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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

福島第一原発の停電騒ぎ

2013年03月21日 | 東日本大震災関連
福島第一原発の停電事故が、仮設配電盤に侵入した1匹のネズミのせいであることがほぼわかった。
ネズミ一匹で恐ろしい”電源喪失”に陥ったわけだ。
震災によるメルトダウンの原因が電源喪失であることを思うと、
仮設とはいえ事故後2年もたって、いまだ電源系統にフェイルセーフ機能を設けていない、
危機に対する鈍感さが改めて露呈された。
あきれるというより、背筋が凍る。

私自身は、原理的反原発派ではなく、むしろ技術的に維持・発展を望む側である(ただし依存はしない)。
その私でも、東京電力だけは、原発を運営する資格を喪失していると思っている。

それは事故を起こしたから、というより、その後の対応の不誠実さ、
とりわけ事故調査委委員会に対する非協力的態度にみられるように、
事故に対する責任回避を模索して、真摯な反省が見られないことから、
今後も同じ失敗を繰りかえす可能性があると思っているからだが、
今回、その思いが強まったのはいうまでもない。

福島第一原発(の後始末)は、国が管理してほしい。
現場作業者の雇用対策なんか特に。
そもそも原発推進は、1電力会社の方針ではなく、国策だったのだから。
責任は運用担当者ではなく、それを指示した側がとってほしい。

3年目の3.11

2013年03月11日 | 東日本大震災関連
日常生活の中で過去を忘れ去っていくのは、
記憶の法則であり、避ける事ができない。
当事者でないなら、なおさらだ。
だが、解決していない問題ならば、まだ忘れるには早い。
東日本大震災がそうだ。
当事者でない者として、せめて年に1日(祥月命日)だけでも思い出したい。

被災者ではないが、わが人生で一番のショックな災害である東日本大震災(自身が震度5強を体験し)から3年目に入る今日、
仕事がないので、自分なりに追悼の一日とした。

まずは有楽町のスバル座で映画『遺体
(原作:石井光太、監督:君塚良一、主演:西田敏行)を観た。
岩手県釜石市の遺体安置所が舞台。
当時、東京にいた私にとっては、原発事故の方が自分に振りかかる問題となってしまい、
津波の惨事に思いを馳せる余裕がなかった。
震災の本来的な被害者である津波犠牲者とその家族、
そして安置所のスタッフが目の前の”死”と向き合う姿に多少でも触れる事ができた。
映画の中で、安置所では個々の遺体のことを「ご遺体」と呼ぶということを知った
(下に紹介する本でもインタビュー記事でその表現が堅持されていた)。

その足で書店に行き、震災のコーナーに向かい、
封印された震災死 その真相』(吉田典史著、世界文化社)を購入。
大川小学校の事例は別に一冊の本となっているが、
この書はそれ以外の話題にもなっていない犠牲者の死を検証するルポ。
この書のテーマは後日改めて記したい。

そして、郵便局に行き、日本赤十字社宛の東日本大震災の義援金を振込む。
被災地に旅をするのもいいが、その交通費を含めて送金した。

夕方になったので、昨年に続いて、
半蔵門の国立劇場での追悼式会場に献花に行く。
内閣府主催で、主催者側のスタッフらは皆喪服。
その人たちが礼をする中を抜け、静かな音楽が流れる会場に入り(上写真)、
普段着姿で舞台に上がり、献花用の花を受け取って
献花台の中央、慰霊の柱の下に献花し、合掌する。
ここも2万人(関連死を含めると2万人を超す)の犠牲者に心理的に直面する場だ。
大量の献花が犠牲者一人一人を表しているかのよう
(といっても2万という数はずらりと並んだ献花数よりはるかに多いだろう)。
形式的でなく、心から合掌していると、こみ上げてくるものがある。
合掌を終え、出口の脇で、舞台に向って写真を撮った。
このブログの読者にも見てほしいから。

WHO報告書における原発事故の心理的影響

2013年03月04日 | 東日本大震災関連
前の記事で扱ったWHOの報告書には、心理的影響についても言及されていた(p90-91)。
それによると、福島の事故の心理的な影響は、チェルノブイリ事故と同様に、他の健康への影響を上回る場合があるという。
なぜなら、目に見えない放射線に対する知識不足による恐怖だけでなく、2011年3月11日の過去ではなく、将来にわたる不安のためである。
しかも、放射線被曝に対する不安反応は、身体的健康リスクが懸念される地域を越えて、広域に拡がっている。
これらの不安が、慢性的なストレス反応を引き起し、不安障害や気分障害(うつ病)という精神疾患を引き起す。
また、被災地住民への社会的偏見が問題を悪化させる可能性がある。

