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今日こんなことが

私は「はてなブログ」に引っ越しました。
こちらは過去の記事だけ残しています。またコメントも停止しています。

ストロンチウム90

2011年10月17日 | 東日本大震災関連
横浜市街でストロンチウム90(以下、ストロンチウム)が検出された。
私がこの物質の名を初めて耳にしたのは、かの東宝映画『ゴジラ』(昭和29年版)での”山根博士”(志村喬)の発言だった。
横浜でさえ検出されたのだから、より原発に近く、空間線量の高い所は、もっと検出されて当然だろう。
※冷静になって考えてみると、これも必ずしも原発起源でない可能性もある。ストロンチウムもラジウム同様、利用されてきたから。

通常のモニタリングポストはγ線のみの計測なので、β線を出すストロンチウムは測定されない。
なので、β線も計測できる機器で自主的に測るしかない。
私も週末に帰京したら、近所を測り直そうと思っている。
ただし、通常の線量計は定性分析ができないので、物質を特定できないのが悔しい。

β線は、直接触れない・手洗いの励行などをすればいいので、透過性の高いγ線にくらべれば大幅に防御しやすい。
でも一旦体内に入ると、逆に影響力が強いので注意。
ストロンチウムの経口摂取の実効線量は、100Bqで2.8μSvになるという。

この物質に対して、”アルギン酸”が体内蓄積の防御になるらしい。
これは海藻から抽出され、添加物として、ドレッシングなどに使われている。
意識して摂取したい。

近所を測り直そう

2011年10月12日 | 東日本大震災関連
東京世田谷で2.7μSv/hものホットスポットが見つかった(飯舘村並の値)。
個人による発見だ。
ご存知のように半減期の長いセシウム137なので、数ヶ月程度では線量が減らず、その間の風雨によって、特定場所に集積してしまうおそれがある(特に台風15号によって分布が変化しうる)。

東京の実家周囲も5月頃までは頻繁に測っていたが(高いところで、0.2μSv/h)、それ以降は測っていない。
夏は室内の計測だけでチェックしたつもりになっていた。
その間、家の近所に、その当時にはなかった新たなホットスポットが出現しているかもしれない。
来週末、帰京したら早速測り直す。

同様に福島はもとよりその周辺の県の人も今一度、自宅周囲を測り直すことをお勧めする。

安い線量計は危険に鈍感

2011年10月04日 | 東日本大震災関連
ブログの読者の方から、モバイルで使える数千円の線量計を購入したとメールをもらった。
あまりに安すぎるので、モニタリングポストの値とくらべて、誤差を確認した方がいいとアドバイスした。

さっそく数ヶ所との比較の結果をもらった。
ほぼ一貫して半分の値だった。
cpm値そのものが低すぎることから、放射線粒子に対する感度が低すぎるようだ。

その読者の方は、福島の人がこの線量計を使って”値が低い”と喜んで、安心してしまうことを危惧した。

五月に別の読者の方と飯舘村に行った時も、
その人が持っていた中国製の線量計は、私のアメリカ製より一貫して低い値を示していた。
ちなみに、私の線量計は、飯舘村のモニタリングポストと並べて測り、同じ値を確認した。

線量計は、人々の健康を守るため、良心的にあえて安価で提供されている場合がある。
だが、安い線量計は、感度が低いため、放射線を捕捉し損ない、値が低く出る可能性がある。
それによって、本来なら”危険”なのに、危険でない値を出すことになる。
これなら使わない方がましになってしまう。

せめて、正しい値との誤差の度合いを確認しておくことだ。

南相馬市の悲劇

2011年09月30日 | 東日本大震災関連
南相馬市の緊急避難措置がやっと解除された。
線量的には、それに値する地域ではなかったのに、原発からの”距離”だけで判断された結果だった。
線量的には、南相馬市は、福島市や郡山市並かそれ以下だ。
4月に南相馬市街にボランティアで入った人によれば、当時でもう空気中は1μSv/hを下回っていたという(市の南西部だけは値が高いが市街地からは遠い)。
本来なら津波被害からの復旧が急がれるべきなのに、強制的に”死の町”にさせられたのだ。

逆に、原発から北西に離れた飯舘村の南部は、緊急避難に値する線量であったにもかかわらず、距離だけで判断された結果、高い放射線量の中、5月末まで野放しにされた
(今日のニュースで飯舘村の土壌からプルトニウムが検出されたという)。

