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今日こんなことが

私は「はてなブログ」に引っ越しました。
こちらは過去の記事だけ残しています。またコメントも停止しています。

帽子をやめる季節

2016年06月06日 | 歳時

これからの季節、帽子内環境は悪化の一路をたどる。
私はもう限界だ。

高温多湿な帽子内環境は頭髪にも悪影響を与えそうで、帽子をかぶると禿げやすくなるかを確認する研究がスタートするという。

私は、これからの季節は帽子をかぶらない。

”日傘”の季節になる。
日陰を持ち歩くのだ。
日傘は頭髪を悪環境にしないだけでない。
頭髪を含む上半身を強い日射による加熱から救う。
そして、最近始めた紫外線計測で確認されたように、視野に空があると太陽の直達に次ぐ量の紫外線が目に入る。
帽子よりもずっと幅の広い日傘は、視野から空を除外してくれる。
紫外線は白内障の原因の1つなので、この対策は若いうちからやっておいた方がよい。


冬を追う行事…

2016年02月03日 | 歳時

立春の前日の”節分”は、文字通り”季節の分かれ目”を意味し、つらい冬に別れをつげ、待ち焦がれた新しい春を祝う行事だ。
すなわち立春が正月元日であった大昔の名残りであり、”新春”を迎える前日の大晦日の追儺(ツイナ)・鬼遣い(オニヤライ)の行事だった。

この日家の入口に備える柊は、正月の門松そしてクリスマスツリーの柊と同じく冬にも緑をたたえる常緑樹の生命力に魔除けを頼んだもの。

そういう意味では、冬を追い払うという意匠こそ、この日の行事にふさわしい。
いいかえれば、その意匠にそぐわないもの、すなわち時を実感する”歳時”の喜びや敬意の表現でないものは、文化としての価値を見いだせない。

鬼を豆で追い払う行事は、まさに”追儺・鬼遣い”に由来しており、鬼=冬をみなせば納得はできるが、鬼が最後はいつもやっつけられるという出来レースがイベントとしてつまらない
もっとも、大きな寺社でやる(有名人を招いての)豪勢な豆まきは、参拝者の些細な物欲を刺激してそれなりに盛り上がるが、その物欲に翻弄された自分に後味が悪い。

正月は、かつては恵方参りをしたものだから、”恵方巻き”はそれと関連するとはいえるが、そもそも恵方など六曜と同じく現代人が考慮する必要がない迷信(迷信は存在への敬意ではない)。
それに大阪の花柳界が発祥というその振る舞いに品がない(お座敷の戯れ事のよう)。
少なくとも武家礼法とは無縁だから私はマネしない。

夕方、スーパーに行き、大量廃棄が目に見えている”恵方巻き”狂騒曲に辟易しながら素通りし(太巻きは嫌いでないのだが、今日だけは意地でも買わない)、せめて福豆だけでも買おうかと思ったが、売っている袋は私には多すぎる袋ばかり。
そもそも自分の歳の数だけでも多すぎて食べきれず、ましてや家の中から外に向って、大声を上げながら盛大に豆を投げる人など私を含めて近所には誰もおらず、また明日以降は福豆には一切関心がなくなることも目に見えているので、何も買わずに帰宅した。

春を迎える重要な日なのに、”旧正月”に匹敵する日なのに、 子どもじみた豆まきとインチキ臭い恵方巻きしかないのが哀しい。


私が風邪を引かない理由2

2016年01月19日 | 歳時

私が風邪を引かなくなって久しい。
その理由については、以前にも記事にした→私が風邪を引かない理由

今年ももちろん風邪・インフルエンザとは無縁(人が大勢集まる所に勤務しているが)。
その理由をもう一度理論的に考えたい。

今回は、体温と免疫力の関係に注目する。
体温が下がると免疫力が下がり、体温を上げると免疫力が上がるという(ただし限度あり)。
このメカニズムが科学的にどこまで認められているかは定かでないが、自分に当てはまることは確かだ。