以上のような言及を受けて、私なりにまとめてみる。
まずは、将来にわたる不安に対処するためには、正しいリスク評価の情報を得るべきである。
それがこの報告書だ(但し日本語版がなく、あってもかなり専門的なので一般向けの解説版が必要)。
そして、仮りに発がんリスク(発がんする確率)が増えたと評価されるなら、
その分のリスクを下げる行動を積極的にとるべきだ。
すなわち、禁煙、不必要なX線被曝の回避(たとえば胃検診は胃カメラにする)、
デトックス食品の摂取、さらには心身のストレス低減などに、今まで以上に努力する。

また社会的偏見にも対処しなくてはならない。
世界的に拡がっている無知や政治的意図による放射線被曝への過剰反応が、
被災地やその周辺住民の精神的ストレス(それ自体、発がんリスクを増加させる)と
彼らに対する社会的偏見を高めていることに危惧している。

そしてこの偏見は、自分を被害者側にも加害者側にも立たせる。
たとえば、ほんのわずか増えただけでも放射能は致命的に恐ろしいという思いをもつならば、
福島県内の中通りの人は浜通りを、会津の人は中通りを、
栃木県の人は福島県を、中部以西の人は関東以北を、外国の人は日本を忌避する。
実際、姉が教師をしているイタリアのマンガ学校の生徒が、日本(東京)に行こうとしたら、
親に反対されて来日できなかった。

今回の原発事故が、いったいどの地域の人にどのような健康リスクを高めるのか、
現時点で最も信頼できる情報をできるだけ多くの人に共有してもらうことが重要である。

WHO福島原発事故健康リスク評価:具体的数値

2013年03月02日 | 東日本大震災関連
WHOの報告書の本文を読んでいる(前の記事からの続き)。
原発の可否に対して中立的な放射線医学の見地から、国際的な叡知を集めて、時間をきちんとかけて調査した、もっとも信頼できる情報だと思う。
とりあえず、具体的な発がんリスクの推定値の部分(p8の「Findings」部分)を紹介する。

基本的に、確定的影響(健康被害)に達する値ではないが、
線量の高い地域において、確率的影響(健康リスクの増加)が予想された。

影響が予想される部分は以下であった。
最も線量の高かった第一グループの浪江町において、以下のように生涯発がんリスクの上昇の上限値が推定される(”上限値”を示すのは、リスクをあえて多めに見積もるためである)。

白血病:乳児期(1歳)に被曝した男性において、ベースラインのガンの発生率から最大7%程度まで増加。
乳ガン:乳児期に被曝した女性で、ベースラインから最大6%程度まで増加。
すべての固形ガン:乳児期に被曝した女性では、ベースライン·レートから最大約4%まで増加。
甲状腺ガン:乳児期に被曝した女性で、ベースラインレートから最大約70%まで増加。
ただし、甲状腺ガンのベースラインの生涯発生リスクは0.75%であるから、上の該当者の生涯発生リスクは最大で1.5%ということである。
(私注:たとえば固形ガンのベースラインの発生率が仮に1.00%だとすると、上の該当者の発生率は,1%に4/100増加するから最大1.04%となる)

胎児では流産・発育不良などの影響を受ける被曝量ではない(私注:これはもう結果が出ているはず)。
またより児童(10歳)や成人(20歳)も上より低くなる。
同じグループ1の飯館村では、上の数字の1/2である。
さらに第二グループの(2-1)葛尾村・南相馬市、(2-2)川俣町では1/3の値となる。
ちなみにこの第二グループに入るのは、
2-1に楢葉町・川内村・伊達市・福島市・二本松市。
2-1よりやや被曝線量が低い2-2に広野町・郡山市・田村市・相馬市。
第三グループになる福島県内の他の地域、他県、
および第四グループの他国ではリスクの増加は0とみなせる。

放射性ヨウ素のかなりの量を吸い込ん作業員は、非癌性の甲状腺疾患を発症することがある。

以上、
放射線医学の知識がある人なら、「まぁ、そうだろうね」という感想となるはず。

WHOによる福島原発事故による発がんリスク推定:ネット翻訳

2013年03月01日 | 東日本大震災関連
世界保健機関(WHO)から、福島原発事故での周辺地域の発がんリスクの推定値が公表された。
こちらから170ページを越える全文(英文)を入手できる。
ただ、医学の専門用語に満ちているので私を含めた素人には敷居が高い。
国際機関でしかも執筆陣に日本人がいるんだから、当事者国である日本語版も発表してほしいものだ。
とりあえず、結論の要約部分の一番肝心な所(p92-93)を、Googleの自動翻訳文で紹介する(表現はかなりめちゃくちゃだが、言わんとしている事を読み取ってほしい)。

