博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ朝の大地』

2007年04月28日 | 世界史書籍
先々週あたりにひいた風邪がようやく治ってきたなあと油断していましたら、しばらく前から風邪がぶり返してきました(-_-;) やっぱり喉が痛いです……

土肥恒之『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ朝の大地』(講談社、2007年3月)

「ヨーロッパとアシアの狭間としてのロシア」を強調していたので、モンゴル統治時代の話に期待していたら、その関係の記述は思ったよりも少なかったですね。しかもモンゴル人が都市を破壊しまくったので、ロシアでは以後、西欧のような都市文化の発達が見られなかったとか、モンゴルの統治をネガティブに評価してます……

個人的に面白かったのは、不利な状況に置かれると自分達に都合のいい噂を流すロシアの民衆の姿です。例えばロシアでは外国人との接触を嫌うロシア正教の聖職者のはたらきかけで、ロシア在住の外国人をモスクワ郊外の外国人村に隔離していたのですが、ピョートル大帝は幼い頃からこの外国人村に入り浸り、その後、西欧諸国の制度や技術、風習などを取り入れて改革(本書ではこれを革命と呼んでいます)を推し進めていきます。このピョートルの革命に不満を持つ民衆は、実はピョートル大帝は偽物のツァーリ(皇帝)で、幼い頃に外国人村で本物のツァーリとすり替えられたのだという噂を流したそうです(^^;)

また19世紀のクリミア戦争の際には、農奴解放を求める人々が、義勇兵として出征した者はその家族が農奴の身分から解放され、その後の徴兵や国税からも解放されるという噂を流し、これを信じた人々が一斉に村から離れて出征しようとしたとのこと。そのクリミア戦争終結後にいよいよ農奴解放令が発布されますが、これが何ら実質を伴わない内容なのが明らかになると、人々は今度のツァーリの勅令は役人と領主がすり替えた偽物で、本物の勅令は彼らが隠しているのだとして武装蜂起を起こしたそうです。

こういう噂が流れる段階では人々はまだツァーリの政治に少しでも希望を持っていたということなんでしょうけど、そのほんの少しの希望すら持てなくなったことによってロマノフ朝が崩壊に追いやられることになったのかもしれません……

あとは、レーニンの遺体の永久保存が、ツタンカーメン墓の発見とミイラの防腐処理から思いついた発想だというのが面白かったですね。
コメント
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