以前の私が冬ごとに風邪を引いていたのは、たいてい明け方の最低気温+レム睡眠時(変温動物になる時)だった。
すなわち、寒気が物理的ストレッサーとなって体に襲いかかり、運悪くレム睡眠時なので自律神経が乱れて体温が下がってしまい、そのため免疫力が弱まって、あたりにうようよしている風邪ウイルスにやられてしまったわけだ。

そこで、エアコンのタイマーで明け方に暖房が入るようにセットしてからは、寒気という物理的ストレッサー自体をなくしたので風邪を引かなくなった。 

私が最後に風邪を引いたのは、晩秋の恵那山登山後、登山で体がほてっていたので車の窓を開けて寒気に頭を晒しながら運転していた時だ。
最初は気分がよかったが、下山後の汗を流そうと、今は定宿にしている中津川温泉に着いた時には、すでに風邪にやられて頭痛がして気分が悪く、これ以上運転できない状態になっていた。
日帰り登山の予定だったが、予約なしで宿泊を頼んだ(夕食に間に合わないので素泊り)。

部屋に行っても気分は最悪で、吐き気さえもようしていた。

ところが、寝る前に温泉に頭まで浸かって充分に暖まり(これでまず頭痛が消えた)、
頭をドライヤーできちんと乾かし、夜中は汗がどっと出てシャツを換えるほど体温が上ったら、翌朝風邪の症状はきれいさっぱり無くなって、快適に目覚めた。

体温を上げることで、免疫力を上げて、ウイルスを撃退したのだ。
かように、体温と免疫力の関係は経験的に実感している。

 


2016年の元日

2016年01月01日 | 歳時

2016年の元日は、ゆっくり起きて、例年のように、新湯で湯垢離をして、絹の下帯をしめ、
羽織・袴になって、一家で菩提寺に初詣に行った。
今までは大晦日の誰もいない夕刻に行っていたので、元日の賑わいを知らなかった。

一家で帰宅して、お屠蘇の儀とお節は夕食時間になった。
もちろん、例年通り、私は烏帽子・直垂姿になって屠蘇の儀を「式三献」にならって執り行なう。 
三枚の盃を幼順に三口ずつ飲むのだが、1歳2ヶ月の姪は臭いで口を付けない。12歳の甥は、これが楽しみ。
その後は、母の煮物がおいしいお節料理を頬張る。
今年の酒は「越之寒梅」。やはりおいしい。 

最後は雑煮で締める。

今年もさっそく餅を喉に詰らせての死亡事故が起きたようだ。
これを防ぐのは本来は簡単だ→記事
逆にこの事故が依然として減らないのは、餅を焼かないで煮込んで雑煮にするという死を恐れない危険な慣習を維持している家がいまだに多いのだろう。


2015年の自分を振り返る

2015年12月30日 | 歳時

年末の旅行に行き、正月用の買い出しも終え、年始早々に提出すべき仕事も終えた。
あとやることといったら、年末恒例、「今年を振り返る」。
昨年は世相や自然災害も振り返ったが、同じ世間に暮す私があえてやる必要もあるまい。
今回は、「極私的なブログ」にふさわしく、わが一年を振り返ることにする。 

これを書くために、今年一年のわがブログ記事を読み返したが、かなりの量で自分でもくたびれた。
読者の皆さんにその労を営ませることがないよう(そんなことをする人はいない)、ここで一目で今年の私がわかるようにまとめる。
ついでに記事にしなかった事も披露する。
活動と出来事と旅の3つに分ける。

【活動】
まず、公的・私的な業務活動。
これはブログにはあまり書かなかった分野である。
一番大事な”研究”活動ではノルマにしている”論文2本”は今年も無事達成。
長年続けている研究は、どうしても重箱の隅をつつく微細な領域になりがちだが、
今回は
心のシステムモデル」という大きな構想が自分の視野を思いきり拡大させた。
自分が新しいステージに達したといってもいいくらい新鮮だ。
このモデルについては本ブログでも概略を記事にしているので、 関心があればご覧いただきたい。→記事