「本結果は、福島第一原子力発電所事故による追加の放射線被ばくに起因するヒトの疾患の発生率の増加が検出可能なレベルを下回っている可能性が高いことを示唆している。
がんリスクの予測大きさは、白血病、甲状腺がん、女性の乳がんと結合されたすべての固形がんについて評価した。
リスクは、生命を時間をかけて、事故後15年間で計算した。
生涯帰属するリスクは(LAR)の定量だけ福島県の中で最も影響を受ける部分で推定された。
日本および世界中の他のすべての場所については、放射線関連がんリスクは、ベースラインの癌リスクの通常の変動よりもはるかに低いと推定された。
結果は、乳児期(男性では白血病、女性では固形がん)で被曝されたものの中で最大の付加的な癌のリスクを示している。
放射性ヨウ素への暴露を考えると、
緊急事態の初期段階で、甲状腺癌の生涯寄与リスクは、具体的に評価した。
結果は、福島県の中で最も影響を受ける地域で乳幼児で被曝した女子の間で、過剰絶対的リスクは小さいものの、最大のリスクを示す
なぜなら、甲状腺がんの低いベースラインのリスク、
それは約70%(上限として)までの生涯リスクが比較的高い相対的な増加を示している。
リスクは乳幼児に被爆した人のために、事故後最初の15年間で計算されるときに小児甲状腺癌の高い相対リスクは、より明白となり
 人生の早い段階で、ベースラインの甲状腺がんのリスクは非常に低いからである。」

この中で「最も影響を受ける地域」がどこか気になる。
本文でGroup1とされている「浪江町・飯舘村」のようだ。
私も、これらの地域の人が気になっている。
なにしろ線量の高い地域に誘導させられてしまった浪江町の人、
当日、外で雪合戦をしていた飯舘村の子どもたちは
”住民”の中で最も被曝量が多いから。

上の地域で、2011年に乳児だった子は、今後長い時間、経過観察が必要だ。

福島・関東の人は結婚できない?

2012年08月31日 | 東日本大震災関連

久々に福島原発事故関連。
池谷泰文なる人の、原発事故の重大さを住民の健康障害に無責任にも置き換えた暴言が問題になっている。
これは昭和20年の原爆投下の悲惨さを、広島・長崎出身者に対する偏見・差別に置き換えてしまったかつての社会現象とまったく同じ。
たとえば原爆から20年後の映画「若者たち」にもその場面がある。
幼い時に被ばくした(広島にいた)若者が結婚年齢に達した時に、
結婚問題で差別を受けるのだ。
これが「○○県の人とは結婚しない方がいい」という感覚。
しかも今回はその範囲を200km以上離れた南関東の都県にまで拡げている。

原爆と原発事故の両方を経験した日本人だからこそ、
このような言説に動揺しない知性を維持したい。
われわれは放射線の問題について、無知はもとより生半可ではすまされない。

放射線被曝者のさまざまな障害発生率は、実際にこれら原爆被爆者の調査から客観的データが出ており、それが医学的基準になっている。
本当に気になる人は、このあたりの情報にあたってほしい
(さらに、最近なされた高線量地帯の住民たちの疫学調査についても)。

このような基本的な値(線量)すら無視しての発言は、当然医学的ではなく、
むしろ政治的意図によるものであろう(”政策塾”での発言だし)。
すなわち原発の是非の論拠として、”問題”を捏造するのである。

私が政治的すぎる社会運動(正義感から出ているのだが)に与しないのは、
目的のためならホラ話も平気でつく不誠実さがはびこっているためだ。
つまり正義を謳っているとはいえ、人間として信頼できない。

そもそも放射線と健康との科学的な知見は、このブログでも幾度も記しているが、
”放射線医学”での実証データ以外に存在しない。
この問題については、どんなに原発に詳しい核物理学者といえども、
一次データをもたない素人なのだ。

なので信頼できるデータ(信頼できない”臨床”データもたくさんある)に基づいて書かれた放射線医学者による一般書を読んだ人は、次には、放射線医学の最新の成果にもとづく専門書をおすすめする。
専門書を読む最大の効果は、学的に無根拠な”思い込み”から自由になれる点にある。
ただ、研究世界は、情報量が増えるほど”不確かさ”も増えるというパラドックスが存在することを覚悟で。

