博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『殿様の通信簿』

2006年07月22日 | 日本史書籍
磯田道史『殿様の通信簿』(朝日新聞社、2006年6月)

この本のオビには「東大史料編纂所に幕府隠密の機密報告『土芥寇讎記』が残されていた!側室の数、政治への関与……そこには殿様たちの驚くべき生活実態が!!」とか、「元禄大名243人の人物評価を記した『土芥寇讎記』から、水戸光圀、浅野内匠頭、前田利常など著名な『殿様』たちの日常生活を活写。」というような煽りがあり、また新聞広告・書評でも『土芥寇讎記』の内容を紹介した本というような取り上げられ方をされていたので、『土芥寇讎記』という史料の紹介本だと信じて購入。

『土芥寇讎記』とは、本書の説明によると元禄期の諸大名の人物評価や諸藩の内情をまとめた書であり、おそらくは隠密が諜報活動で得た情報を幕府高官がまとめたものであろうとのこと。しかし実際に読んでみると、『土芥寇讎記』をネタ元として引用しているのは全九章中、徳川光圀(光国)の章、浅野内匠頭と大石内蔵助の章、池田綱政の章、内藤家長の章の四章のみです。実のところこの本は豊臣期から元禄期までの大名をネタにしたエッセイ集で、その史料の一つとして『土芥寇讎記』が使用されているだけだったのです(^^;) この辺は看板に偽りありという気が……

個人的に面白かったのは忠臣蔵で知られる浅野内匠頭と大石内蔵助の章でした。この章の内容を以下にまとめてみます。

・岡山藩の池田光政の謀反を恐れた三代将軍家光の命によって、内匠頭の祖父長直が赤穂城を建築して以来、赤穂藩では軍学を重んじる気風がおこり、山鹿素行などの軍学者や兵法者が赤穂を訪れるようになった。

・大石内蔵助の祖先は大阪夏の陣で敵の首を獲ったことによって赤穂藩家老の地位を得た。吉良邸討ち入りの際に内蔵助が吉良の首を獲ることにこだわったのは、この祖先の勲功をふまえてのことであろう。

・『土芥寇讎記』によると、浅野内匠頭は女好きで日々寝所に籠もり、政治は内蔵助ら家老に任せきりである。また美女を献上した家臣やその美女の身内を出世させたりした。大石内蔵助が仇討ちの際に指導力を発揮できたのは、内蔵助が普段から寝所に引き籠もりがちの内匠頭にかわって藩士を取り仕切っていたからかもしれない。

・『諫懲後正』というやはり大名の行状を記した史料によると、浅野内匠頭は下女に非道をはたらいたことがあって世間の評判が芳しくなかった。あるいは内匠頭は吉良上野介に斬りかかる以前に同様の刃傷沙汰を何度もおこしていたのではないか。

この章を読んでると、松の廊下の事件が無くとも遅かれ早かれ赤穂浅野家は廃絶に追い込まれたのではないかという気がしてきます……

オビにはこの本の著者が「平成の司馬遼太郎の呼び声も高い」とありますが、文章の読みやすさと内容のとりとめの無さは確かに司馬遼に似ているかもしれません(^^;)
コメント (5)
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