次に対外的活動としては、 
10月、信濃毎日新聞に茶臼山で地磁気を計測している写真入り記事が載った。→記事
11月、「談」という雑誌〔104号)に私のインタビュー記事「怖いもの見たさ」が載った。
同月、安城市で武家礼法の講演をした。
11月の2件はブログ記事にはしなかった。 

そして、私的活動だが、”計測マン”の進化は、今年もとどまるところを知らない。
2015年は念願の「サーモグラフィ」が装備に加わった。
サーモは環境・生体双方に使える。
箱根で噴気を捉え(5月)、闇夜で野生の鹿を捉えた(6月)。
室内の空調による温度分布を可視化できた(7月)。
本来の購入目的は、被験者の鼻部皮膚温(副交感神経活動の指標)の測定のため。これは卒論で使わせた。
このほか、水質検査キットが増強され温泉の溶存物質量(温泉の濃さ)が測定できるようになった。
また生体計測として、小数点2桁まで測れる婦人体温計〔11月)、それに心拍を常時計測できる活動量計も加わった〔12月)。
このように計測の方向は、環境測定から生体測定に力点が移りつつある。 
逆におろそかになっているのは、気象観測。
常時観測している3箇所とも機器が寿命を迎えてまともに機能していない。
交換するには予算が足りない。

 

【出来事】 
2015年わが身に起きた出来事のベスト3を紹介する。

まず第3位!
都立秋川高校開校50周年〔10月)。 
今は亡きわが母校の開校記念行事が、OBたちの努力で開催された。
わが母校は物理的・社会的にはすでに存在していなくても、われわれOBの心の中に生きているのだ。
OBと先生たちが一堂に会した式典の後は、もちろん同期(八期)たちで飲んだ。 

次に第2位!
長年愛用していたRoverMiniを手放し、FIAT 500S(赤)を購入(12月)。 
昨年の東京の新居に続いて、新車購入は大きな買い物だが、 Miniが茶臼山で湯気を噴いたこと(10月)が買い替えを決断させた。 
超ローテクなMiniとは大違いの5段マニュアルの500Sにはまだ私自身が”慣れ”運転中。 

そして第1位は、迷うことなく、

新幹線放火事件に遭遇(6月)! →記事
現場の1号車の中央部に座っていた私は、まさにその場に居合わせ、必死で逃げた当事者だ。
幸い、大事な荷物を取りに戻る余裕もあり、唯一の損害は席下のコンセントで充電していた充電器だけですんだ。自分自身は「危険でない恐怖」についてかつて論文を書き、それが注目されて講演をし、今年はインタビュー記事にもなったが、本来的な「危険な恐怖」を体験したのは、恐怖感情を研究した者としては貴重だった。この時、事件後停車中の車内(3号車)をタブレットの写真に撮り、それを賀状に載せた(右写真)。


【旅】 
2015年一番の遠出は、学生時代の友人たちとの熊野三山巡り(9月)。
名古屋から直通列車があるので前から行きたいと思っていたのだが、三山巡りは地元でレンタカーがほしい。
なので1人では行きづらかった。
温泉も熊野山中の湯ノ峰温泉、海ベの那智勝浦温泉を堪能した。 

毎月の温泉旅の中で新しい行き先は、磯部温泉(群馬、3月)、畑毛温泉(静岡、3月)、 湯村温泉(山梨、12月)。
いずれも東京からで、名古屋からはいつもの宿ばかりで、新しいのは岐阜駅前のビジホ(運び湯)だけだ。

温泉はいいとして、長年の第一の趣味としていた登山は一度もやらなかった。
これは山が好きになった中学一年以来、初めてのことだ。
左膝の靭帯が下山時に痛んで歩けなくなるのを恐れたためだ。
もっとも、山と名のつく所で温泉旅などのついでに登ったのは、大仙山(167m、伊豆)、八王子城山(445m)、湯村山(446m、山梨)であって、いずれも恥ずかしくて登山とはいえない。
2015年の最高地点は茶臼山高原〔1230m、愛知・長野)であるが山頂(1415m)には至らず。