放射線医学者でない私が、ある程度の自信をもって発言しているのも、
原発事故以降はもちろん、事故前から放射線量を測定し続けてきたほかに、
文献をそれなりに読んできたことによる。

そんな私でも心配しているのは、今現在、毎日現場に足を運んでいる原発作業員たちだ。
被ばく線量を管理されているとはいえ、それでは仕事に支障をきたすので、あえて被ばく線量をごまかした事実があった。
作業は今後もずっと続くし、より線量の高い空間がまだ手つかず。
彼らの被ばく積算量は限界まで達する(達している)。

それから、原発北西部の高線量帯にあえて”避難”させられた浪江町の人や
高線量下で二ヶ月ほったらかしにされた飯舘村南部の人
(とりわけ、屋内退避すべきなのに何も知らずに雪合戦した子供たち)。
これらの人たちの健康チェックも継続してほしい。


ここ最近、原発関連で唖然

2012年07月22日 | 東日本大震災関連
福島原発事故の放射線測定で”ネット・デビュー”したような私が、
今さら、原発問題に言及するにはおよばないのだが、
将来の原発比率の意見聴取会における電力会社側の発言、とりわけ名古屋での中部電力関係者の、
「原発事故で死者は出ていない」という暴言に唖然としていたら
(危険箇所に立ち入らないから無事なのであって…それに長距離避難中の入院患者から十名以上の死者が出た)、
こんどは、福一での作業員の線量計がアラームを出さないよう細工させられていたとは(これは下請け会社の問題)…
ホント、開いた口が塞がらなかった。

私は、原発政策については、サイレント・マジョリティと同意見の”脱原発依存”であり、
日本の核技術を否定するのが目的の反原発イデオロギーにくみすることはないが、

いまだ”安全神話”から抜け出せない人たちに原発をまかせるわけいはいかない、という思いは強くなる一方だ。

やらかしてしまった失敗に真摯に反省するという、根本的な態度変容をせずに、
むしろ、できるなら”無かったことにしたい”という一番安易な心的防衛反応に頼るのは、
少なくともその道のプロ(職業人)がすることではない。
これはいじめ問題における学校・教育関係者も同じ。

言ってはなんだが、私はこのブログに「失敗トラブル」というカテゴリーを設けて、
自分がとんでもない失敗をやらかすたびに、恥を忍んでこの場に公表し、
その原因の分析と対策について考察する(できたら読者のみなさんのアドバイスも受けたい)。
それは、その失敗を二度と繰り返さないための、自分自身のための情報公開なのだ
(今まで私がどんな”失敗”をやらかしてきたかは、カテゴリーを「失敗トラブル」にして検索すれば一目瞭然)。

国会事故調報告書

2012年07月15日 | 東日本大震災関連

国会事故調の報告書を読んでいた。
先にまとめられた民間事故調と異なり、ネットで全文をダウンロードできる(細かい部分が不要な人は、要約版、ダイジェスト版で充分)。
委員長が自賛するように、詳細な調査および検討考察結果になった労作であり、
事故の全貌を知ることができる。

ただ、その詳細な事故およびその対策の過程と論評を読んでいて、空しさを禁じえなかった。
まずは、事態の情報は精細化されたが、既知の情報の大枠を変更する重要で新たな情報は少なかったので、
読んだ量の割りに得る情報量が少ないため(もちろん、いくつかの不確かな問題は検証されていた)。

そして何よりも、事故が起きてから、16ヶ月後に読むことの空しさ。
すべては後の祭りなのだ。
すでに、放射線を被曝し、故郷を失い、除染が手遅れとなり、大飯原発が再稼働され、
何事も無かったかのように、”再出発”している。
この報告書は、まずは今後の原発政策に活かされることを期して出されたのだが、
その目的が達せられる雰囲気が、”国会”において感じられない。

今回の被害は、事故が想定外だったからではなく、
わが国に危機管理能力が無かったからというのがよくわかる。

その根本は、危急の事態に対応する、臨機応変な対応力の欠如であり、
その原因は、”無用の混乱”を異常なまでに恐れる、お役所的秩序志向。
そこにあるのは、「パニック神話」という根拠の無い誤った人間観の思い込み。
その結果、正しい情報を迅速に公開せず、定常的な手続きの整合性に執着し、
自己の責任回避を最優先する。
パニックを恐れて、正しい情報を秘匿することが、実は人々を疑心暗鬼にさせ、
パニックを誘発するのだ。