3月の事故当初は、確かにチェルノブイリと同じく距離による判断しかできない。
しかし、その後は実際の線量によって”正しく”判断できたし、すべきだった
(この疑問については5月くらいからこのブログで論じている)。

”計画”に則って、原発が"冷温停止"状態になるのを待っていたのだろうか。
官僚思考の人たちが責任を取りたくなかったのだろう。
その半年間の無為無策のツケは、生活の破壊という形で福島県民にのしかかった。

それにしても、除染が遅々として進まない。
というか悠長に構えすぎ。
放射性セシウムによる汚染下では、年間被曝量が増え続ける一方なのに、
なんで除染計画が”年”単位なのか。

これは地元自治体や東電に責任を押しつけることで、迅速に解決できる問題ではない。
”国土”の問題だ。
日本全体の技術力・財力を動員すべき問題だ。
それは被災地のみを利するために、他地域が犠牲になることではない。
国を挙げての”復興”(大規模公共事業)こそ、我が国全体の景気回復の起爆剤なんだが。

ゼオライトの除染効果を試した

2011年09月14日 | 東日本大震災関連
5月に飯舘村から採取してきた土の上にゼオライトを捲いて、除染効果を試した。
厚さ8cmほどのその土は、表面が2.2μSv/h(以下同)、底面が0.14。
それを上下混合した結果、表面が0.35になった。

まずヒマワリの種を蒔いた。
まもなく発芽して、二段目の葉まで出たが、ほどなく枯れてしまった。
その時点で0.31。
8月2日に土の上にゼオライト・セラミック((株)アルコスからネットで購入)を土の面を覆うほど捲き(約200g)、
そのまま放置。
9月15日に除去して、土から2cmの高さで放射線量を測った。
結果は0.3前後と、ほとんど差がなかった。
ただ捲いたゼオライトだけを取り出して測ると、未使用のものにくらべて、二倍ほど高かった(0.27,0.13)。
ゼオライト側が若干吸収したことはわかる。

期待したほどの効果がなかったのは、
捲いたゼオライトは球状なので接地面積が小さいことも影響していたかもしれない。
なので今度は、土中に埋めてみることにする。

『福島原発事故 放射能と栄養』…内部被曝を防ぐ食べ方

2011年09月13日 | 東日本大震災関連

実りの秋。
キノコが大好きな私は、毎年買っているかの地方産のマツタケが気にかかる。
周辺地域では外部被曝の危機は去ったが、まだ内部被曝の危機が残っているからだ。

そんな時、満を持して出版されたのがこの本。
『福島原発事故 放射能と栄養』(白石久仁雄 宮帯出版社) 890円+税
なにしろ発行は2011年9月13日(その数日前に入手)。

著者の白石氏は放射線医学総合研究所の内部被曝研究室長にして、
原発事故における放射線と食品の関係を世界最初に扱った『チェルノブイリ事故 放射能と栄養』の翻訳者。
放射線と健康の問題は、その道の専門家の具体的なアドバイスを受けよう。

ウクライナでは、汚染土壌のキノコを食べたり、汚染した牛からの牛乳を飲んだりしたための健康被害が有名だが
(これは事故の隠ぺいの結果である)、
それ以外でも、汚染した食物を避けるため輸入品にたよった結果、栄養のバランスがくずれたり別の毒素の摂取によって、
健康を害した人が増えたという。

まず内部被曝をできるだけ防御する食品の扱い方が紹介されている。
放射性セシウムは水溶性だから、水洗いと煮出しをすれば、摂取量を1/10に落せるという(もちろん煮出したお湯は捨てる)。
酸性の水分にも溶けるので、酢の物にしてもいい(酢は口に入れない)。
果物などは、水洗いして皮を丁寧にむく。
肉類(魚肉)は食塩水にしばらく漬ける。

ついで、内部被曝に対抗する食品・栄養素が紹介される。
たとえば、放射性物質を他の毒素と一緒に包み込んで排出する食物繊維や、
内部被曝によって発生する活性酸素を抑えるビタミン類の摂取が推奨されている。
リンゴなどに含まれるペクチンは放射性セシウムを排出し、昆布などに含まれるアルギン酸は放射性ストロンチウムを排出するという。
つまり、内部被曝に対する”内部除染”が可能なのである。
とりわけ、動物実験だろうが、完全なたんぱく質を摂取すると、高線量(6~8Sv:ヒトの致死量)を浴びても、
かえって寿命が伸び、癌の発生も低いというすごい研究結果には驚いた。