その替わり、負荷の低い山城巡りとお寺巡りに切り替わった。
特に山城巡りは自分にとっても新鮮で、城=縄張という視点で曲輪や堀、虎口をつぶさに観察するのだ。
行った先を旧国別に列挙すると、武蔵では滝山城、八王子城、小田野城、片倉城、平山城、勝沼城、菅谷城、杉山城。
上野は磯部城、館林城。下野は唐沢山城、佐野城。相模は新井城。
一方、美濃では岩村城、苗木城、小里城、阿木城、それに岐阜城。尾張は清洲城、小牧城、緒川城、沓掛城。
寺は、伊豆の国清寺、三島の龍澤寺、八王子の広園寺に初めて行き、長野の善光寺、北鎌倉の諸寺や青梅の塩船観音寺は再訪問である。

目的が珍しい旅としては、気温観測の露場の様子を確認するために館林(群馬)を訪れた(8月)。
これで、熊谷、多治見と合わせて問題の三箇所を確認したことになる。

というわけで、危機もあったが結果的には大過なくすごせた。
2016年は新車での温泉旅が楽しみだ。


イブに賀状作り

2015年12月24日 | 歳時

帰省して、やることといったら、賀状書き。

元日に着くには25日までに出せというので、クリスマス気分そこのけで、パソコンで賀状の原稿作成にとりかからなくてはならない。

といっても全面的にパソコンに依存するのではなく、宛書きは手書きとし、裏面もイラスト素材と文字を使って自分で構成する。

久々に新たな素材を手に入れようと店に行くが、来年の干支に特化したものばかりで、それでは今回と12年後にしか使えないではないか。
もちろん、毎年使える全ての干支が入った素材集も2種類ほどあったが、中身は私がすでに持っている西暦2000年頃かった素材集とほとんど同じなので、それは買わず、Mac用と銘打ってある唯一の素材集(といっても最近のMacはドライブがついてないので、素材はダウンロード)を買った。

家に帰って、クリスマスソングをBGMに賀状の原稿作成にとりかかる。 

干支のイラストって、たくさんあるが、やたらマンガチックなのとやたらリアルで動物的なものが多く、その中間の味のあるイラストが少ないのが毎年の不満。
結局、手許の素材集からは干支の申(猿)で使いたいのが見当たらなかったが、三猿(見ザル、聞かザル、言わザル)のモチーフはいただき、自分が撮りだめしている(庚申塔などの)三猿の写真を採用。

それと、本年撮った写真から1枚を載せて、解説をつけることにしている。
さて今年は何の写真でしょう。
お暇な方は、今年一年間の私のブログを読み返して、当ててみてはいかがかな(今年は当てやすい)。

正解は、年末恒例の「今年を振り返る」記事で公表する。


ひと足お先に冬休み

2015年12月23日 | 歳時

職場での用事(授業や会議)がなくなったので、一足先に実質的な冬休みとなった。
あとは実家に帰省するのみ。

そこで、新車FIAT500Sを長期不在モード(バッテリの解除など)にしようと思ったら、リモコンキーが見つからない。
家の中、車の周囲を探しても見つからず、もしや路上に落ちていたのを拾われたかと、交番に紛失届けを出すつもりになって、最後に念のためバッグの内ポケットを探ったら、そこにあった。
自分が置こうとした場所に置くのを忘れて、バッグの中にしまったままだった。
しかも丁寧に内ポケットの中に。

かように、自動思考のシステム1に行動をまかせているので、新しい体験においてはミスとなってしまう。
ことは車なので、事故につながるおそれもある。

正直、自分は人一倍システム1が強固で、粗忽なポカをよくやる。
学問的アプローチには現象学を採用していながら、日常生活では現象の現われに真摯に直面せず、現象を自明視して定型処理ですまそうとしている。
システム3の現象学的実践にはマインドフルネスが適しているので、きちんと修行しよう。
ただ、しばらく帰省するので、この続きはとりあえずお預け。