時間がある人は、東京電力がひと足先にまとめた社内事故調の最終報告書も
ネットでダウンロードできるので、読んで、いや一瞥してみたらどうだろう。
量こそ膨大だが、自己弁護だらけで、読むには値しないが、
これが、まさに国会事故調が指弾した当事者の姿なのだ…空しい。
大津のいじめ自殺事件に対する対応もまた同じ…。


放射性物質の実際の拡散ルート

2012年05月18日 | 東日本大震災関連
昨年3月の福島原発事故による放射性物質の拡散の検証報告が、
日本気象学会の雑誌「天気」59巻4号に掲載されていた
(2011年秋季大会スペシャルセッションでの「放射性物質輸送モデルの現状と課題」)。

事故の後、当時発表されていた外国によるシミュレーションや線量の地上分布を参考に、
私が推定した拡散ルートをこのブログに書いていたが、
実際はそれとは異なっていたようなので、今さらではあるが、
多数の報告者の結果をかいつまんで、ここに紹介する。

陸上で大気中の空間放射線量が急増した時期は次の4回だった。
1) 3/12-13:南寄りの風で宮城県東部を南から北へ通過(降水なし)。
2)3/14午前中:北寄りの風で、いわきと北茨城に達した(降水なし)
3)3/15-16:15日朝に2号機からの大規模放出。福島、北関東、長野、新潟南部に主に拡散(降水あり)。
4)3/20-23:南関東、山梨、静岡、山形、宮城北部、岩手南部に主に拡散(降水あり)。これは15日以降に大気中に浮遊していた放射性物質が広範囲の降水によって地上に沈着したものである。

特に3月15日の大規模放出では、放射性物質は北関東から福島中通りに輸送された。
その時中通りでは霧雨だったため、地面に沈着し、それによりその後は阿武隈地域よりも高い値となった。
そして午後になり再び大規模放出が起きたが、その時は風向が変わっていて、北西(浪江・飯館)方面に輸送され、前線通過による降水(雪)により高い沈着量となった。
以上報告より。

私が当初推定した拡散ルートは、15日の午前中は北寄りの風によって関東へ輸送され、
午後は北西風によって、浪江・飯館へ輸送され、そこから中通りに南下したとしていたが、
実際は上の通りであった。

放射性物質の拡散と沈着は、このように風向と天気(降水)に大きく左右された。
もし15日の午前中のままの風向だったら、人口の多い中通りと関東全域の汚染がさらに高まっていたはずで、そうならなかったことはこれらの地域には救いとなった。
だがその一方で、午後の新たな放出が浪江と飯館を住めなくしたした現実も心苦しい。

それにしても、15日に放射性物質を大量放出した2号機がどうなったのかは(水素爆発はしていないらしい)、いまだに不明のままなのが気になる。
なにしろ、今でも線量が高くて近づけないから。

安全基準を超えたら危険か

2012年04月07日 | 東日本大震災関連
この4月、食品についての放射線の安全基準が、”暫定”を外れた正規のものになり、
値として1/10に下がった。
原発の安全基準ははななだ疑問が多いが、
こちらは歓迎すべき内容だ。
一般論として、毒物の含有許容量は0に近いほどいいに決まっている。

なのに基準値が0にならないのは、自然に含まれるものを排除できないからだ。
つまり原発事故由来のセシウムは排除すべきであるが、
カリウムなど食品そのものに入っているものは排除できないし
(温泉成分からラドンガスを排除できないのと同じ)、
カリウムは我々の体内に入っていて問題ないのだから、強迫的に0にする必要性がない。

では、安全基準を超えたらそれは危険なのか。
日常論理の世界では、好きでない=嫌いを意味するように、そう解釈するのが素朴で自然。
つまり、命題Aの裏命題(Aでない)は、Aの対立概念Bを意味する。
私は、日常でのこの論理運用を「裏命題有効の原理」と言っているのだが、
これは論理学的には正しくないのだ。

論理学の世界では、原命題が真の時、真であるのは対偶命題だけであり、裏命題は偽となる
(命題は本当は「pならばqである」という形をとる。なので裏命題は「pでないならqでない」)。
なので論理が厳密な科学の世界でも、
「Aでない」という命題はAでないという状態以上のことを示さず、
その反対側の「Bである」ことまで当必然的に示すものではない。
言い換えれば、「Aでない」ことが対立概念「Bである」ことと等しくなるには、
論議世界が2値に限定されるなどの前提条件が必要であり、
日常世界ではその前提条件が暗黙化されているのだ。