ただし、これらは万能ではないので、汚染された土地や海からの食品は避けるよう勧めている。

一般論に終わらずに具体的なレシピが紹介されているのもいい。
風評被害には乗りたくないが、でも正直心配、という人にお勧め。

かの地方のマツタケは、網焼きはあきらめ、水洗いして酢であえるか…


半年後を見てきて

2011年09月11日 | 東日本大震災関連
昨日の南三陸の被災地巡回をまとめたい。
通りすがりの印象なので、表面的で間違っているかもしれないが。
南三陸町・気仙沼市・陸前高田市の3ヶ所の違いとして、復興度合いがあげられる。

気仙沼は、人口が多く、しかも津波で主に被災したのは港湾付近であり、
産業基盤もあるので、3ヶ所の中では一番復興が進んでいる印象だった。
なにより港の市場が再開されているのが心強い。
ただ被災地の中心部は地盤沈下もあり、手が付けられない状態。
産業・雇用の糧となる工場地域の復興もまだまだ。
でも自力のパワーを感じるので、なんとかなりそう。

南三陸町は、市街地がほぼ壊滅状態だが、
その中心部でも、瓦礫の中で営業を再開している店が複数あり、
まるで戦後のバラックの中での立ち直りを感じる。
トラックも行き来し、ボランティアもバスを連ねてやってきている。
「これから」という感じ。

陸前高田は、破壊がいちばん酷く、そして静かだった。
人はおらず、車もこの地を素通りしていく。
気仙沼も南三陸町も近くに高台があるので、着の身着のままで逃げることはできた。
でも平原が拡がるここは逃げ場がなかった。数棟のビルを除いて。
無人の平面が続くこの地に立つと、私でさえ、ぼう然となる。
「いまだに」という感じ。

そして、これらの間に位置する地にも、上下にひっくり返ったような家があり、
また「1分でもいいから」と壁に貼り紙をし、ボランティアを募っている家もあった。

ただ、いずれの地でも瓦礫は一次的な集積中であり、根本的な処理に至っていない。
それと、家や職をなくした被災者の二重ローン問題や雇用問題など、これからの問題も山積。

このような状態だからこそ、地元の人にとっては、
ボランティアが一番嬉しいだろうが、観光でも来て欲しいという。
一番おそれているのは、”忘れられる”ことだから。

外部の者にとっても、現地に行くことによって、
被害のリアリティを実感し、心に焼き付けられる。
それによって、なんらかのアクションにつながるだろう。

気仙沼には新幹線が停まる一ノ関からの鉄道の便があり(大船渡へはまだ不通)、
一人客も泊まれる「休暇村」が営業している。

旅行に行くなら、今年は東北へ!
私も今回の地のほかに、宮古・石巻・名取・相馬にも行きたい。

南三陸の被災地を巡回

2011年09月10日 | 東日本大震災関連
ホテルでの朝食を済ませ、早速、駅前のレンタカー(ヴィッツ)で出発。
カーナビだけだと、どのあたりが被災地なのか見当がつけにくいので、あらかじめ購入していた『復興支援地図』(昭文社)を助手席に拡げる。

これから廻る地の被災者の気持ちを理解しておこうと、前日に、陸前高田市長・戸羽太氏の『被災地の本当の話をしよう』(ワニブックス)を読んでおいた。
そこでは、次第に被災地のニュースが減ることで、復興が順調に進んでいるかと思われてしまうことが心配されていた(問題は山積のままなのだ)。
だから、私なりに半年たった今の姿を発信したい。

南三陸町
死者・行方不明者:1183名(『地図で読む東日本大震災』(成美堂)より)。
津波の高さは志津川で15.8m
岩手と宮城の県境の山から下って、山の谷がだんだん開けてくると、つぶれた車が集められていたり、建物の土台しか残っていない地が増えていく。
そして、海に開けた平地に着くと、それらが一面に拡がっている。

土台しか残っていない所の隣に、バラック建てのコンビニが営業している。
赤い鉄骨だけが残った3階建ての防災対策庁舎が、モニュメントのように目立つ。
その入口だった所に、祭壇が設けられている(写真)。
この建物から避難を呼びかけ続けて津波の犠牲になった遠藤未希さんのためだ。
津波は避難先と認められていた3階建てのビルをも呑み込んだ。
そばには自動車の残骸がそのまま放置されている。車の残骸すら集積が完了していないのだ。
もちろん、復興支援の他県ナンバーのトラックが忙しそうに走ってはいるが…