名古屋にしばし別れをつげ、帰京の途につく。
夏場なら18きっぷを使うのだが、冬は期間中に往復することもないので新幹線。 
世間の帰省期間よりずっと前なので、新幹線は空いている。
車内でいつもは第3のビールを飲むのだが、今日はちゃんとしたビールを開け、自分の今年一年の労をねぎらった。
これからしばらくは東京モードになる。 


収穫祭を祝う

2015年11月19日 | 歳時

例年通り、仕事帰りにボジョレー・ヌーボーを買い、家で開ける。
もともと赤ワインは好きで、もちろんフルボディが好みだが(といってもテーブルワインばかり)、ライトな新酒はブドウの香りが新鮮で呑みやすい。
なので、毎年この日を楽しみにしている。 

今年も美味しく味わい、あっという間にボトルの半分開けてしまった。 

確かに、フランスの特定地方のワインの新酒を縁もゆかりもない極東の日本人が騒ぐという軽薄さを批判する気持ちは理解できる。
私だって、日本でのハローウィンは徹底的に無視したい。

ただ、収穫祭は農耕民にとって最も大切な祝いなのだ。
生存の根源たる食そのものを祝う、根源的な行事だ。
日本にも「新嘗祭」はあることあったが、五節句に入っていないため、万民の祝いとはなれなかった。 
これが不服だった。

さらに酒好きにとっては、新酒の祝いは、一年で一番堂々と「酒が飲めるぞ!」と公言できる時だ。
この日だからあえてそれを飲む、という行事そのものを愉しんでいるのだ(実際、10日もすれば、ヌーボーには見向きもしなくなる)。 

日本酒の新酒の祝いももっと盛大にやってくれたらいい。 


私が夏に帽子をかぶらない理由

2015年07月19日 | 歳時

私は通常は外出時に帽子を被る。
冬は頭部を寒気から守るために、ミリタリーベレーを被り、
春・秋は日除けのためにバイザー代わりにツバのあるハンチングかハットを被る。
ところが夏とりわけ盛夏は帽子を被らない。
これは多くの男性とは逆パターンでさえあろう。
もちろん大切な頭を一年で一番強い直射日光に曝すはずはない。

盛夏の日射に対しては、帽子では力不足なのだ。
第一、頭が蒸れる。
そこで、帽子という些少な日除けではなく、身体全体を日陰にする”日傘”に装備を格上げするのだ。

私の日傘は、直径が長いので全身がカバーされ、紫外線だけでなく、太陽光も反射するので、傘の内側は日陰の涼しさを実現する(紫外線防止だけの日傘は傘内の温度は下らない)。
そう、帽子だと、頭部以外の首から下がまったく無防備で、腕も脚も直射日光による輻射熱をもろに吸収して、気温より数度も上ってしまう。
気温だけでも35℃を超えるから、皮膚の表面温度は40℃近くに達してしまう。
風呂にずーっと入りっ放しの状態だ。
皆さん、よく平気でいられる。
皆さんが直射日光に曝されて、汗を光らせている中、私は日陰を携帯してまさに涼しげな顔。
日傘は晴雨兼用なので、夕立にも対応できる。
折畳みなので使わないときはバッグにしまえる。

さらに首には、高分子ポリマーを水で膨らませたものを巻いている。
これは首回りの体温をいつまでも上昇させない効果がある。
ずっとつけていると表面温度が体温近くなって、冷たさを感じなくなるが、
歩いたりして体温が上ると、冷たさを感じるのがその証拠だ。
つまり一時的な冷感を与えるのが目的ではない。
一回水に浸せば、高分子ポリマーの水分がなくなるまで24時間以上もつ(しかも100円ショップで買える)。


ナス日の茄子

2015年06月23日 | 歳時

私一人やっている活動に、「ナス日の茄子(なすび)」がある。
自由の利かない給与生活者が、年2回だけ自身の身分に幸福感を痛感する6月と12月のその日(ナス日)に、
季節感を無視ししてもとにかく茄子にこだわった料理を食して、半年に1度の幸福感を味わうというもの。