安全基準について具体的に示そう。
公的機関(国際機関や国など)が定める安全基準には、共通の方法がある。
それは、まずは異常が認められうる最小値の1/10にするというものである。
これは最低の基準で、さらに厳しくなる場合がある。
つまり、安全基準の値を超えて、さらにその10倍に達した時が現実の”危険域”なのだ。
だから、こう言える。
安全基準を少々超えた事態に遭遇したとしても、”ただちに”危険というものではない。

この表現、多用されて有名になったが。
この表現も日常論理ではなく、厳密な論理で理解すべきだ。
日常論理の発想では、”ただちに”を過ぎたら危険が発生することを含意するが、
科学的論理では、”ただちに”以降は安全を”保証”するものではないという意味で、
危険であることを意味するのではない。

だから、当初はむしろ、業者から基準の値を上げてくれという要請があった。
確かに10倍まで上げなければ、実際に危険ではない(はず)。
でも安全基準というものは、上に示したように、ここから先が危険という”危険基準”ではないし、
そうあるべきではない
(安全基準を”危険基準”のことと誤解している人があちこちにいるわけだ)。

つまり、実際の危険域までのバッファ(余裕)が必要なのだ。
安全運転とは、交通事故に”ならないですむ”レベルの危なっかしい運転のことでないのと同じ。
あくまでも安全を保証する基準なのだ。

放射線でいえば、”しきい値なし直線仮説”は科学的に立証されてはなく、
データでは否定的なものが多いのだが、
安全基準としてはより厳しい立場になるので、
ホルミシス派の私も採用に納得している。
安全基準とはそうあるべきだから。

だからこそ、原発の安全基準も、安全を保証できるレベルでなくてはならない。
現状では食品と原発の安全基準はダブルスタンダードだ。

民間事故調の報告書を読んで

2012年03月21日 | 東日本大震災関連
日本で原発を再稼働するなら、その”最低条件”は、
まず福島原発の事故を総括して、その反省に基づいた(安全神話から脱皮した)施設と管理運用体制の改革を実行してから、
というのが常識”だろう。
それを待っていては今年の夏が乗り切れないという意見もあるが、
こんなこと消費税論議の前に早急にやっておくべきことでしょう。
だが現状は、国の事故調査報告書がまだ出ていない段階。

以前の記事で予告していたように、一足先に公開された民間事故調の報告書
『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』(一般財団法人 日本再建イニシアティブ)を読んだ。
はっきり言って読みやすさと視点の幅広さでは、前に紹介した『FUKUSHIMAレポート』の方に軍配が上がる。

こちらの本は、原発事故そのものの経緯や被害より、管理体制の問題点に重点が置かれている。
あと、取材拒否をした東電を除く関係者からのインタビューが生々しい。
その部分を読んで感じたのは、
当時の菅首相の暴走的な言動を引き起したのは、
東電経営陣・保安院・安全委員会のヘタレっぷりにあったということ。
これらが実質的に機能停止状態だったから、国のトップと現場が独自に動かざるをえなかった。

あと、当時政府内で想定された”最悪の事態”が具体的に紹介されている。
その事態とは、連鎖的な爆発が起きて、今回は無事であった4号機の使用済み燃料までが破損して、
大量の放射性物質が飛散するという状態。
その結果、170km以内は強制移転(地表1480000Bq/m2)となり、250km以内は任意移転(555000Bq/m2)となる。
すなわち、東京が今の福島市・郡山市のある”中通り”並の状況になり、福島県は無人となる
(戻れるのは何年先かわからない)。

実は、昨年の今ごろ、私はかたずを呑んでこの最悪の事態になる確率が減ることを祈っていた。
今はなんとか安定しているが、もう一度大地震がくれば、骨組みだけになっている4号機の建屋が崩壊する可能性がある。

福島原発以外の原発だって、今のヘタレ体制ではおおいに危険だ。
消費税をいくらにしても追いつかない損害の方を、まずは予防しておくべきなんじゃないの。

被災地に直行の義援金

2012年03月15日 | 東日本大震災関連
大震災から一年を過ぎたのに、ちっとも復興が進んでいない。
政府を批判するだけ(しかも地元への瓦礫搬入は拒否)では、他人事扱いだ。
各人ができる範囲で、復興への協力をしたい。

なので、気持ちを新たに、義援金を送った。
そんなこと一々記事にする事ではないが、具体的な方法などを記すことで、
読者のみなさんの参考になることを期待したい。

まず送り先だが、
「赤十字」宛だと、東日本全体へ”公平に”分配するのに非常に時間がかかってしまう。
それに懲りて、今回も郵便局経由で、被災地の自治体宛に送ることにした。