コンクリの小さな陸橋がポツンと大昔の廃線跡のように残っている。
その上に上がると線路はないし、陸橋に続く部分もない。
もちろん廃線跡ではない。現役のJR気仙沼線だ。
津波で線路ごと流されてしまったのだ。
この後、気仙沼へ向かう途中も鉄路は至る所で破壊されていた。

車を止めて写真を撮っていると、学校帰りなのだろう、制服姿の女子中学生が2人歩いてきた。
彼女らに、当時の様子を聞きたくなったが、遠慮した。
半年前にどんな心の傷を受けたかわからない。
絶望の縁に立ってなんとか踏ん張っている人には、とおりいっぺんのねぎらいや励ましはとてもできない。
でもほかの言葉がみつからない。
せめて、地元の人たちが自ら「頑張ろう!」と奮い立っているのを、なんらかの形で応援するしかない。

爆心地のような中心街(があった所)から離れた道脇の空き地には、
ボランティアツアーのバスから降りたボランティアの若者たちが大勢、野外で昼食をとっている。
周囲には、人手で集められたらしい瓦礫(中には大切な物もあろうが)がまとめられた袋が、道路の脇に点々と置かれている。
彼らの姿は頼もしいが、半年後でまだこの段階。
人手がまだまだ足りない。

道路沿いにかかる「ありがとう」の横断幕を横目に気仙沼に向かう。

気仙沼
死者・行方不明者:1489名。津波の高さは7.7m。大規模な火災も発生。
海から距離のある市街地は一見なんともない。
イオンも営業を再開し、ここは元気を回復したように見える。
ところが、港へ向かうと、風景は一変する。
3月11日、津波が道路からあふれ出てきて襲いかかる映像が思い出された。
鉄筋の建物が多いので、かえって当時の無残な姿をそのまま残している。

斜めに倒れたり、一部がひしゃげた建物がそのまま残っていて、
あちこちの地面は地盤沈下による潮の流入で池状になっている。
そのせいでカモメが我が物顔でたむろしている。

近くの高台にあがると仮設住宅が公園と中学校の校庭にずらりと建てられている。
高台上のもとからある住宅地は無傷。
高台の上と下とで運命がこれほどまでに違うとは。
この高台に貝塚の碑があった。
大昔はこの高台から下は海だった。

港の市場は再開されており、白い漁船がいくつも係留されていた。
コンビニもきちんとした建物で営業されている。
破壊された区画は、南三陸町よりは狭いようだ。

フェリー港を越えて魚の加工工場の火災跡が拡がる市の北側(鹿折地区)に入る。
そしてその一画に、巨大な船が海辺から遠い(海が見えない)陸地に横たわっている。
遡る川もないほんとに陸のどまん中に大きな船。
このありえない配置は、映画『未知との遭遇』でしか見たことなかった。

陸前高田
死者・行方不明者:2149名。津波15m。
南三陸町よりも広い平原に何もない。あまりに何もない。
ただ不自然に平らな地面が、そこに何かがあった痕跡をかろうじて示している。

江戸時代に防波林として植えられた松原のうち一本だけ残ったと聞いたが、見つけることができなかった。
(※よく見たら、気仙大橋から撮った写真に写っていた!その拡大部分→)

海岸沿いで残っているのは、ホテルと道の駅の建物だけ。
もちろんそれらも一階は破壊されている。
あたり一面何もないのは、いまだ瓦礫の撤去段階にすぎないからだ。

震災後半年を経た今、復興の槌音があちこちに響いて…という状態ではまったくない。
福島と異なり、接近をためらう要因は何もないのに。
このまま北国は寒い冬を迎えるのか。

そしてこれらの市街地の間には、小さな集落あるいは一軒家があり、同じように被災していた。
これらの地も忘れてはならない。

沿岸から長駆1時間半かけて戻り、世界遺産となった中尊寺に立ち寄った。
金色堂の阿弥陀如来に、今日訪れた地の犠牲者の冥福を祈るために。

南三陸に行く

2011年09月09日 | 東日本大震災関連

野田総理が連日被災地を視察している。
実は私も、今日から南三陸の被災地へ旅に出る。
震災以来、福島原発事故の方ばかりにかかわっていて、
そこから北に拡がる津波被害についてはノータッチだった。