ベストの茄子料理はなんといっても「麻婆茄子」!
名古屋の棲み家近くでは成城石井の総菜売り場にあった。
あと生の茄子を一本買って、縦に4つに割って、フライパンでしぎ焼き風にした。

それに祝杯。
今回はバリ島でよく飲んだBintanビールを瓶から口のみ。

酒の肴は賞与明細書1枚でいい。


年度末の桜

2015年03月31日 | 歳時

3月31日は年度末で、いわば第二の大晦日。
冬物を着なくなり桜が咲くこの時期こそ、真の”新春”を実感できる。

「春休み」が終わる私も、桜の便りに誘われて、例年通りの「谷中から上野の桜見物1人ツアー」にカメラ持参で出かけた。

谷中霊園は桜も人もまばらなので、桜の樹一本一本を丹念に見、また撮影できる。
せっかくなら桜の花に近づいて撮ろう(右下写真)。 

谷中から東京芸大を抜ければ、そこは上野公園。

こちらは人も桜の木もぐっと密度を増すので、全体の壮観を味わうのみ。 

谷中は墓地なので、樹下での飲食は禁止されているが、上野は花見の宴が名所なため、宴会をしない人はただ通りすぎるだけとなる。
桜を撮ろうとしても、ここは木の背が低いため、道行く人の顔ばかり写ってしまう。 

歩きついでに秋葉原まで足を伸ばす。

ここに来ると、一軒づつ覗いて、思わずサイフの紐もゆるむ。

そういえば、先日、飲み会のため南青山から表参道を歩いたが、あちらは入りたい(入れる)店がない(アップルストアくらい)。

秋葉ではせっかくなので、気象観測用の壊れたPCの買い替えに中古のノートを買った(それといろいろ小物)。
ここでの買物は生活を便利にしてくれるから楽しい。 

そういえば今日は平日なのに、上野も秋葉原も人でごった返していた。
どうみても定年後の高齢者・春休みの学生・専業主婦ばかりではない。
私もそれに該当しない一人だが…


この時期の「八甲田山」

2015年01月26日 | 歳時

1月下旬は一年で最も寒い時期。
なので、この時期の冬山は最も厳しい。

冬山にはとっくに足を洗った私が、
毎年、この時期に観る映画(DVD)は、「八甲田山」。

明治35年の1月下旬に八甲田山に雪中行軍に向った青森歩兵第五連隊が、吹雪の山中で迷い(雪山にはもともと道はない)、数日間さまよって199名もの死者を出した、世界的大遭難事故を映画化したものだ。
原作は新田次郎の『八甲田山死の彷徨』だが、映画自体が力作(史実や原作より、ややヒューマンドラマ方向への改作はあるが)。
凍傷者をだしたという雪山のロケも迫真だし、俳優が豪華(高倉健、北大路欣也、三国連太郎、緒形拳、大滝秀治、加山雄三、栗原小巻、加賀まりこなどなど)。
この映画、当時珍しく家族全員で見に行った(芥川也寸志の音楽が重要なのにモノラルだったのが不満。DVD版ではステレオ化されている)。

私自身、麓の幸畑(コウハタ)からレンタカーで行軍ルートを辿ったことがある(現地で史実の資料を入手した)。

そもそもなぜこのような大遭難が起きたのか。
一番の原因は、気象にあった。
この時、太平洋上を低気圧が発達しながら北上し、大発達して、北日本に空前絶後の寒波をもたらしたのだ。
1月23日に出発し、第五連隊が八甲田山中に閉じこめられていた25日、旭川で-41℃という日本最低気温を記録した(いまだ破られていない)。
当時は、天気予報がままらなかったと思うが、このタイミングでの雪中行軍は、伊勢湾台風接近時に洋上訓練をするような暴挙で、最悪の判断だった。
好天であれば、まったく問題なかったようだから(数日後弘前31連隊は逆コースを無事通過)、天気判断を誤ったのが第一の原因だ。