自治体といっても、県から市町村まで指定することが可能だが、
個人的に縁のある市町村は無いので、
県単位(岩手、宮城、福島、茨城、千葉)にした。
前回は東北三県だけだったが、今回は、マスコミではほとんど扱われていないが
やはり津波被害にあってそのままの茨城や千葉にも送った。

ちなみに、5万円までなら、寄付金控除となって、
納税の対象となる金額から差し引かれる(確定申告をする)。
それとこれらの地域への振込は手数料が免除される。

さて、問題なのは、郵便局に行っても、
以前は置いてあった被災地への振込用紙がおかれていないことだ。
掲示物もない。
なので、義援金の受付は終わったのかと思って、
一度はそのまま帰ってしまった。
でもネットで調べると、今月30日まではやっていることを確認
ゆうちょ銀行のサイト(他の災害被災地に対しても受付中)。

窓口で口頭で問い合わせると、やっと中から専用の振込用紙を渡してくれる。
これがわかりにくい。
期間中のものは掲示をしてほしい。

用紙に自分の住所・氏名などを記入して現金とともに窓口に出す。
返される受領証は確定申告の時、添付するのできちんと保管しておこう。

追悼の日

2012年03月11日 | 東日本大震災関連
今日3月11日は、自分にとっても東日本大震災一周年の追悼の日にしたかった。
それは犠牲者を悼むだけではなく、自分自身もう一度あの日に立ち返って、
被災地とのかかわりを再出発したかったため。

なぜなら、丸一年経っているのに、ちっとも復興が進んでいないから。
こんなはずではなかった。
今のままではダメだ。

昼までは、除染テープを使って、下の記事を書いていた。
そして午後2時46分。
もう一度あの日のあの時に立ち返るため、
一年前と同じ場所である近所のレンタルビデオ店に入った。
一年前は、店内のDVDが廊下に散乱したっけ。

きちんと追悼を執り行ないたかったので、
国の追悼式典が行なわれた国立劇場に献花にいった(花は持参不要)。

主催者側の人たちは皆喪服で、黙って我々一般の献花者に礼をする。
壇上に上がって献花用の花を受け取り、国旗の下の犠牲者の標柱にむかって合掌する。
当り前だが、ここまで来て合掌する人は、私も含めてそれなりの時間、真剣に合掌し続ける。
2万人にならんとする死者・不明者を思うと、胸がいっぱいになる。
合掌を終え、退室時に上の写真を撮らせてもらった。

除染テープを使ってみた

2012年03月11日 | 東日本大震災関連
福島県いわき市にある古藤工業が開発した「除染テープ」を使ってみた。
これはガムテープのようなもので、面に貼り付けてすぐにはがすと、
面に着いた放射性物質を取り除くというもの。
絶大な効果は謳っていないが、他の除染法の補助として使えそうだ。
値段も安く、ネットで840円で購入できる。

東京宅の雨どいの下が1.7μSv/h(α線・β線含む地上1cmの値。以下同)あったので、まずそこで使いたい。
しばらく雨天が続いたので、決行したのはくしくも3.11。

まず4ヶ月半ぶりに作業前に測定すると1.6μSv/h
(おやおや、ちょっと下がったのか?)。
そしてコンクリの上に貼り付けて、さらに丁寧に上から手で押して密着させる。
そしてゆっくりはがし(乱暴にはがすと放射性物質が飛び散る)、
それを手にくっつかないよう注意して、ビニールのゴミ袋に入れる
(ビニール手袋でやったが接着面にくっつくと簡単に破れてしまう。
同封の使用例にあるように、軍手の方がよさそうだ)。

使用後を測定すると1.4μSv/h(何度も計りなおしたので測定誤差ではない)。
確かに少し下がった。
ただそれほどでないのは、わが家のコンクリ面に小石が混じっていて凹凸があり、
きちんと密着できないためでもある。
凹凸がある面は真っ平らな面よりも効果が劣るのは致し方ない。
その後、3回同じ場所で使用したが、それ以上は下がらなかった。

結論として、使わないよりは使ったほうがいいのは確かだ。
なにしろ自宅のホースとデッキブラシでの高圧洗浄も、ゼオライトの粉末もまったく効果なかったが、
除染テープは明らかに効果があったのだから。
ちなみに使用後のテープはビニール袋に丸めて一般ゴミに出せる。

今後の開発を期待したいのは、
ゲル状のものにしてもらって、数時間で固まって簡単にはがせるもの。
これなら多少の凹凸があっても効果が期待できる。

書評:『FUKUSHIMAレポート:原発事故の本質』

2012年03月10日 | 東日本大震災関連

原発をどうするか。
原発事故が実質的にはちっとも収束していないのに、なにやら”再稼働”の動きが出始めている。
どうやら、われわれ国民一人一人が原発の是非についてきちんとした態度をとる必要に迫られている。
ならば、今回の原発事故をきちんと理解し、更には原発というモノにかかわる諸問題をきちんと理解しておきたい。

