18日 | 歳時

勤務先の大学では、卒論の締切間近なので、週末も東京に帰らず、土曜の夕方まで指導した。
なので、ついでに名古屋宅の大掃除をする。
せめて年末の大掃除は、しないわけにはいかない。 

例年、日曜をフルに使って大掃除をするのだが、今回は日曜の午後に出かけるので、土曜と日曜の2回に分けた。

土曜の第1部は、居間の片づけ。
足の踏み場しかなかった空間から、整理整頓するだけで、床面が見事に復活。
床が見えるだけで、なんと住み心地がよくなることか(でもエントロピーの増大を防ぐことはできない)。

日曜の第2部は、台所・トイレ・浴室。
これら水周りは基本的に拭き掃除。
台所はIHに換えてもらってからたいして汚れなくなった。
いや、流しの生ゴミを日頃からためないようにした事が大きいか(流しの奥の”禁断の世界”がなくなた)。
一番の難物は浴室なのだが、風呂用洗剤ではなく、「重曹」で磨いた方が、壁や浴槽・床面の水あかがどんどん落ちた。
重曹は掃除以外に、入浴にも洗濯にも調理にも使え、人体にも無害(それに安い)。
こんないいもの、今まで使ってこなかった人生が悔やまれる。
鏡も、100円で売っているウロコ状のスポンジで、つやつやになる(昔の苦労は何だったのか)。
難物中の難物である浴室の黒カビは、日頃入浴後に浴室全体を熱湯シャワーすることで、繁殖を抑えている。

昼過ぎにここまで終えて、後は玄関を残すのみ(半ば物置と化しているが整理整頓ですむ)。

年に一度の大掃除を達成したので、昼食は握り寿司にしようと、近所のスーパーに買いに行く。
最初に成城石井に行ったが、いつもの貧乏性が出て、マツザカヤストアに足を伸ばして約半値の方を買った。
ここで贅沢しても意味ないし。 


茄子日

2016年12月09日 | 歳時

今日は、年に2回目の麻婆(マーボー)ナスを食べる日。

今回は、実家に帰る日なので母が作っておいてくれた。

目のおかずに「賞与明細書」を見ると、昨年と同額なのに控除額がふえたせいで、手取りが少し減っていた。

とりあえずの使い道はないが、さっそくAmazonでバッハ全集(CD172枚)を大人買いした。
先月買ったモーツァルト全集(170枚)に続いてだ。 
私にとって一生聴き飽きない音楽を手に入れた。 


ハロウィンは日本に定着するか

2016年10月29日 | 歳時

というタイトルが無意味なほど、巷ではハロウィンとやらが喧しい。

日本の伝統を守る側にいる身として、この騒ぎには違和感以上のものを覚えるのも否定できない。

が、クリスマスは幼少時から楽しみ、バレンタインとホワイトデーも受け入れ、ボジョレー・ヌーボー解禁を待っているというわが身を鑑みると、
我が国の文化に無関係な風習を安直に受け入れる事に、実は抵抗してこなかった事実もまた否定できない。

そもそも、私が伝統として守ろうとしている「五節句」自体、実のところ古代中国の年中行事の安直な受け入れの産物であり、しかも三月三日は本来の上巳の節句とは無関係の雛祭りになり、五月五日は端午の節句に無関係の鯉のぼりが上っている(本来の節句の内容を知りたいなら『荊楚歳時記』をご覧じあれ)。
いわば、これらの節句は、女の子の節句、男の子の節句と主題が変質したことによって、かえって我が国で盛大化し、今でも重要な行事になっている。
逆に、古代の形式が残ったままの人日の節句(七草粥)、重陽の節句(菊祭り)の方が壊滅状態だ(七夕の節句はぎり踏ん張っている)。

ということは、自分たちに受け入れやすいように変質させれば、意地を張らずに楽しんでもいいのではないか(バレンタインも日本的に変質しているし)。

ハロウィンはもとは子どもが主役の祭りだが、 日本では大人も仮装を楽しんでいる。

仮装は、すべての人が潜在的に持っている願望だ。
すなわち、ハロウィン=仮装祭りと変質させれば、爆発的に支持される潜在力がある。

ハロウィンの日は、日本中誰もが仮装する日にしたらどうだろう(ただし職業的制服従事者とその仮装を除く)。
ハロウィン的仮装でなくても、自前で調達できるファッションを表現してもいい。
たとえばワードローブに眠っているバブルの頃のDCブランドのダブルのスーツを取り出してもいいかな(サイズが合えば…)。
もっとも、私には烏帽子に直垂という武家ファッションもある。 

どうせなら、こういうハレの日として楽しみたい。 

 


七夕は女性が主役

2016年07月06日 | 歳時

明治政府が廃止してしまった、日本の重要な年中行事であった”五節句”の1つ、七夕(しちせき)の節句は、棚機津女(たなばたつめ)が主人公である。

つまり機織(はたおり)の女性が自分の技能向上を、織女(琴座のヴェガ)に祈るのである。
七夕飾りは、その願い事を飾るもの。
なので”乞巧奠”(きこうてん)ともいう。 

もちろんついでに、夜空を見上げて、夫の牽牛(わし座のアルタイル)との天の川をはんさんでの年に一度の逢瀬を応援する。
だから恋愛成就もこっそり祈っていい。

そもそも機織とは、女性が現金収入を得る第1の技能であって、
わが勤務先の女子大学が明治期に裁縫学校としてスタートしたのも、女性の経済的自立を支援するためだった。
今で言う、キャリア教育である。

七夕の夜は素麺(冷や麦を含む)食べるというのが伝統である。

白く細い素麺が機織の糸を模しているからだろう。
そして五色の糸を交えるように、冷や麦には赤や黄色や緑の麺が混じっている。

ただし、盛夏の夏バテ時のように、麺とつゆだけではつまらない。

ここは、季節の野菜などを天ぷらにして、好きな具材をふんだんに盛り込んだ豪勢な素麺パーティとしよう(ビールも旨い!)。

本来なら、夏の星空(今なら丁度蛍の季節)を眺めながら食べたいが、新暦では梅雨空なのでそれはかないにくい。

でもこのように、七夕は盛り上がる要素を含んでいるので、五節句復活委員会としては、みんなで盛り上げて行きたい。