もっとも、冬山に入る登山者は悪天候を想定した準備をするのは必定(それでも遭難が起きる)。
日本にアルピニズムが普及しはじめた時代だっただけに、冬山登山の常識や遭難時の行動原則が北国の軍隊に広まっていなかったようだ。

毎年この時期、かように私なりに"八甲田忌”を送る。


餅は必ず焼く

2015年01月03日 | 歳時

今年もめでたいはずの正月に悲劇が起きている。

餅を喉に詰らせる事故だ。

防止策として「小さく切り分けて」というのが公式見解のようだが、

一向に事故が減らないのは、その対策が食べ方として不自然だからだろう。

昨年も書いたことだが、私は「必ず焼いて」を推奨する。

そうすれば、必然的に、歯で切り分ける。

喉を詰らせるのは、雑煮やぜんざいなど、煮込んだ場合のはず。

焼かずに餅を煮込むと餅の粘性が増し、噛み切れず、塊のまま喉を通り、私でもあぶない。

焼けば餅の表面が固くなるので、噛み切ることが必要となり、しかも柔らかいので、高齢者でも噛みきれる。

表面には粘性がないので、意思に反して大きな塊のまま喉に滑ることはない。

そして何より、焼いた方が固くなった表面に味がしみ込み、美味しくなるのだ。

いそべ巻にする場合も勿論焼く。

そのほうが醤油の乗りがよくておいしいからだ。

昔は餅は火鉢に網を掛けて焼いていた。

今なら、オーブントースタでいい(もちろんコンロに網をかけても焼ける)。

餅は正しく食べれば安全でおいしいのだ。


三が日を過す

2015年01月02日 | 歳時

正月三が日はあえて無為ですごす。

元日に近所の鎮守には初詣をするが、基本は家に居て、昼から酒をのみ、お節料理を食べるだけ。

自宅での昼の飲酒を自分に許容しているのはこの三が日だけ。

夜になっても腹が空かないので、餅を2個ほど磯部巻にして食べる。

昔だったら、正月用の特別番組を観ていたが、今は「箱根駅伝」を見入ることなく、眺めるくらいか。

余った時間は、読書に費やす。

といっても研究書ではなく、このときばかりは歴史書、しかも15-16世紀の関東に絞る。

この頃の関東は、古河公方⇔両上杉の三つ巴から、後北条・上杉・武田の三国時代に続く混乱の極み。構造が複雑なだけに、いくら読んでも飽きない。

 


元日を過す

2015年01月01日 | 歳時

大晦日のカウントダウンで終わらずに、新年をじっくり祝う日本の正月が好きだ。

馬鹿騒ぎするのでなく、神に感謝する敬虔な気持ちを、生活の中にも反映させている。

朝起きたら、新湯で湯垢離をして、正月用の絹の下帯を締め、和服に袴をつけて、氏神に詣でる。

新年の参拝をし、お札を求める。

帰宅して、家族が揃ったところで、私は烏帽子・直垂(ひたたれ)姿になり、屠蘇三献の儀を執り行う(雅楽をBGMに)。

屠蘇の儀が終わって、豪華なお節料理をいただく。

生活の中に儀式を取り入れることで、自然と宗教行為になるのが教義のない宗教のいいところだ。

ただ、厳冬期に新年を迎えるのは、ちょっと厳しい。

昔のように、立春こそ初春にふさわしい。

中国では今でも旧正月を重視している気持ちもわかる(日本でもお盆は旧暦でやりたがるし)。

とはいっても、冬至過ぎのクリスマスとの共通性もあり、冬至を過ぎた一陽来復の時期こそ新しい息吹を求めるのもわからないではない。

年中行事と新暦とのズレはもう致し方なく、地球が公転一周するスタートラインはべつにどこでもいい。
とにかく、公転を無事に過せたことを感謝し、次の一周の無事を祈ればいいのだ。