博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『隋唐演義』その4

2013年03月11日 | 中国古典小説ドラマ
『隋唐演義』第20~25話まで見ました。

煬帝は忠孝王伍建章を処刑し、その息子で南陽関の守将伍雲召の討伐を羅芸と麻叔謀に命じますが、伍父子と旧知の間柄の羅芸・羅成父子はわざと進軍を遅らせたりして消極的サボタージュを決め込みます。その意図を察知した宇文化及は息子の成都を援軍として派遣し、何としても伍雲召を討ち取らせようとしますが、伍雲召を恩人と慕う領民の朱燦や羅父子の尽力により、伍雲召は南陽関より脱出することに成功。

しかしその代償として、朱燦は母や近隣の村人を官軍によって虐殺されてしまうことに…… 怒り狂った朱燦は伍雲召の従兄で「山大王」(山賊の頭目)となっていた伍天錫の配下となり、南陽関を攻め落として南陽王を自称。これが隋末唐初の大乱のはじまりでありました!何だか「山賊王にオレはなる!」みたいな展開になってきましたがw

その頃、靠山王楊林の皇綱を強奪した程咬金と尤俊達ですが、程咬金が潜伏生活に飽きてしまって外を出歩いたり、近隣の住民に奪い取った銀をばらまいたりしたおかげで、官憲にすっかり足が付いてしまいます。皇綱強奪事件の捜査を任された秦瓊は尤俊達が怪しいと当たりを付けますが、尤俊達は程咬金の母が亡くなったことにして葬儀を開き、追及の手をやりすごす「哭喪計」(そんな計略があるんですねw)を敢行。しかし結局計略を見破った秦瓊によって2人ともお縄に。

しかしここで程咬金が秦瓊の幼馴染みの「阿醜」(彼の幼名)であったことが判明。程咬金の父の程有徳は秦瓊の父の北斉の大将軍秦彝の副官で、秦彝と程有徳が隋との戦いで戦死して北斉が滅亡するまでは家族ぐるみのつき合いをしていたのでした。秦瓊は程咬金らを庇い立てするために、自らが皇綱強奪の犯人であると靠山王のもとに名乗り出ますが、事情を知る玉郡主の取りなしもあり、逆にその武勇が見込まれて靠山王の義子として迎えられ、「十三太保」の一員として靠山王に仕えることになります。

ここで玉郡主が実は靠山王の娘であったことを秦瓊に告白。2人は恋仲となり、それを察した靠山王は2人を結婚させることにしますが、婚礼の場で靠山王が秦瓊の父秦彝を討ち取ったことが発覚。すなわち靠山王は秦瓊の父の仇であったわけですね。それで婚礼は一体どうなる!?というところで次回に続きます。ここでなぜか宇文成都がこっそり婚礼の様子を見ていて涙ながらに立ち去る場面が泣けます(^^;)
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