大晦日のカウントダウンで終わらずに、新年をじっくり祝う日本の正月が好きだ。
馬鹿騒ぎするのでなく、神に感謝する敬虔な気持ちを、生活の中にも反映させている。
朝起きたら、新湯で湯垢離をして、正月用の絹の下帯を締め、和服に袴をつけて、氏神に詣でる。
新年の参拝をし、お札を求める。
帰宅して、家族が揃ったところで、私は烏帽子・直垂(ひたたれ)姿になり、屠蘇三献の儀を執り行う(雅楽をBGMに)。
屠蘇の儀が終わって、豪華なお節料理をいただく。
生活の中に儀式を取り入れることで、自然と宗教行為になるのが教義のない宗教のいいところだ。
ただ、厳冬期に新年を迎えるのは、ちょっと厳しい。
昔のように、立春こそ初春にふさわしい。
中国では今でも旧正月を重視している気持ちもわかる(日本でもお盆は旧暦でやりたがるし)。
とはいっても、冬至過ぎのクリスマスとの共通性もあり、冬至を過ぎた一陽来復の時期こそ新しい息吹を求めるのもわからないではない。
年中行事と新暦とのズレはもう致し方なく、地球が公転一周するスタートラインはべつにどこでもいい。
とにかく、公転を無事に過せたことを感謝し、次の一周の無事を祈ればいいのだ。