せめても、夏の旅先を被災地方面にしようと思ったが、
今年起きた津波被害を間近にして、のんきな温泉旅をする気にもなれない。
せっかくなら、被災地をこの目で見て、被害を少しでも実感したい。

というわけで、急ぎ足だが、南三陸町から陸前高田市にかけてレンタカーで”見学”する。
後期授業に防災関連のものがあるので、教材にしたい。

日帰りではきついので、あらかじめ一ノ関(レンタカーを借りる地)に宿をとる。
ついでながら、一ノ関は、放射線のホットスポットでもある。
なので放射線計測もする。


「東日本大震災、その時企業は」の書評付き

2011年08月10日 | 東日本大震災関連

研究費(大学の教員が個人の研究用に使える予算)で注文していたMacBookAirが届いたというので、慌てて名古屋に戻った。
東京の図書館で仕事するのに、ノートパソコン(MacBook)を持ち歩いていたが、いかんせん重くて、
図書館帰りに秋葉に買物に行く時は特に重くてつらかった。
なので、実用レベルの性能になったMacBookAir新製品が出る今年の夏を狙っていたのだ。

といってもそれを取りに行くのに往復運賃2万も使うのはもったいない。
なので往きは新幹線を使ってあちらの棲み家に泊まり、
翌朝、 Airを受け取って18きっぷでゆっくり帰還。

東海道線で名古屋から戻る時は、いつも浜松で途中下車して、
浜名湖漁協の浜名湖産のうなぎ弁当を買って食べることにしている。

あと中央線経由とちがって、山岳風景に気を取られることがないので、
ずっと読書に集中できる。
6時間もあるので、新書だったら複数読める。
(かつてこの時間を利用して読んだのは『カラマーゾフの兄弟』、『ドグラ・マグラ』、『死霊』、それにフッサールの著作など多数)

今回読んだうちの一冊は『東日本大震災、その時企業は』(日本経済新聞社 日経プレミアシリーズ。¥870+税)。
これからの”防災計画”には、災害後の事業体ごとの”災害復興計画”が重要になるので、
災害後の事業復興の実例を知りたくて読んだ。
33社(メーカー中心)もの実例と経営者のインタビューの構成なので、広く浅い内容だが、それらにけっこう共通していたのは、
●現場の臨機応変な対応力(現場力):本社の指示を仰がずに最適な判断と行動ができる
●震災復興に対する私企業の枠を越えた公共意識:自分たちが被災者を救うんだという意識
●今こそ”恩”を返す時という気持ち:恩というのは、関西企業の場合は阪神大震災で受けた援助の恩であり、他の企業の場合は東北の顧客の日頃の愛顧に対する恩。

確かにこの震災中でも日本人のモラルが健在だったことは、世界が称賛した通り。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(M.ウェーバー)、いや江戸時代の三河の禅僧・鈴木正三(しょうさん)の勤勉思想を彷彿とさせる倫理観。
日本人にはこのモラルが生きているので、復興は確実であると、グローバルの視点にたつ経営者たちは太鼓判を押す。
日本企業の”現場”の力はかくもすばらしいが、その分、国の指導者のレベルが低すぎなのが残念。
徳川家康のような、スバ抜けたリーダーって出ないものか(こういう人物を輩出するには100年もの戦国乱世が必要なのか…)。


除染手伝います(ボランティア)

2011年08月09日 | 東日本大震災関連
放射線関連のブログ(情報提供)を終了する理由は、今後はひたすら除染しかないと思ったからだが、
コメントをいただいた読者とやりとりしているうち、
その除染作業の手伝いならできることに気づいた。

除染にはマンパワーが必要なのだが、まず業者は嫌がり、ボランティアも集りにくい。

むしろ私のような立場の人間なら、自分で危険を判断できるし、防護対策でもできるので、臆せずにお手伝いできる。
ただ、マンパワーとしては、年相応の筋力と素人レベルの技能なので、屋根上の作業などは勘弁願いたい。
地面付近を一緒になって作業するレベル。
それでも、どこをどう除染したらいいかは、少しはアドバイスができそう。
ただし、個人ができる除染作業は、そうすごい効果は期待できないので、効果を保証するものではない。

幸い、夏休み中なので(9月4日まで)、日程に融通がきく(ただし、8/19-23の間は不可)。
もちろん対象は福島県で、空気中の線量が1μSv/hを上回っている地域。