特定の問題だけを特定の視点から論じる本が多い中、私が読んだ中でイチ押しなのは、
『FUKUSHIMAレポート:原発事故の本質』(日経BP社 900円+税)

著者となるFUKUSHIMAプロジェクト委員会は、同志社大学を中心とする学者グループで、
あくまで第三者の立場で論じるために、活動資金を寄付で募り、
出版後も印税を受け取らず、活動費と寄付に充てられるという。
500ページに達する量だが、字が大きめなので、読みやすくページもどんどんすすむ。
なにより、値段が(儲けを求めないため)良心的なのがうれしい。

本書を勧める1番の理由は、原発問題を包括的、
すなわち技術的、政治的、経済的、社会的(文化的、集団心理的)に客観的データを元に論じている点にある。
なのでまずは本書で原発問題の概観を理解できる。
言い換えると、原発というシロモノはどれか単一の視点だけで判断できる問題ではないのだ。

本書を評価する第2の点は、副題に謳っているように、”原発の本質”をずばり指摘している点。
一種のタブーに触れる問題なので、マスコミを含め他書(とりわけ技術系)ではなかなか触れられていない。
原発の本質は政治的価値にある(あった)。
だから原発は国策だった。
それは経済的価値ではない。
原発が低コストだというのは詭弁であることが本書でも曝露されている。

それは、「核開発能力の保持」と「エネルギーの自給」である。
すなわち原発は安全保障のため。
ならば原発の是非の判断は、まずは安全保障の観点が必要となる。

タブーに触れる前者は、潜在的核武装能力を保持することで、
核武装に匹敵する抑止力をもつことである。
原発技術と核兵器開発とが密接なのは、今騒がれているイランと北朝鮮での問題をみれば分かる。
日本の安全保障そのものに反対する左翼が、反核・憲法9条と抱き合わせで反原発なのもこの理由。
ただし、核保有国となるためのプルトニウムはすでに充分な量を蓄積しているので、
今後も(危険な)原発を稼働させる必要はないという。

エネルギーの自給の問題はどうか。
まず基本的に、日本は人口減少フェーズがしばらくつづくので、
エネルギーの受給問題は今後は深刻でなくなるという(これはちょっと楽観的かな)。
すなわち需要的にも原発をこれ以上作る必要がないわけだ。

ただし、国際的には、開発途上国で原発ブームになる。
脱原発を進める日本は、ビジネスチャンスを失うことにはなる。

ちなみにエネルギー問題に関して、CO2削減の問題についても、
”温暖化”には罪だけでなく功の部分もあること述べ、削減にあくせくする必要はないと述べている
(これも一種のタブーになっている)。
私も同感で、地球規模では功の方が大きいとさえ思っている
(人口爆発している現状では、寒冷化の方がはるかに恐ろしい)。

さらにこの本が警告している事がある。
まず本書第1章で検証しているのは、地震と津波に襲われた後、適切な対応をしていれば、
東日本に放射能をまき散らした爆発事故は防げたということ。
それに対し東電は、津波直後、
早々にメルトダウンが起きたという事に”事実”を書き換えようとする動きが昨年の5月に始まったという。
その目的は、上の事実を隠ぺいするためらしい。
東電が自ら主張してきた原発の”安全神話”を捨ててまで守りたいのは、
自分たちへの責任追及の矛先なのだという。

個人的に興味深く読んだのは5章の原発事故の風評被害の話。
国内ではなく、海外でのそれを扱っている。
海外メディアは、直接取材する人間が脱出していなくなったので、
いいかげんな情報をもとに記事を書いたことを検証している。
たとえばアメリカの一流メディアほど危険を煽る記事を載せていた。

それで思い出すのは、日本のマスコミが信用できなかったネットユーザーたちが、
海外メディアの情報を信用して、実は日本がたいへんなことになっていると大騒ぎしていた事。
計測主義者の私は、東京での実測線量を知っている当時は数少ない人間として、
むしろ”火消し”を担当していた(内心では放射能汚染の”可能性”に怯えていたのだが)。

ただ本書に足りないと部分も感じる。
たとえば事故後の政府の対応への論評がほとんどない。
東電に対する批判はあっても、政府や官僚機関の対応の部分が少ない。
12日に発売されるという民間事故調の報告書を併せて読みたい。