博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『大正天皇』

2007年07月03日 | 日本史書籍
原武史『大正天皇』(朝日選書、2000年11月)

ドナルド・キーン『明治天皇』に引き続き、大正天皇の評伝も読んでみることにしました。

大正天皇と言えば何となく幼少の頃から崩御されるまで病弱というイメージがありますが、本書によると満20歳で結婚した頃から健康を回復し、日本各地や当時保護国であった韓国などへの巡啓を精力的にこなしたとのこと。本書はこの皇太子時代の巡啓の様子を中心に扱っています。大正天皇は敢えて予定外の場所を訪問して人々の本当の暮らしぶりを見ようとしたり、案内役の各県の知事に込み入った質問をして困らせたりと、相当におちゃめな性格であったようです(^^;)

また、日本に留学してきた韓国皇太子の李垠をかわいがり、彼と会話するために韓国語を学んだといったエピソードも紹介されています。

しかし天皇として即位した頃から再び病気がちになっていきます。どうも天皇になってから生活が窮屈となり、また父の明治天皇のように自らの意思を押し殺して人々に一方的に萌えられる存在になることを求められるようになったのが、かなりの精神的な負担になったようです…… この即位後に起こったとされるのが有名な遠眼鏡事件ですが、これを大正2年の話とする人もおれば大正9年の出来事とする人もおり、事件が起こった時期すら確定されないということで、本書では事実であるかどうか怪しいという立場を採っています。

そして病状が進んで言語が不明瞭になると、ほとんど押し込められるような形で天皇としての権限を奪われ、明治天皇を理想の君主とする教育を受けてきた裕仁皇太子が摂政に就任することになります。ただ、これに対しても大正天皇は精一杯の抵抗の姿勢を示したとのことです。

大正天皇が崩御すると、国民の間で彼が健康であった頃の記憶が薄れ、天皇が生涯病弱で精神薄弱であったというイメージが広まっていき、それとともに大正という時代そのものが印象の薄いものになっていったと結論づけています。

彼が天皇家ではなく分家筋の宮家か華族の家にでも産まれていれば、気さくでモダンな貴公子として平穏に生涯を終えることができたのかもしれません。あるいは現代の皇室に産まれていればどんな存在になったのでしょうか。現代の皇室と言えぱ、本書を読んで大正天皇と現在の皇太子妃がオーバーラップするように感じたのは私だけでしょうか……
コメント (2)
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