当方の都合をいうと、車がないので福島まではJRで行く。
マスクやゴム手袋(+ガイガーカウンター・昼食)など個人装備は持参するが、デッキブラシやビニール袋などは必要とあれば用意してほしい。

希望者はまずはこのブログのコメント欄か、下記にメールしてほしい。
yamaneich@gmail.com

放射線関係の記事終了

2011年08月06日 | 東日本大震災関連
名古屋のテレビ局のテロップで、そして京都の大文字焼きの燃料の松の選定で、
岩手が放射能汚染地と思われていたことがわかった。
もともと西日本の人にとっては、東北地方は十把ひとからげで、岩手も宮城も福島も区別がつかないふしがある。
外国人が”福岡”産も危ないと思ってしまうようなものだ。

私は原発事故以来、ずっと具体的な放射線量にもとづいて議論する必要性を強調してきたが、
事故から5ヶ月になる今になっても、世間は放射能の”影”を見ただけでも恐怖におののく状態のまま。

なぜ、放射線(の人体への影響)の科学的知識を得られる新書レベルの本すら読もうとしないのか。
結局は他人事で、周囲と一緒になって怖がっていればそれで安心なのだ。
(線量計を買った人は、自分の生活圏の線量を測り続けてみてほしい。
我々はnSv/hレベルの放射線とともに生きていることがわかるから)

原発事故に関する放射線の問題については、書きたいことはほとんど書いた。
多くの人の助力で細かな線量マップはできたが、もうその段階は終わった。
μSv/hレベルの所で除染が進まない状態では、あらたに測定する意味がない。

なので、放射線関係の記事は終わりにする。

本当は、読者の皆さんと安堵の喜びを分かち合って終わりにしたかったのだが、
それはとうてい無理だということがわかった。

この数ヶ月間、ご愛読ありがとうございました。

わたし的な線量限度ライン

2011年07月24日 | 東日本大震災関連
放射線量について、私に寄せられる問合せの回答に、「大丈夫です」と「できるだけ線量を減らしましょう」を使い分けているが、その境界を明示しよう。
それは、1μSv/hのライン。

この値は、実際に障害が発生する1Sv/hの百万分の1、がんのリスクが高まる100mSv/hの十万分の1の値。
このラインの根拠は、疫学的な基準(前の記事のように、それは困難)ではない。

地上で人が生活している自然放射線量の最高値の単位時間当りの近似値である。
その場所とは、イランのラムサール(条約で有名)。
その放射線量は年間値で約10mSvである(その地域の最高値はもっと高いが)。
この値を単位時間に換算すると、1.14μSv/hになるので、切りのいいところで1μSv/hにしたわけ。

みなさんご存知の通り、政府が福島県に設定した被曝許容量の年間値は20mSv。
これは ICRP(国際放射線防護委員会)の基準にもとづいたそれなりに”論拠”あるものだが、
実際に長期的な被曝による影響が発生しないという”証拠”によるものではない。
これはもちろんラムサールの2倍の値で、わたし的には、人類が安全を経験していない未知の領域なので、全く大丈夫という太鼓判を押せない。
一方、年間10mSvは、われわれと同じ人類が実際に地上で浴びて問題なく生活している(数千年前から)最大値という点で、長期被曝や内部被曝を考慮した安全の上限といえる。
「安全値」とは、本当に安全を保証できる値であるべきだから。

この値を基準にすれば、関東はほとんどすべて安全圏(もちろん平常値より高い所は、さらに下った方がいい)。
だから関東、とりわけ南関東の人に対しては、前の記事のようなクールな対応をする。
ただし関東最大のホットスポットである那須・黒磯地域は数値的にボーダーラインなので、わたしの対応もジレンマ的(旅行先としてなら、ほぼ問題ない)。
そして福島市などはラインを越えているので、できるだけ早く・確実に除染した方がいいと、個人的には思う
(わたし基準のラインを越えているだけであって、”危険”というわけではない)。
政府は政府の基準値以下であることを理由に対応してくれないから、住民自ら対応しなくてはならないが。

放射線リスクの正しい認識へ

2011年07月23日 | 東日本大震災関連
さて、いよいよ放射線リスクについても、無根拠な世間知から、学的根拠のある認識へと改めたい
(ついでに前の記事:発がんリスクからみた放射線も参照してほしい)。
原発事故から4ヶ月もたっているのに、いまだ子供時代に得た世間知のまま、というのはあまりに当事者意識がない不勉強な態度だ。
前回紹介した地震情報とは異なり、こと放射線に関しては、
テレビや新聞レベルでほとんど毎日のように専門家による学的根拠が述べられているのだから、特別な手間はかからないはず。

ところが、学的情報は既存の世間知やそれに由来する自己の不安感情と”不協和”(心理学用語)なため、
それら情報を素直に受入れがたく、
むしろ不安感情と”協和”(心理学用語)する世間知的言説(実は政治的意図があったりする)にしがみつく。

人間というものは、不安解消という感情的快よりも、不安の正当化による”信念との合致”というより精神的な快を優先する傾向にある。
私自身、福島県でのμSv/hレベルの”異常値”を早急になんとかすべきと思っているが(ひたすら除染しかない!)、
nSvレベルの関東地域での不安反応には、まぁ気持ちもわかるし、風評被害の実害もないので、一緒になって計測値の高下に一喜一憂していた。

ところが、正常値域内の南関東で、放射線の危機意識で夫婦関係がおかしくなったり、はては妊娠中絶まで考える人が出たということを耳にして、
放射線の世間知による精神的・社会的被害が発生しはじめたと思い、態度を改めたわけ。

放射線はまずは発がんのリスク(発生確率)に関係する。
100mSv/h=100000μSv/hをあびると、発がんリスクが有意に増加する、すなわち統計学的にリスクは≠0(リスクにマイナスはないから>0)と結論できる。
これを”危険値”としよう
(実は同じ被曝量でも、いっぺんに浴びる急性被曝と長期間での累積的被曝とでは、影響が異なる。もちろん急性被曝の方が症状が重く、100mSvというのは”本来は”急性被曝の数値。ただし”安全”基準としてはあえて同一視される)。

いいかえると、それ未満では、発がんリスクは統計学的には確認できず、ただ「理論上は0でないはず」ということでグレーゾーンとなる。
たとえば1μSv/hすなわち、危険値の十万分の1の値は、発がんリスクはそれだけ0に近くなる(単純計算だとリスクも危険値の十万分の1)。
それはどういう意味となるか。
それはすなわち、通常の生活上の放射線以外のリスク要因との判別が不能となることを意味する。
より正確に言うと、他のいくつかの要因よりも低くなる、といえる。
他の要因とは、食品中の発がん物質(アルコールやカフェインのほか、たとえばキャベツなど日常食品の中にあるもので、発がんリスクを高める可能性よりも他の健康効果がずっと高い)や
空気中のさまざまな物質や通常の紫外線(これも広義には放射線の一種)、あるいは心理的ストレスなどだ。
ちなみに、タバコは放射線よりリスクが高いくらいなので最初から除外。
(発ガンという現象自体が確率的現象ということもあり、タバコ自体もガンのリスク(確率)要因であって、(必然的)”原因”ではない。
だからタバコをずっと吸い続けても、遺伝的にガン体質でないなど、他のリスク要因が低ければ、ガンにならないとことは無論ありうる)

ついでにいうと、低線量(100mSv/h未満)の放射線に対して生体には”適応応答”というメカニズムが発見されている。
また放射線によって(他の原因でも)損傷された遺伝子は修復され、またそうでないものは自死(アトポーシス)し、後々まで悪影響を及ぼさないメカニズムも発見された(そもそも遺伝子の損傷や複製ミスは外的要因がなくても一定確率で発生する)。
私が子供時代に、「われわれは放射線にまったく無力である」と教えられたのは、これらが発見される以前だった。

さらにそのメカニズムに注目して、低線量の放射線は生体の防御力を高め、かえって健康にいいという理論が生れた。
それが「ホルミシス効果」で、”放射線はちょっとでも怖い”という世間知とは真逆の方向であるが、
実は、日本のラドン・ラジウム温泉が一部の人(特にガン患者)に熱狂的に人気があるのも、このメカニズムがすでに経験知として知られていたためではないか(入浴者のほとんどはホルミシス効果の名さえ知らないと思うが)。
もちろん、この理論を支持する研究がたくさんあり、最近の放射線科学の書では無視しえないテーマとなっている。
たとえば、この立場の泰斗アメリカのラッキー博士の著『放射線ホルミシス II』(ソフトサイエンス社)は、ホルミシス効果を支持する実証研究ばかりを精力的に集めたもので、翻訳者も辟易するほど、ホルミシス効果を謳っている。

ただし、低線量の放射線が健康にいい/悪いということが、統計学的に真に確認されるには、そこらの実験室実験や住民健康調査レベルではダメで、それこそ、福島・関東レベルの人口を必要とする(われわれは人類にとって貴重なデータなのだ)。
つまり低線量放射線については、個別研究がどういう結果であろうと、その研究自体は立証する力をもっていない(偶然である可能性を否定できない)。
なのでホルミシス効果とは逆の低線量でも悪影響があったという研究も、被験者数が上の人口に達していないなら立証力がない(いずれも誤差である可能性を統計学的に捨てきれない)。

ただ、自信を持っていえるのは、影響が0でないことを統計学的に立証するのに膨大な人数が必要となるレベルの放射線量は、その影響はたとえあったとしても(その影響が生体にいいというホルミシス効果だとしても)限りなく0に近いということだ(統計学的には誤差の発生確率の問題)。
これらの(避難対象でない)地域の人がこうむる、確実に放射線が原因といえる健康被害は、放射線不安による精神症状によってもたらされる社会的損害(経済的被害を含む)や、最悪、健康に生れてくるはずの胎児の命を断つ人命的損害よりは、確実に少ない。

発がんリスクからみた放射線

2011年07月15日 | 東日本大震災関連
『放射線および環境化学物質による発がん』(佐渡・福島・甲斐編著。医療科学社 2005年)は、
発がんリスク(発生確率)からみた放射線の影響について、発がんのメカニズムの研究情報とともに詳しく論じられた本で、
放射線についての入門書を読み終えた人に推薦する
(内容は専門的なので、一章のリスクの話と最終章の総合討論の部分だけでもよい)。

この本が書かれた動機は、日々研究が進んでいる専門家の知見と一般の意識との乖離をなんとか埋めたいということ。
その乖離の例として書中に何度も登場するのが、がんの原因に対する医学上の学説と一般の認識との乖離。
医学上では、ガンの原因は、食事とタバコで60%を越え、それに次ぐのがウイルスと性生活。
ところが一般の意識では、食品添加物と農薬で60%を越え、タバコはウイルス感染程度の原因力で、その次に大気汚染が続く。
つまり、医学的には、ガンは日常生活の中に原因が見出されるとしているのに対し、
一般では”人工的”な汚染が原因とみなされる(放射線は非日常なのでリストに入っていない)。

放射線は医学的にはガンのリスク(発生確率)を高める要因の1つにすぎないが、一般では、放射線は”特別に恐い”ものとして別格扱いされている。
”放射線は特別に恐い”というイメージ(たとえば放射能→奇形)は、私自身、幼少期の「ゴジラ」(その元はアメリカ特撮映画「原子怪獣現わる」)からたたきつけられてきたが、まさにそれは疑似科学的フィクションであって、科学的な知によるものではない。
その非科学的な信念の呪縛から多少自由になるだけでもかなり時間がかかった。

実は、今回の原発事故による放射線量がどの程度発がんリスクを高めるかということは、放射線科学の立場の人からほとんど同じ内容で公表されているのだが(個人の信念ではなく、科学的データにもとづいているのだから同じなのは当然)、
一般人の信念(その信念の根拠は?)に相いれないため、ほとんど受入れられていない。

むしろ、放射線と健康の問題には実は”素人”にすぎない元原子力関係者周辺の”放射能恐い”的言説の方が喜んで受入れられる。

この本からふたたび具体例を示そう。
タバコ一日あたり1~9本を吸い続けるリスク(4.6)を、それと等しい原爆被害者の肺がんリスクにあてはめると、
その場合の被曝放射線量は3.4Sv(=3400mSv=一般公衆の年間被曝上限値の3400倍)になるという。
これはタバコがいかにリスクの高いものであるかを示すものなのだが、
一般の人は逆に、恐ろしい放射線がタバコ程度のリスクだと言われたと解釈し、反発して信じない。
一般の人は、放射線の発がんリスク(発生確率)を過大評価していると同時に、
タバコの発がんリスクを過小評価しているためだ。

那須・黒磯はもとより飯館村や浪江町にも平気で入っていった私でも、
近くにタバコを吸っている人がいたら、そこから急いで避難する。

くれぐれも、原発からの放射能を恐れていながらタバコは吸い続ける、という滑稽なマネはしないでほしい。